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勇気爆発バーンブレイバーン 二話時点の感想 ※1/21ちょっと付け足し

勇気爆発バーンブレイバーン 二話時点の感想

多分これから「フィクションのヒーロー」の否定を行い、その一方で「現実の仕事人」の肯定の話にいくんじゃないかなあ? と思った

たぶん
「1理想化された 2孤高の 3ヒーロー」⇔「1現実の 2他人とやっていく 3仕事人」
という対比である。

 そもそもあれだけ現場で戦う人間のリアリティを書いているし「自衛隊」「アメリカ海兵隊」と実際にある組織の所属としているのに現実の人間への賛歌がないわけはないのである。
 彼らは泥臭い作業をする。弱くてどんどん死んでいく。でもそれでも人命を守るために無力ながらやらなければいけない義務は忠実に果たす(強い事が示されているブレイバーンに銃を向けるモブたちとかの事を考えれば、それはそれは怖かったろう)ってところに美徳は既に存在している。
 エンディングがあれである理由についてもゲイの筋肉信仰のところを意識しているのではないか。やっぱり「地道に鍛え上げた後天的な努力の結晶」への敬意が入っている信仰な気がするので、そういう泥臭い努力への賛歌である点で結びつきそうな気がする。
 だが一方でブレイバーンときたら、イサミは乗れないから俺が代わりに戦いに出る!(思いやり。自分でない他人への奉仕)って言っているスミスに対して「生理的に無理。イサミじゃないとだめ」である。これが冗談で済むか。人類のために苦しい戦いに出ようとする人間に対して、自分の好みで拒否するのは、明らかに他人を拒否する非人間性というもので、これはギャグの皮を被せているだけでありたいていは騙される。「フィクションの孤高のヒーロー」であるブレイバーンは明確に否定されるべきところを持っていると思う。
 
 イヤイヤながら人間とやっていくほうが本当は仕事をする人間として誠実だしリアルに即しているはずだ。
 そもそもフィクションのヒーローなどフィクションにしか存在しないのである。
 
 イサミがブレイバーン側に寄るのではなく、ルイスとかの仕事人としての泥臭い面倒くさい美徳のほうを選び、そちらへと成長していく話になるんじゃないかなあ。
 
 現時点で「没交渉である」ことがかなり意識的にキャラに振り分けられていると思うのだが、それはイサミとブレイバーンである。
 イサミはたぶん「フィクション中のヒーローに憧れる子供」のまま大人になってしまったおじさんなんだと思う(だって一話の演習で単独行動だもん)けど他人の無償の愛とか信じられなくてよくわかんないしキモイものにしか見えないよ~ っていうクソガキ造形なのだろう……それは親の愛とか、社会になんとなく見えない形で存在している奉仕の成果といったものを感じ取ることのできない感性の貧困である、と思う。
 
 今のところ「勇気」がなんなのか明確に示されていないままフワフワとぼやかされているのも気になるし「本当の勇気を知る」という宣伝だから、嘘の勇気(一人で強い敵に立ち向かっていく)の否定をして、本当の勇気(面倒くさいしつらい他人の意味分からない混沌を理解しようと努め、私を抑えて他を尊ぶ)を知る話なんじゃないかなあ。

 ブレイバーン、そもそも仕事の場で性的な比喩っぽい妄想を繰り広げている時点で、仕事のできないコミュニケーション不全としてバキバキのボコボコに否定されるorなんらかの変化が必要になる未来のほうが色濃く思える……
 だってこの作品のバックにいるのはあのサイゲよね!? 英雄妄想の無能な新卒の協調性のなさとかに一番晒されて辟易してそうなところであるというのが正直な偏見



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