父ちゃんはバンドマン5

■バンドマン、子供に教わる■

愛する妻と結婚出来た事により、妻の家族とも晴れて親戚になった私だが、
それにより義理の母と妹が出来、その息子である小さな命も、私の甥っ子になったわけである。一昨年弟が出来た彼も、今やすっかりお兄ちゃんであると同時に、やはりまだまだ小さな子供であり、まだまだ可愛い盛りなのだ。
私の実の姉二人にも子供がいて、甥っ子が二人に姪っ子が一人いるのだが、もちろんバカみたいに可愛く感じている。
しかしここではあえて、義理の妹の子供である彼に焦点を当ててみようと思う。

義妹の夫は寿司屋で働いている。
長年飲食店でアルバイトをしていた私には痛いほどよくわかるのだが、飲食店の社員ほどブラックな職業はないのではないかと思う。少なくとも、私が働いてきた店で、個人経営も含めて、ホワイトな企業などなかったし、一律過酷な労働と過度な責任を背負わされていた者が大半を占めていた。
義妹の夫である彼もまた、話に聞くだけでもゾッとするようなブラックな職場にいるのだが、
それはもう立派に働き、今では店を任される立場であるし、見事に家族を養い、休日はしっかりパパ業に精を出し、素晴らしい一軒家をおっ立てたスペシャルな男である。

とはいえ、もちろんそんな激務の中で育児に参加することはなかなかに難しい。
断っておくが私は育児に参加出来ない立場や、そんな時間があることを知っている。彼を責める事など全く考えてはいないが、
義妹が母親と姉を頼り、育児休暇中に実家に泊まることになるのは必然であろう。

保育士であり2人の子供を女手一つで育て上げた義母と、看護士であり、ある意味人の面倒を見るエキスパートであり、また医療の知識が豊富な我が妻。
もちろん昼間は二人共に仕事に出ているわけだが、なんとも無敵な2人と義妹、3人4脚で育児していたと言っても過言ではない。
また、義妹も、
辛い時は泣き楽しい時は笑い、ポジティブに、時に失敗しつつも一生懸命に息子を愛する、素晴らしい母親である。
少々おバカなところも、私としてはとても可愛く感じている。

そんな3人に、ナイアガラの滝のように愛情を注がれて育った甥っ子なのだが、
端から聞いてても居酒屋で呑んでいるのかと思うほどに、大人3人から話しかけられていた事もあって、
まぁとにかく弁の立つのが早い子供であった。
また、贔屓目で見ているわけでもなく、かなり頭が良い。
大人の言葉が理解出来るだけでなく、言葉の意図まで、ある程度汲み取る事が出来るほどである。

しかし、そうは言ってもまだまだ子供。
いくら知能が発達しても、心が追い付くかどうかは別である。
そのため、弟が産まれてしばらくは、なかなかに激しい赤ちゃん返りがあった。
「子供なんだから色々あって当たり前」と言ってしまえばそうなのだが、
私の浅い知識と経験から見ても、彼が一人の人間として傷付いているのだということがよくわかるほどに、
彼は賢く朗らかで、また、誰よりも繊細であった。

義実家が大好きな私は、よく帰省していた事もあり、彼とはよく遊んでもらい、
また彼も、私を信頼してくれているようだった。
私の実家の方はというと、良くも悪くも昭和気質で子育てする事が多く、
私もまた、実姉側の甥っ子に対して、少々キツめな叱り方をしてしまった事があった。
そういうものだと気に止めていなかったものだから、私は義妹側の甥っ子である彼のその繊細さに気付けず、知らず知らずのうちに傷付けてしまった事もあったのではないだろうか。
娘が産まれ、育児に奮闘する最中、どのように接するのかを妻と相談しながら考えていたが、
今になって、子供に対する自分のそういう接し方が、あまり誉められたものではないのではないかと気付く事が出来た。

おそらく、勘違いしている方もたくさんいらっしゃるのではないかと思うのだが、
赤ん坊含め、まだ大人と同じようなコミニュケーションが取れない子供達が、まだ言葉がわからないからと言ってどんな言葉を浴びせても良いわけではない。
かと言って、子供だから何したって仕方がないから何も言わないというのは、
ただの怠慢である。

取り立ててヒドイ言葉を浴びせていたわけではないが、
どんどん言葉を吸収し、それがどういう意味を持っているのかもわからない子達なのだから、
逆を言えば、どんな意味として捉えられてもおかしくないということだ。
家族の誰よりも繊細で頭の良い彼は、いつも一生懸命に生き、一生懸命に大人に訴えていた。

そうなのだ、言葉がわからないわけではない、理解するのに時間がかかるだけだ。

そうなのだ、子供だから仕方ないわけではない、大人がちゃんと向き合えばある程度はちゃんと伝わるものなのだ。

まだ小さな彼は、図体ばかりデカイこんな私に、そんな大切な事を身を持って示してくれたのである。
まったく恥ずかしいったらありゃしないが、おかげさまで、それに気付いた日から娘や妻に対して、また、甥っ子に対してはもちろん、赤の他人に対しての関わり方まで、私は大いに考えを改めることとなった。
実現出来ているかどうかは定かではないが、少なくとも、一辺倒な考え方しか出来ていない当時の私からすれば、だいぶ進歩したものである。

子育てとは、子供に色々教えていくものだと思っていたが、
自分の子供はもちろん、そうでなくとも、子供とは、様々な気付きを大人に与えてくれるのだなぁと、最近になって染々思うようになった。

こんな世の中でなかなか義実家との往来が出来ないため、しばらく会えていないのだが、
次にあった時には、いつも以上にしっかりと抱きしめてあげたいと、図体ばかりが大きな叔父の希望であった。

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