マジでどうでも良い事つらつら2
■バンドマン、今さら告発する■
私が小学校1・2年生の時、通称竹センと呼ばれる担任の女性教諭がいた。
私には二人の姉がいるのだが、長女が5・6年生の時の担任もこの先生だったので、入学式の際に発表された担任の先生の名前を母親が姉に告げると「うわぁ、竹センかぁ」と哀れまれたのをよく覚えている。
この竹セン、まぁクセが強いというか、教育方針にやや問題のある先生でとにかく怒るとめちゃくちゃ怒鳴るし暴力とまではいかないが力ずくで生徒に言う事を聞かせるなかなかに困った先生だった。
姉が受け持ってもらっていた年代の5・6年生相手ならまだ理解出来るのだが、
幼稚園を卒業したばかりでまだ幼児に毛が生えたような小さな私達に向かって同じように怒鳴りつけてくるものだから、幼心にそれはもう圧倒的な恐怖を植え付けられたものであった。
全ての授業の時間割を終えると担任の先生から諸々の連絡事項を伝える時間があった。早い話が中・高で言うホームルームなのだが、筆者の小学校では「帰りの会」、もしくは「終わりの会」と呼んでいた。
この竹川先生、何を思ったのかクラスメートが何か悪い事をしていなかったか全員に報告させる時間、すなわち「ちくり大会」の時間をその会の中に設けていたのだ。
告発者の弁には学校に必要の無いゲームやオモチャを持ってきていた、掃除をまともにやらず遊んでいた、女子を泣かせた男子等、まぁまだ叱られても仕方ないかなと言う内容もあったのだが、
上履きのカカトを履き潰していただとか、休み時間にずっと爪を噛んでいたり鼻くそをホジっていた、ノートに落書きが書いてあったなんて事も報告されていた。
いかんせんまだまだ幼い7歳の少年少女達に洗練された善悪の概念などあるはずもなく、その内容はひどく滑稽で結局それの何がいけない事なのか、当時の私達にはよくわからないモノがほとんどだった。
ちなみにこの先生、名前呼び・呼び捨て禁止の謎の厳戒態勢を敷き、それもよく告発されていた。親から貰った大事な名前を呼び呼ばせる事を決して許さず、どれだけ仲が良くても名字で君・さんを付けていた。
暴力絶対禁止!なんてルールもあってそれ自体は構わないのだが、ボーダーラインが余りにも厳し過ぎた。
一度隣のクラスの女の子の肩を「オッス!」と言いながらポンと叩いた事があった。その女の子も笑顔で私の肩を「オーッス!」と叩き返してくれていざ世間話に興じようとした瞬間、二人共腕を思い切り引っ張られて思い切り怒鳴られた。やっぱり竹センだ。
どうやら今のこのやり取りを暴力として認識したらしいのだ。
更にこの先生、上記の違反(?)を告発された者達や暴力(?)をふるった者達を一人ずつ壇上に上がらせて自らの罪(?)を発表させて謝罪・制約を言わせるのだ。
「私は休み時間に鼻くそをほじりました、もう二度と鼻くそをほじりません。すいませんでした」である。更には罪の重さに応じたボリュームで怒鳴り散らされるのだ。
もちろん私も壇上に立たされて謝らされた。竹センが言うように暴力をふるったとするならば、謝る相手は隣のクラスである。私は一体誰に謝っていたのか。
そんなルールがいかに恐ろしく、恐怖でもって私達を縛り付けていたのかご想像に難くないであろう。生徒達は皆、秩序のためではなく怒られないために必死でビクビクしながら毎日を過ごしていた。
この竹センによる凄まじい恐怖政治、たった2年間の受け持ちだったし、その1・2年ほど後に違う学校に竹センが転任となったのですぐに解放されたのだが、
なにぶん今のこの時代ではそこそこの問題として取り上げられそうな事件だったので、幼少期の事とはいえなかなかに恨み辛みがたまっている。
余りにも長くなってしまうので次回に持ち越しとさせていただこう。
続く。である。