バンドマンのエレジー23

■バンドマン、嫌われてナンボ■

筆者が少年時代に主に聴いていた音楽は洋楽であった。
70~80年代のハードロックやへヴィメタルを中心に、ロック好きの姉が日中自室にいない事を良い事に勝手に忍び込み、勝手に拝借しカセットテープやMDに録音したりして狂ったように聴き漁り、夜な夜なひっそりとイヤフォンから聴こえてくる轟音に合わせてギターを弾いていた。

とは言え元々はテレビから流れるJPOPや、父親の影響で昭和のフォークソングなどポピュラーな音楽を聴いて育ってきたので、
中学・高校の頃などは洋楽の好きなロックバンドのリリース情報などに目を通しながらも、
日本で当時流行っていたヒップホップやパンクロックバンドなんかのCDを密かにチェックしていた。
当時、特に私の世代のバンドに興味のある男の子達は高校の軽音部や、学校の外で組んでいたバンドなどでそういったオリコンチャートなんかに名を連ねるバンドのコピーばかりしていたし、
私自身も当時絶大な人気を誇っていたいわゆる青春パンクと呼ばれカテゴライズされたバンドのコピーバンドに参加したりしていた。

が、同級生やバンド関係で知り合った人から「どういう音楽を聴くのか」という質問には、
日本のバンドではなく、必ず洋楽のロックバンドの名前を挙げていた。
五人に一人ぐらいはそういうヤツがいて筆者もその中の一人だったのだが、当時の私はカッコ良い洋楽が好きなのではなく、
洋楽を聴いているという事実そのものがカッコ良い事なのだと勘違いしていたのだ。

中学生の頃、そんな風に洋楽ばかり聴いていたせいで話が合う人間がまったくおらずに若干ひねくれた暗い性格であったし、
「コイツらはこんなカッコ良い音楽も知らないのか、くだらないヤツらだ」などとちっともくだらない事ではないのだが、内心常に思っていた。
しかし家に帰って音楽を聴いてギターを弾く事が最大の娯楽であった当時の私は、少なくとも音楽そのものを拠り所にしていたと思う。
しかし、
高校に上がると私立で地元から離れていたせいもあってか、様々な地域から色々な人間が集まってくるので多少は話がわかる人間も増えてきた。
とはいえ全員が音楽雑誌を購読するほどにロックバンドに精通しているわけではないので、本当に話の合う人間はほとんどいなかったのだが、
そこでずっとギターやバンドをやっていて、彼らよりもたくさんの音楽を知っている自分に優越感を感じてしまった。
マイノリティであることを鼻にかけ、有名どころですら誰も知らないであろうジャンルのCDを買い漁った。
挙げ句の果てに洋楽をたくさん聴いている人間が偉い!なんて結論に達してしまったのだ。

日本のインディーズのハードコアパンクを中心に紹介する深夜の音楽番組なども毎週チェックして、インディーズ専門のレコード店などにも入り浸っていたのだが、
さすがにここまでディープな話題になると誰もついてこれないし自慢気に話したところでポカーンとされるだけであった。
なので当時の私は、相手はおそらく音楽は聴いた事はないが名前ぐらいは知っているであろう洋楽のロックバンドの名前を覚えて、CDを手に入れるので必死だった。
夏フェスなんかに出演していたバンドのほとんどをチェックしていたし、
そんなバンドの名前を会話の中に挙げて「えっ?知らないの?」という事で快感を覚える、なんとも頭でっかちな嫌なヤツに成り下がってしまった。
遂には「日本のロックはダサイ」などと盛大に勘違いし見下し始め、
他人が夢中になっている邦楽のアーティストを軒並みこき下ろす暴挙にまで至ってしまったのだ。
それはもう嫌われるところからは大いに嫌われていたのだが勘違いというのは恐ろしいモノだ。
単にウザイから嫌われているだけなのに、その感情を嫉妬や劣等感なのだと捉えて更に私はテングになっていた。

もちろん今現在に至るまでそんな程度の低い思想を引きずったりはしていない。
自分が影響を受けたであろうミュージシャンに洋楽も邦楽もプロもインディーズも関係ない。良いモノは良いし好きなモノは好きだと胸を張って言えるようになった。
しかし、以前も書いたと思うが若かりし日の憧れというのは時に世にもおっそろしい勘違いを引き起こすモノなのだ。
対象が大きければ大きいほどに、遠ければ遠い存在であるほどに、あたかも己が憧れのそれそのものになったかのように感じられてしまう。
その存在を知れば知るほどに、ちょっとでも近付きたいと願えば願うほどに、
そんな風に讃えられたいという功名心が先走ってしまうのだ。
近付いてもいなければ何も成し遂げていないにも関わらずだ。

今思えばアイツもそんな感じだったなぁ、なんて知人を数人は思い出すし、今でもそうなんだろうなぁと思う知り合いのバンドマンだっている。
なんだか10代の頃の自分を見ているようで、恥ずかしくて目も当てられない。
ああ、誰か。多額のお年玉をもらってオモチャ屋へと急ぐ正月の小学生のように恥ずかしげも無くはしゃぐアイツらを止めてやってはくれないか。
手に入れた知識をひけらかしたくてたまらないのだ。私には痛いほどよくわかるし彼らの話を聞いていると耳が痛くて痛くてたまらないのだ。

とはいえ、そんな痛々しい少年時代を過ごしていたおかげで、隅々までとは言わないまでもそれなりに音楽には詳しくなったのは幸いだった。
そればかりではいけないが、やはり知識量というのは先々役に立つこともあるし知っておいて損はない。
知らなければ表現することも出来ないし、新しいモノを産み出す事すら容易ではなくなるのだ。
何より、自慢気に己の知識を振りかざしてウンチクを語るよりも、
自分の好きなモノは如何に素晴らしいものでどういった所が好きなのかという事を伝える事に熱心になった方が何倍も楽しいではないか。
それはそれで熱くなり過ぎてうざがられるような気もするが、筆者はそんな話を聞くのが好きだし、その素晴らしさを体験してみたくなるような気がするのだ。

きっとそんな勘違いした若者がこの国にはたくさんいるのであろうと考えると少しムズムズするが、
そんな彼らが本当に愛する事の出来る音楽と出会える事を心から願っているし、
そんな彼らがライブハウスのステージに初めてあがる瞬間を見て、同じステージに立つ事が出来る日を、
私はずぅっと心待ちにしている。

そんな日のライブの打ち上げで、
私はむず痒い思いをしながらも、彼らのそんな実力の伴っていない偏った話をウーロンハイを片手にニヤニヤしながら聞いていたい。
それを更に上回る知識量と比較にならない経験値でもって、
若造などまったく相手にならない圧倒的なパフォーマンスを見せた後に上から叩き潰してやるのが私の夢だ。
全然性格が直っていないではないか。だから私は嫌われるのだ。

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