ほっくんのぶっつけ本番2
ブログスタイルの不定期エッセイ「ほっくんのぶっつけ本番」
前回の更新からどれだけ間が空いただろうか?
確認してみたら実に半年以上空いているではないか。
何を書いたかすら覚えていないのでチラッと読んでみたら、コロナ禍で仕事がなくなり、しばらくお休みしていた頃なのか。
あれからもう半年。慣れないデスクワークもなんとか馴染んできた。
しかし、しかしだ。言い訳はすまいが、もう本当に書く時間が取れない。いや、恐らく取る気がないのだ。
それほどまでに、娘が可愛くてたまらない。
無理して頑張って育児に参加しているわけではなく、嬉しくて楽しくてたまらないので、文句は一切受け付けない。
と、久々に書く気が湧いてきたので、つらつらと書かせていただこう。
娘にとっては生まれて初めてのクリスマス、
素敵なパーティーにしたいと腕によりをかけてご馳走をこしらえた。
チキン、グラタン、プライドポテトにサラダ、
ケーキとピザは買ったものだが、食べきれるはずがないような量のご馳走と、
娘には鶏胸肉と野菜たっぷりミートボールに、野菜たっぷりトマトソースをかけたものを作った。
愛情も漏れなくたっぷり注ぎ込んだ甲斐あって、
「早くしろ」と言わんばかりにせっつかれ、私の食事が疎かになってしまうぐらいには気にいってもらえたようだ。
すると、愛する妻がクリスマスプレゼントだといって小包を2つくれた。
常日頃から私に愛を注いでくれて、腹を痛めてこんなに可愛い娘を産んでくれて、
これ以上欲しいものなど何もないから、私のプレゼントなど必要ないと言っていたのに、何とも粋な女である。
ちなみに妻にはスニーカーをプレゼントした。まぁ家計を握っているのは彼女なので、ポチったのは彼女なのだが。
箱を開けてみると、
ヒーター機能が付いた熊ちゃんのアイマスクに、ワイヤレスのイヤホンであった。
つい先日、少々目を患い、眼科にかかった私を心配してのアイマスクと、
夜な夜な家事をしたり食事を作る際に、イヤホンで音楽を聴きながらめちゃくちゃグルーブしまくっている私を、コードレスにすることで更に解き放つ意味をこめてのワイヤレスイヤホンである。
これでバッチリな睡眠がとれるし、
イヤホンをしていることを忘れて移動と同時にスマートフォンがシンクにガタンと落ちてしまうこともない。
映像を見ながらYouTubeで音楽が聴ける。
自分が買わないモノをもらっても嬉しくないと思っていたが、
上記2つは結構必要なのにも関わらず、アナログ人間であるがゆえに「買う」という発想がないモノだったので、
コイツは良いものを貰ったものだと、そこそこはしゃいで活用している。暖かいアイマスクを付けて昼寝をすれば寝覚めスッキリお目目パッチリ。疲れ目に悩まされた日ともオサラバである。
夜中、ワイヤレスイヤホンをつけて翌日分のおかずなどをあらかじめ作り置きしていたのだが、とにかく作業がはかどるはかどる。何せイチイチスマートフォンを移動させなくても、どこでも行けるのだから。
なんだか楽しくなってしまって、オールディーなナンバーをアホほど聴いた。
ジミ・ヘンドリックス、マディー・ウォーターズ、ヤードバーズ、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーン。
レッド・ツェッペリンにディープ・パープル、ジャニス・ジョプリンまで、
YouTubeでライブ映像を見ながら大いに楽しんで料理をした。
そういえば、家事をしながらとはいえ、こんなにもゆっくりと音楽を楽しんだのは久しぶりだ。
致し方ないことではあるが、
昼間仕事をして家に帰ったら、後は夕飯と風呂と娘の寝かしつけのみ。
広い家に住んでいるわけでもないのだから、夜中にステレオで音楽をかけるわけにもいかない。
思えば音楽とは距離を置いた生活を営んでいたものだ。
個人的な意見ではあるが、
CDやレコードなどはCD・レコードプレイヤーで聴いてなんぼだと思っていたし、現時点でもそれは正しいと思っている。
音源を制作することは、そもそも音楽を聴くツールをもってして視聴することを想定して作っているのだ。
また、どれだけ安いものであれ、音楽を聴く事を目的に作られたもので聴いてこそ、真価を発揮出来るものだと、私は思っている。
しかし、時代の流れからCDの売上はどんどん下がり、
データをダウンロードしてデバイスに保存し、ワイヤレスイヤホンでいつでもどこでも音楽を聴けるツールが進歩した。
最初の頃こそロクな音質じゃないものであったが、
端末も、音楽も、ニーズに合わせてどんどん進化したのだろう。
妻に貰ったイヤホンでYouTubeを視聴すると、驚くほどに音が良いのだ。YouTubeなので音質には限界があるものの、新しい音楽と出会うために夜な夜な検索をかける分には、十分過ぎるほどの音質だ。
しばらくまともに音楽を聴いておらず、なかなかインプットが確保出来ない状態だったが、
悲しきかな、音楽ツールのインプットも、そろそろ必要になってきたのではないかと、
プレゼントにウキウキする反面、CDというコンテンツの限界と、新しいコンテンツの魅力的な面に気付いてしまい、どうにも少し寂しい気持ちになってしまった。
もう、必死になってバイトして、生活切り詰めてレコーディングして、朝までかかって製作したCDを手売りする時代ではなくなってしまったのかもしれない。
もしかしたら、とっくに気付いていたのかもしれないが、どうしても認めたくない自分がいたことは確かである。
私のバンド、ザ・パイロッツも、昨年配信でワンマンライブを行い、普段よりも見ていただけるお客さんが多かったこともあって、
妻への感謝とは別のところで、少し落ち込んでしまった。
30代も半ばに差し掛かろうとした今、堅苦しい思考回路は捨て、もう少し柔軟に物事に大して取り組むべき時がきたのかもしれない。
頑固に、不器用に、現役バリバリで全国津々浦々駆け巡っていた頃の自分では考えられない事だが、
ある種の成長と捉えることで、少しでもステップアップに繋がれば良いのではないかと思うことにしたが、
断固としてアナログを愛していた自分を否定する事は出来なかった。
元来私は頭の固い人間である。
そのため不利益を被ったことや、最善を選択出来なかったことなど、嫌になるほどあったが、
それのせいで自分の考え方や、そうやって生きている自分が嫌いになったことはない。
結局自分が好きになるモノを、とことん愛していくしかないのだ。
物事に柔軟に取り組むことと、自分の嗜好を変化させることはイコールではない。
未だに古きよき時代の、60年代のウッドストックで演奏されたような音楽が大好きだし、ファンクやブルースもそうだし、それらをステレオで聴くことが最良であると信じているわけだ。
こればっかりは、どうにも否定出来ない事実なのだから。
頑なに信じてきたものを、新しさを取り入れた瞬間に全否定するなんて、あまりにも過去の自分が可哀想ではないか。
古いものは古いものの、新しいものは新しいものの素晴らしさがある事を感じながら、今日も私はYouTubeで大好きなミキの漫才を聴いて声を殺して笑うことにする。なんでやねん。
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