ウイルス性結膜炎との暮らし(17〜23日目)
しばらく書くのを怠ってしまった〜
◾️17日目:1月23日(木)
寝起きの膿はまだ少し出る。
職場に復帰した。しかし目が痛い。そしてすっぴん眼鏡である。視力が回復していないのも非常に不便で、少し広いところだと人を探すのも一苦労だ。しかしそれよりも目は痛い。ロキソニンまた飲んだ。目が痛いから仕事の話していても「それよりも目が痛い・・・」になってしまった。作業みたいな仕事が多かったので助かった。
◾️18日目:1月24日(金)
まだ目が痛い。寝起きは膿も出る。でも昨日よりは集中してできた。
お世話になった人の最終出勤日だった。最後というのは案外さらっとしていて完璧な締め方というのにはならないものだなと感じた。
仕事終わって眼科に行き、薬を新しくした(強力になった)
そのあと22日が運気がいい日だったので目はだめだけどなんか行動起こしたいと思って応募した案件の原稿を書いて夜中提出した。頑張った。達成感ある〜
久々に実家に帰った。みんないろんな感染対策していて大変そうだった。最初もうちょっと戻らなければよかった、面倒くさい、などと思ってしまったけど大丈夫になった。翌日帰ろうかと思ったこの気持ちは休職前の感覚に似ている。みんなが頑張って秩序保って暮らしている中に入って、自分の思い通りにいかなくてプリプリしてしまうやつ。自分の事前調査不足と甘えだな〜。こういった考えにたどり着けたのはよかった。以前の自分とは違うぞ。
◾️19日目:1月25日(土)
膿は少なくなってきた。昼まで寝ていた。カフェに行こうと思ったが母とずっと話していた。母の弾丸トークが止まらない・・・話題の広がりがすごい・・・笑 父も夕方から入ってきて、久々にみんなでたくさん話せてよかった。母は今、やっと自分の昔の辛かったこととかをたくさんたくさん話して浄化させているような気がする。弱い部分をたくさん話している気がする。実家帰るとご飯や家事などはほんと頼りっぱなしだけど、楽しい未来を描けるようにこの感情の部分を支えていきたい。子供の頃から家族のために動いていて、今も家族のために動いている。だからその家族が母を楽しい未来に連れていきたい。描いた夢を叶えてあげたい。
こう思えるようになったのも休職して実家にいたからかもしれない。
夜、応募したものが合格したとの連絡が来てとても興奮した。
まだ目は痛い〜ロキソニン飲んだ
◾️20日目:1月26日(日)
またお昼近くに起きた。早めにロキソニンを飲んだ気がする。何してたっけな〜お金関係の計算したり調べ物したりして、夕方暗くなってからちょっと散歩したらやっぱり寒かった。
夜ご飯、牛肉食べすぎたみたいでお腹の調子が悪くなった。また体調崩すのか・・・?と悲しくなった。夜中お腹痛かったし、足先が冷たくて眠れなくて。
◾️21日目:1月27日(月)
寝起きの膿はほぼない気がする。朝起きたらお腹は少しましになっていた。
目はあんまり痛くない!少し目の周りにアイシャドウつけてメガネで出勤した。みんなからだいぶ良くなったね!って言われたが、これは腫れの部分なのか、化粧の効果なのか・・・笑
仕事の判断の精度が鈍っていて(元からかも)、ちょっと気合いれなければと思った。
あんまり眠れなかったので眠かったが帰宅後整体に。
ご飯作って(またたくさんの具を煮たものみたいになった)、早く寝ようと思ったがなんか夜更かししてしまった。
◾️22日目:1月28日(火)
眠いいいいい〜〜〜とギリギリまで寝ていた。膿は出ていたにが目がちょっとゴロゴロ?仕事はすすとして、ちょっとハラスメント的なことに気を取られて、夜もそのことを考えてしまった。伝え方とか。それが嫌な理由を因数分解してみたり、どう言ったら理解してくれるだろうかと・・・自分あたりでそろそろ止めないとこの先入ってくる子達にも嫌な思いをさせなくてはならない。阻止したい。これがもはや最後に自分に課された使命のような気さえしている。
もちろん仕事みんなが安心できるように整えていきたい。
夜は送別会。お酒飲まなかったけど楽しかった。
◾️23日目:1月29日(水)
昨日無駄に3時ごろまで起きていて10時のアラーム前で目覚めたが12じすぎまでダラダラしてしまった。久々に天気がいい。気温が高い。なんかテンション的には夏っぽい・・・ご飯を急いで食べてカフェに来た。
ネットニュースで武官からの帰国者についてみた。怖いな。
感染に対して危機感がゆるい気がする。これは国というか仕事上でも感じることである。