バンドマンのエレジー2
■バンドマン、悲しみに暮れる■
自己紹介が遅れてしまった。
とは言えこれを読んでいる人間というのは私のSNSやブログから飛んできた友人・知人が多いはずであろうから取り立てて書く必要もないのだが、正直な所これで一発当たって書籍化されたりしてドカンと印税なんぞ入ってきたりはしないだろうかと言う下心がちょっとある。正直なところ相当ある。
見知らぬ方が見てくれるであろう事を想定して書かなくてはならぬのだ、ご容赦願いたい。そして単純な尺稼ぎでもある。私のエッセイストとしての引き出しはそこまで多くも深くもないのだ。
私の名前は小倉北斗。
ペンネームでも作ろうかとも思ったが前述の通り主に友人・知人に見られるのだから隠していても仕方がない。趣味は読書と釣り、そしてラーメンと爬虫類が大好きだ。
既婚者であり子供はまだいない。
今現在は都内のマンションで妻と2匹の愛蛇と共に暮らしている。
1986年5月23日京都市産まれ。
姉が二人の末っ子長男・お下がり無しの待望の男の子という産まれた瞬間から溺愛される事を約束された生粋のぼんぼんである。
家は金持ちとは言わないまでも車だったら一括で買える程度には貯金もあり、
ある程度裕福な家庭で育ち何の苦労も無く大人になっていった。
父親が所謂団塊の世代ということもあってフォークソングやジャズが流行っていた頃に青春時代を過ごしていたので産まれた時から音楽は身近にあった。
とはいえレコードプレイヤーやハードケースに入ったマーチンのフォークギターには何の興味もろくに示さずに甘やかされてすくすく育ってきたわけだが、どこでどう間違ったのか33歳になろうとしているこの歳までモヒカン刈りという髪型を保ち未だにアルバイトで生計を立てながらライブハウスに出入りしている。
両親もさぞガッカリした事だろう。
勉強嫌いで金のかかる私立高校しか行けず、高校まで行かせてやったと思いきや更に金のかかる音楽の専門学校に行きたいと言い出し、卒業後どうしていくのかという明確な目標も聞かせてもらえないまま挙げ句の果ての息子の姿が今現在のコレである。
きっと大学に行き会社に勤めしっかり貯金をしてというのが理想だったのかもしれないが、残念ながらもう手遅れであるので勘弁してもらいたい。
唯一の救いはこんなろくでなしな息子と結婚してくれる女性がいたということであろう。
ありがたい話である、初めて妻を両親と会わせた日の嬉しそうな顔が忘れられないぐらい、現在までの唯一の親孝行だと思っている。
現在私は「小倉"モッフィー"北斗」という名前で弾き語りのソロ活動を10年程続けている。
他には「ザ・パイロッツ」というバンドで本名の名義でボーカルを担当している。
このエッセイでは一番長くやってきた「小倉"モッフィー"北斗」という活動の中での体験を主に書き綴っていこうと思っている。
そもそも、
ライブハウスという場所に来た事がないという人が口を揃えて言うのは「何だか怖そうな場所で行きづらい」という意見が多数を占めるだろう。
そして数える程度しか行った事がないという人は「友達がライブやるから行った」と答える人が多いだろう。どちらの話も私は納得である。
今は「ライブハウスに皆気軽においでよー!」というような素敵なイベントが開催されて出演者もポップなバンドがたくさん揃っているが、そもそもライブハウスなんてめちゃくちゃに近寄りがたい場所だ。
当たり前である。金髪や赤髪、挙げ句は緑やオレンジ色の逆立てられたり刈り上げてあったり多種多様な髪型の怖そうな兄さん姉さん達が、こりゃまた怖そうな鋲を打ちまくったトゲトゲライダースジャケットに身を包み肌が見えたと思ったら刺青がチラリ。
ピアスだらけのヤバそうなヤツがヤバそうなヤツら同士で集まって酒を呑んでタバコを吸っている。それ本当にタバコなのか?と思うのも無理はない。
