1年前のお話
こんにちは。この度はnoteを開いて頂きありがとうこざいます。これから過去のお話をメインに書かせて頂きたいと思います。
ここでお話を読んで頂く前に注意して頂きたいことがあります。
✔病み、死に関連すること
✔口が悪いのでもう無理だと思われたら辞めてもいいです。
✔過去の環境の事
✔1月あたりの発言はサブの上司の事で思った事をストレートに発言される方なのでその人と直接ではないけどトラブってます
おととしの4月から社会人になり、親元を離れて接客業の仕事に就いていました。私はマイペースで要領も悪く見通しを立てたり急な予定変更や複数の事を同時に行う事が苦手、怒られても何も反論しない全て受け身。そんな性格の人間です。
働いている所は接客、特に休日は忙しい。そうです。めっっちゃ怒られてました。しかも何回同じ事で。
何で出来ないんだろうと考える毎日。試行錯誤するが失敗。同じ事で怒られてどんどん自分を責めるようになって、サブから1月になると4月からは後輩にナメられるなどの発言。4月からはもう新入社員ではないというプレッシャー。
2月頃、何回同じ事を言われればできるようになるの?何回も言わせないでと。気付けば自分から笑わなくなった、上司から呼ばれると何かやらかしたと考え怖い。
家に帰ると何もしたくない、夜眠る前は仕事の事を思い出し、明日も行きたくないと泣いて不安で眠れない。睡眠時間約3時間、起きるのが辛い。仕事では心では早く仕事しなきゃと思っていても体が追いつかないなど支障がで始めていた。
次の日が休みの前は夜散歩に行く事があった。近くの小学校の歩道橋があってそこから下の道路を覗いたり、ニードル(ピアス開ける時の針みたいなの)で血を抜こうとしたり。病み垢のリスカや瀉血(注射針で血を抜く)の動画を見たり。まぁ、希死念慮というのが襲ってきた。心は死にたいはずなのにでも、しなかった。体はまだ生きたがっていた。
実は、推しのみほとせの京都公演が月末にあり見に行きたかった公演。そこで死んだらもう会えない。会ったことはあつぱりの1回だけ、笑顔を見せてくれた。ファンサなんて貰えなくてもいい、あの笑顔をもう一度見たい!そう思いながら月末までは仕事を頑張り、2月末で退職を考える事に。
推しに会いたいならば!死にたくない!これから何もしなければ確実に症状は悪化すると思い、休みの日に助けを求め精神科の病院に行った。
先生とお話すると、ただお話を聞いてくれた。何も反対されるような事は言わなかった。仕事先でどうするか一緒に考えてくれた。環境上、一人暮らしやまだ一年目、症状悪化をこれ以上させないため退職も考えていいんじゃないか?と。
受信が終わった日、実家から電話があった。妹が高校の内定を貰ったって。嬉しそうだった。親から仕事はどう?と聞かれた。その時、自分がもう仕事を辞めたい、眠れてない、精神的にもう耐えられない事を泣きながらはなした。親は月1で会うぐらいのため様子が分からないから聞いた時は黙っていた。そりゃそうだ。先月は元気だったのに。親は自分が出来ないからじゃないのか?と言われムカッてきたが無理なら帰って来いと言ってくれた。
次の日、部長に仕事を今月末で退職したいと伝えた。もちろん上司も驚いていた。もともと表情が固く感情が読み取れないとか悩んでる事に対して自業自得と返されそうで怖かったから。でも、今の症状を話すと「(本名)の人生だから自分で決めな」と言って貰えた。サブの人からなんですけどね、って伝えると「サブさんも(本名)さんの事を思ってるから言ってるとは思うけど言い方はキツイよね」と同感してくれて、伝え方に配慮するようサブさんにお話するねと対処してくれた。
数日して、上の方(店長と社長)とお話した。精神的に不安定、不眠状態、サブの人からの発言で悩んでいると。店長は休職すれば?や「(本名)さんに成長して欲しくて言ってるのよ」と聞きたくなかった言葉。社長からは不眠で同じ事で悩まれてたこともあり共感して頂いた。
まぁ〜〜待て!私にはまだ奥の手がある!
【実家の家族が心配しているのでっ🥺!】
社長は別の配属に行く?と言うがもう遅い!ワケありと勘違いされそうなので😅ともう退職させてくれ〜という一心で押し通した。
長くなりそうなので一旦ここで切ります。