父ちゃんはバンドマン2
■バンドマン、喜びの涙■
2020年へと年を越す元旦の夜の事。
出産のため里帰りしている妻と共にすごすため、私は12月30日から義実家に来ていた。とても良くしてくれて仲もすこぶる良好な義母の料理に舌鼓を打ち久しぶりの休みを満喫しながらゆっくりとこたつに入って日々の疲れをとっていた。
なんだかお尻が痛い、腰痛かな?と言いながらも寝れるうちに寝た方が良いという事で早めに床につく妻。もしかしたら明日には陣痛来るかもしれないねなんて話をしながらおやすみをして、
私は何だか落ち着かなくて、呑気に缶ビールを呑んでいた。
全然酔いが回らなかったものだからタバコを吸ってトイレを済ましてもう一本ビール呑んだら寝よう。
そう思っていた矢先に妻が私を呼んだ。やはり寝る前のお尻の痛みは本当に陣痛だったのだ。
徐々に痛みが強くなってきて10分間隔でやってくる。すぐに義母に起きてもらって大急ぎで準備して山を一つ越えたところにある病院へと出発した。
道中更に強くなってくる痛みに顔を歪めながら耐えている妻の顔と、視界に入ってくる窓ガラス越しに外の景色を見ていた。雪が段々強く降り始めている。朝には結構積もるだろうから、このタイミングで良かったのかもしれない。
病院に着いてからの事は正直に言うとあまり覚えていない。とてつもなく長い時間だったようにも、あっという間の事だったようにも思える。一旦検査のため処置室に向かった妻が病室に戻ってくるまでの間、なんだか落ち着かなくて右往左往していた。
妻の背中をさすっていた事、トイレに向かうも廊下で余りの痛みに座り込む妻の背中、分娩台での慌ただしさになぜか私が半ばパニックになっていた事。文章にすればするほど男の無力さを痛感する。
いきむと同時に妻の上体を押して起こし少しでも力を込めやすくするのを手伝いながら、ついに愛しの我が子と会う事が出来た。産まれる前から何だか直感でわかっていたが、やはり女の子だった。
少しこぼれた涙も、目の前で必死で戦い抜いた妻を労うのが先と思っている間に引っ込んでしまった。
待望の第一子の誕生に喜んではいたのだが、妻への感謝と娘への愛を込めた言葉とは裏腹に、何だかフワフワして全く実感がわかず不思議な気持ちでいた。
しばらく家族で過ごした後に娘は一旦預けて妻と宿泊する私とで病室へ。義母は翌日また来ると言い残し帰路についた。
眠る前に外へ出て近くの自販機まで缶コーヒーを買いにいき、その場でタバコに火をつけて勢いが弱まりつつも未だに止まない雪とその向こう側で辺りを照らす外灯を眺めていた。
温かいコーヒーを口に運び煙を燻らしながら一度病院に目を向けて真っ暗な夜空へと目をやった。
私はそこでやっと嗚咽をもらしながら喜びの涙を遠慮なく流した。実感はまだ湧かない。しかし、今日確かに私と妻の間に授かった命がこの世に産まれ落ち、それは夢でも幻でもなく現実に目の前で起こった事なのだ。
翌日、ついつい妻のお腹を撫でてしまったのだが、当然ながらもうこの中には誰もいない。毛布に包まれ温かい部屋で静かに寝息を立てている小さな命に、
いよいよ喜びが大爆発してしまった私は再度、鼻をすすりながら盛大に泣いた。
妻のスマートフォンで見事に動画に納められてしまったのが悔やまれる、是非とも門外不出にしていただきたいところだ。
目まぐるしく過ぎ行く日々の中で、どうしても見落としてしまう景色もあったし、どうしても持ちきれずに手から滑り落ちて失ってしまうものが数えきれない程あった。
人間としての未熟さももちろんあったのであろうが、生きている限り何もかも手にいれる事など到底出来ないのだから、それはある意味致し方ない事なのかもしれない。
しかし、本当に大切なものに限って大切だったという事実にすら失うその時まで気付けない。そんな使い古された表現だが、それに気付くまで本当に長い時間を費やしてしまった。
目の前で産声をあげた この小さな命を、
糞尿を垂れ流し泣く事以外自発的に何も出来ないこの弱々しい命を、
その一挙一動を出来る限り目に焼き付けようと、命の限り守っていこうと決めた。ただひたすらに、この子が愛しくてたまらないからだ。
父親としての責任だなんて大層な事はまだわからない。それはこれからの人生で、この小さな命にちょっとずつ教えてもらう事にした。