全てのライブハウスとイベントがそうだというわけではないが、そんな場所に誰が近付きたいと思うのか。見た目としては大して変わらないであろう同じ穴の狢である筆者でさえ未だに入場を躊躇う時がある。
好奇心はあるのかもしれないがそんなところにいきなり飛び込んでいく度胸のあるヤツなどそうはいない。
高校の軽音部や大学のサークルの友達が、同じような風貌の爽やかなバンドばかり集まる日に友達の発表会を見に行く感覚で行くのが一番ベターであり安全であろう。
そんなライブハウスの恐怖感が薄れる1日に、
たまに明らかなブッキングミスであろうバンドが紛れ込む事がある。
そう、我々のような小汚ないロックをがなりたてるバンドマンだ。
ブッキングとはライブハウス主催のイベントで、ライブハウスからのオファーを貰う事。
意図して全然ジャンルが違うバンド同士で組む事もあるが、基本的には一定ジャンルを軸にそういうバンドのお客ならお気に召すであろうライブをするバンドで組むのがほとんどだ。
しかしライブハウス側にも事情があるし、毎回毎回うまくイベントが組めるわけではない。
そんな時に白羽の矢が立つのが「バンドマン」なのだ。
なぜここで「バンドマン」と強調したのか。
不思議な事にライブハウスに出演しているバンドの中には、同じくバンドをやっているにも関わらずバンドマンとそうではない人間が混在しているのだ。
しかしそのそうではない本人達に自覚はない、しかしバンドマン達は彼らを決して認める事はない。
その定義がどこにあってどこで線引きをするのかは正直難しい、学生だから違うとかフリーターだからそうだとかではない。上手いとか下手とか経験の差とか、そういう表面的な話ではない。
しかし、年間100本以上のライブをこなすバンドであろうが半年に一回しかライブをやらないバンドであろうがその「バンドマンであるか否か」というハードルは実は明確に存在するのだ。
出来れば越えない方が良い、越えたら二度と戻れない戻り方がわからなくなるそのハードルが。
その所謂バンドマンという人種は若ければ若い程無茶をやる傾向がある。
故にここでライブハウスのブッキングを担当する「ブッキングマネージャー」という仕事をする人間は彼らに声をかける。
ブッキングというのは相当神経を磨り減らす仕事だ。人々がライブハウスという場所に娯楽を求めなくなってしまった昨今、経営を成立させるためにはたくさんのイベントを組まなければならないしバンドの頭数を揃えなければならない。
しかしどうしてもこの日の出演者数が心もとなくあと一組欲しい、そんな時にいつも自分のライブハウスに出演しているバンドマンに声をかけるのだ。
若いバンドマン達は自分達の売り方も価値もわからない、とにかく思い切りライブをやる場所を求めている。
テクニックなんて関係ない、必死にやればなんとかなるんだと信じて疑わない。
数をこなしてなんぼだと思い込んでいるライブのためなら平気で生活を削るバンドマンも少なくないだろう。極端な言い方をすればそんな彼らを数合わせに利用するのだ。無論好ましいやり方ではないが、どうしようもない事情がライブハウスにも存在するのだと少なくとも私は理解はしている。
さぁライブ当日。バンドマン達は息巻いて会場入りする。ベーシストがどうしてもバイトを休めずリハーサルはベーシスト抜きで行う。
いつもと違う調子でのリハーサルは何だか上手くいかず、良いイメージが浮かばない。
一抹の不安を抱えたままオープンしてもうすぐ開演だ。
この日の出演は6組。大学生のサークルのバンドが多数を占めるようだが、トップバッターは弾き語りの男の子。どうやら彼も、しかも急遽「白羽の矢が立った」ようで、ホールにはまだお客が入っていない。共演者達の社交辞令のような拍手がパラパラとまばらに聞こえている。
