父ちゃんはバンドマン3

■バンドマン、人間になる■

そもそも私は子供が欲しいと思っていたのか。その前にまず結婚願望などあったのか。答えは両方ともNOだ。
厳密に言うと結婚出来るとも思っていなかったし子供が出来てもまともに育てられるはずがないと思っていた。
そりゃそうだ、毎回毎回色んな土地へ赴きライブツアーを繰り返し毎日のように酒に溺れ、ろくに貯金もないその日暮らしの男に所帯を持つ事など到底夢のまた夢であった。
明日死んだらそれまでよ、そう思っていた男にそんな幸せな未来をリアルに想像することなどとてもじゃないが出来なかった。

もちろん妻との出会いが人生においてとても重要な岐路であった事は間違いないのだが、こんな私に子供が出来た事は友達はもちろん親ですら驚いていたし一番びっくらこいたのは他ならぬ私だ。
更には、ある程度予想はついていたが、娘が産まれてこんなにも自分が変わるとは夢にも思っていなかった。
そんな自分を仲間達にはあまり見られたくない。恥ずかしい事ではないが、とにかく照れ臭いのだ。

先ほども書いたように私はいつ死んだって構わないと思っていた。別に死にたいと思っていたわけではないが、率先して長生きしようと思っていたわけではない。生きても60歳ぐらいまででもう十分だと思っていた。
ところが今は死ぬのが怖くて堪らない。愛する妻と娘に会えなくなる事がとんでもなく恐ろしいと思った。
せめてこの小さな命が成長し、私達夫婦の元を巣立っていくまで死んでも死にきれない。逆も然り。妻と娘にはいつまでも健やかに元気で過ごして欲しいと思っている。

そのために必要なのはまずは他人とのトラブルを避ける事だ。
私は昔っから短気で気性が荒く、自分に非がない場合は絶対引き下がる必要などないと常に思っていた。
軽いモノで言えば、
狭い路地などで横に広がって通路をふさぐような輩には正面から突っ込んでいったり、余所見をしていたりスマートフォンのながら歩きをしてこちらに向かってくる不届き者は絶対に避けなかったり、
駅の階段の「のぼる」のルートを下ってくる奴らを思い切り押し退けていったり等々。
もちろんこちらがマナーを守ってこそなので明らかなマナー・ルール違反である人物に対しての行為であったが、
暴力こそ振るわないものの道端で睨み合ったり言い争いになった事も一度や二度ではなかった。
いつそんな輩がナイフを出してくるかと考えると、今は恐ろしくて堪らなくなった。まるでそういうゲームかのようにスルスル人混みを避ける技を今さらになって身につけた。
今思えば何とちっぽけな事で怒っていたのかと呆れてしまうが、
一度明らかに意図的に足を引っ掻けてきたヤツがいたのだが、その時グッと我慢したのはさすがに褒めてやりたい。

いつからだろうか。おそらく妻と娘が里帰り出産から1ヶ月検診を終えて家に帰ってきてからだったか、酒をほとんど呑まなくなった。
何か問題が起こった時にすぐに行動が出来るようにだ。娘の体調が急に悪くなって病院に連れていく私が千鳥足では洒落にもならない。
家でも毎日のように発泡酒の500の缶を二本呑み、あれば更にチューハイを一本空け、その後さらに焼酎かウイスキーか日本酒を3合前後程呑んでから寝ていた筆者。お徳用の大きなボトルの味のよくわからない酒なんてみるみるうちに無くなり週一のペースで買っていた。
ライブだったり呑みに行ったりすれば所持金はほとんど底をついて交通費しか残らないなんて事もしばしばで、
安い居酒屋で二人で呑んでほんの2、3品ほどのツマミしか注文していないのに10,000円では足りないなんていつもの事だった。
そんな私が妻と娘との暮らしが始まってから今日まで、外に呑みにいく事もなくなったし、家でもまったくと言って良いほど酒を呑んでいない。
ライブの日はさすがに出演後に呑んでいたが、いつもなら帰りの電車で冷めた酔いを戻すために帰宅後に焼酎を呑んでから寝るところが、すぐに着替えてシャワーを浴びてから寝るようになった。

夜更かしもあまりしなくなった。
というより、仕事から帰ってくるなり洗濯をして料理を作って娘を風呂にいれて、更に少ない時間を娘とのふれ合いに全て費やしていると、
当たり前の話だか眠くてしかたないのだ。起きたくとも起きて等いられない。
育休中の妻の優しさと頑張りのおかげで夜中はぐっすり眠らせてもらっていたが、そのおかげで死ぬほど健康的な生活リズムを手に入れた。徹夜明けで働いていたわけでもないのに日付が変わる前に床に着くなど何年ぶりだったであろうか。

ついでに言うとタバコも紙巻きたばこから電子タバコに変えた。辞めていないのだから大して変わらないではないかと言われればそれまでであるが、
燃やさず加熱するために副流煙が出ないらしいので妻と娘の健康を害するリスクを減らしたかったのだ。
味や吸い応えに関しては非常に不満だが、正直出来るもんなら禁煙したいとも思っている。今までのスモーキンライフの中でそんな事を思ったのは初めてだ。
ちなみに家族で出掛ける時はそもそもタバコを持っていかない事にしている。家族で過ごしている時に喫煙所に近づきたくないのだ。

これだけ自分の変わった事を書いて思ったのだが、娘が産まれてから良い事しかない。いたずらに削れる一方だった私の寿命がグングン元に戻っていってる気がするのは気のせいだろうか?
これは自分でも意外だったのだが、そういった事柄を実行することは私にとっては本当にノンストレスなのだ。
子供が産まれたらもっと我慢して節制していかねばならぬのだろうと思っていたが、正直なところ全く無理している部分はない。
他人とトラブルを起こさないようにすれば心は常にとは言わないが穏やかに過ごせるし、
酒も妻に言われたわけでもなんでもなく念のため呑まないようにしようと思ったら自然とそうなったのだ。
ちゃんと事前に妻に申し出ていれば呑みに行っても構わないし一人で外食に行っても構わないのだが、そもそも私はライブ以外で頻繁に呑みに出るタイプではないし、行くのも限られた仲の良い友としかいかない。
外食だってどうせ行くなら家族で行きたいと思う。家族で過ごしているのが楽しいし嬉しいし心地よいのだ。

結婚して子供が産まれて家族が増えて、私はどんどん人間に近付いてきている気がした。
欲望のままに行動し食べたいだけ食べ呑みたいだけ呑んで好きなように寝るなんてまるで猿みたいなものだ。
妻と娘が私を動物園のオリの中から助け出してくれたのだと思うとこれほどありがたい話はない。
特に、俗世から離れ過ぎた生活ゆえに人間界のルールやマナーに疎い私への妻による教育は未だに終わっていない。結婚や出産のお祝いを3割ほどでお返ししないといけないなんて結婚して初めて知った。
妻には苦労をかけっぱなしだ、まだ動物園の敷地から下界へ降りる事は出来ない。ウッホウッホウッキッキ。
あぁ、人生はなんと楽しいものであろうか。

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