バンドマンのエレジー19

■バンドマン、ふと振り返る■

2008年、私が22歳の年の頃のある日。
専門学校で同期だったドラマーの友人がやっていたジャングルマンというバンドから、「とある弾き語りのアーティストと一緒にツアーを回っている、京都で二組でライブがしたいのでイベントを打ってくれないか」というオファーをもらったのだ。

私は大事な仲間の頼みということもあり2つ返事でオッケーし、すぐにイベントの準備に取りかかった。
知り合いのミュージシャンに声をかけて出演者を集め、
自分は即席のコピーバンドを結成しての出演だ。久々のライブに心踊ったのをよく覚えている。
ライブ当日、久しぶりに再会したジャングルマンと挨拶を交わして、一緒にツアーを回っているという噂のその人を紹介された。

この男、名を小林大輔と言い、後に私の兄貴分となる偉大な大先輩である。
私は今でもこの人の事を当時からの尊敬の念を込めて兄貴と呼んでいて、彼も私の事を弟分として可愛がってくださっているのだが、如何せん二人ともVシネマやヤンキー漫画の見すぎである。
書き物としての字面が若干ダサいので、ここからは兄貴ではなく、大さんと書かせていただく。

初めて見る大さんのライブに私は凄まじい衝撃を受けた。
鋭い眼光で客席を睨み付け、弦が切れる事も厭わないフルストロークでアコースティックギターをかき鳴らす。
汗だくになりながらたった一人で
大きな声で歌うその真っ直ぐなメッセージやアティチュードに、当時の私の心は激しく揺さぶられたのだ。

当時の大さんはピンクの髪色のリーゼントをビシっとキメて、
アコースティックパンクロックと銘打ちたった一人で機材車に乗り全国のライブハウスを駆け巡っていた。
ジャングルマンとのカップリングであった当時のツアーでも、同じ機材車に乗り寝食を共にし途方もない距離と連日続くライブをこなしていく旅路を、疲弊しながらもとても楽しそうに切磋琢磨していた。
私は彼らのそんな姿を見て羨ましくてたまらなかった。
差し入れで貰ったというカップ麺と、自前の炊飯器で炊いた米にふりかけをかけただけの質素な食事をしながらも、
汗臭い衣装を着てギラギラしながらキラキラした目で必死で夢を追いかける彼らのステージに猛烈に嫉妬を覚えた。

その頃の筆者と言えばまだ歌は年に数回の趣味程度にしか歌っておらずドラマーとして活動していたのだが、
ろくにライブもせずサポートの依頼も途絶えていて、
ドラムの講師の真似事のような事をするも生徒がほとんど集まらずにやることがなかった。
そのクセプライドだけはいっちょまえで、程度の低い人間だと思われるのが嫌でたまらなく、自分はスゴいやつなんだぞ!と他人に思われたくて仕方がなかった。
誰かのライブに行けば誰も聞いていない批評を述べて上から目線で説教を垂れ、
口先ばかり偉そうに語るくせに何も行動に移さない、実にイヤーな人間だった。
毎日毎日焼鳥屋のアルバイトとポータブルゲームに精を出す、なんとも無気力で自堕落な生活を送っていた。

私はこれ以上音楽を続けるモチベーションが見当たらなくて、そのライブを最後にもう辞めてしまおうかと考えていた。
でも辞めてどうするのか。ずっと勉強もせず、学歴も資格も持たないまま好き勝手に生きてきた私は社会に出ていく度胸はなかった。
初めて私は、それまでの自分が何もしてこなかった事、その時の自分が何も成す事が出来ていない事を知った。
私は自分自身が、嫌いで嫌いでたまらなかった。

続ける勇気も辞める勇気もなかったそんな私に、もう一度何かを始める勇気を与えてくれたのは大さんだった。
バンドが無いなら一人で何かを始めてみれば良い、メンバーがいないからとその場に居もしない人間のせいにしてはいけない。
やってみなければ何も始まらない、そんなんじゃいつまで経っても自分を好きになることなど出来やしない。
彼のステージから放たれるメッセージを受けて、
私は中途半端なモノを全て捨てて、もう一度新しく自分を始めてみようと決心した。
昔から弾いていたギターをもう一度手に取り、今の自分の気持ちを歌にして叫んでみよう。
何者でもなかった自分が、何者に成れるのかを試してみよう。
そして私が本当に欲しいと思うモノを、もう一度探し出すために旅に出てみようと思ったのであった。

次回へ続く。

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