ステージの転換中少しずつ人がホールに入ってきた。しかし、それはほとんどがお客ではない事をバンドマン達はまだわかっていない。
次のバンドがスタートして最前列に詰めかける人達。
曲が終わる度に聞こえる歓声、そのほとんどは音楽に対してではなかったとしても、その熱量と押し寄せてくるプレッシャーと戦いながら待つ。いよいよ自分達の出番だ。
機材のセッティングを終えると出番になんとか間に合ったベーシストと少しだけ音を出す。
ここまで来たらどれだけ自信がなかろうがもうやるしかない、覚悟を決めて臨む。
カウントで曲が始まった。ライブで必ず一番最初にやるこの曲が彼らの数少ない武器だ。
しかし、まだ未熟で無名な彼らをホールにいる人達は決して歓迎はしない。
なぜなら彼らは正確にはお客ではないからだ。
友達がライブハウスのステージにあがる、その姿を一目見てやろうとするただの友達だ。
ステージのバンドマンは湧き出す苛立ちを噛み殺しながら一曲ずつ演奏する。曲間に挟むMCも、寒い空気に耐えきれず半ば脅迫のような、自主的ではない拍手で終わる。
誰もバンドマン達の歌など聞いてはいない、何故なら彼らはお客ではないからだ。
友達に会いに来ただけなのに、話の腰を折られて大音量に遮られて会話すらままならない。邪魔だとすら思っているだろうし実際にホールから出て行ってしまう者もいた。しかし彼らには何の責任もない、ライブハウスの楽しみ方もわからないのだから。何よりバンドマン達にそんな彼らを燃え上がらせる実力が無かったのだ。
自分達の不完全燃焼のライブが終わり汗も乾かぬままホールに戻っても、彼らに声をかける者はほとんどいない。共演者からの仕方なしの「お疲れ様でした」の声はバンドマン達のえもいわれぬ苛立ちに油を注いだだけだった。
その後に出演していたバンドが呼んだ人々で最終的にホールは溢れかえっていた。
最後のバンドの演奏が終わり、更にお約束のアンコール。
友達の勇姿を一目見ようと駆けつけた彼らが感じた楽しさをバンドマン達は理解等出来ず、その時初めてそれはお客ではなく彼らの友達だったのだと気付く。
終演後には事務所で精算。
この日は声をかけられたのが遅かったのもありノルマは無し。機材費が3000円、給料日前の彼らにはそれすらもきつい。
ブッキングマネージャーは容赦のない言葉を浴びせる。なんだあの演奏は。なんだあのMCは。
返す言葉もないバンドマン達は黙って頷きながらそれを聞く。これはまだ良い方だ、ヒドイ時は何も言われない。そして次の日程を決めてその場をあとにする。
今日は打ち上げが無かったからすぐにライブハウスを出る。良かった、こんな日に誰と何を話せば良いのか彼らには解らない。
メンバーと別れ、ギュウギュウの山手線に揺られ電車を乗り換え、最寄り駅から徒歩15分以上のアパートへと歩いている途中でコンビニで缶ビールとスナック菓子とおにぎりを買った。道中頭の中で大きく呟く、「クソッ!クソッ!」
明日も朝からバイトに行って夜はスタジオ練習だ。きっとメンバーで今日のライブについてケンカをするかもしれない。
必死でバイトして買ったギブソンのレスポールジュニアが今日はずいぶん重く感じる。憧れのロックスターと同じモデル、同じカラーだ。
風呂に入る気力もなく汗臭いシャツのまま半分ほどビールを呑んで彼は眠った。
これがバンドマンの初期症状と言ったところだろうか。ここでこの気持ちを乗り越えたヤツは段々後戻りが出来なくなってくる。
しかし心が折れたなら、それこそ二度とこの場所に戻ってこれなくなってしまう。
どっちに行けば良いのかどこにどう進めば良いのか、誰も教えてはくれない。
自分で探して自分で掴んで行くしかない。
それがバンドマンだ。それが我々バンドマンが培ってきた、何の役にも立たないプライドの糧になるのだ。