父ちゃんはバンドマン4
■バンドマン、父親の務め■
こんな見た目をしているが、こう見えて実は、私は結構な子煩悩だったりする。
学生の頃なんかは、実家の近所の子供達と遊んでいて、ウチの母親よりご近所のママさん方との交流が深く、
お宅にお邪魔してオヤツやジュースなどをいただいていた。
ライブハウスに小さな子供を連れた親御さんなんかがいると、知り合いでも赤の他人でも、知らないウチに私が遊び相手になっていたり、
一番最初に産まれた甥っ子など、父親に抱かれても泣きわめくのを止めないのに、私が抱いて寝かしつけるとスヤスヤと寝息を立てていたものた。
その妹(姪)にいたっては、私の膝の上が特等席であり、よく昼飯のカップラーメンを
食いしん坊な彼女に7割方食べられ、出先で「なんでこんなに腹減ってるんだ?」なんてこともあった。
そんな私がいざ自分の子が産まれれば、もちろんその技量を惜しみ無く発揮し、
大いに子育てにおいて大活躍したのだろうと言えば、実はそんなこともなかった。
私自身、甥っ子や姪っ子の面倒をよく見ていた事もあり、少々育児をナメていたのであろう。
ほんの少しの期間で、一時的に育児に参加していただけの私では、恐ろしいほどに力及ばず、
愛する妻の必死のサポートがあったにも関わらず、自分の役立たずさと情けなさに夜な夜な涙していた。
私はまだ娘が妻のお腹の中にいた頃から、自分のようなチンピラまがいのろくでなしに、子育てなど務まるのか?という思いに大いに悩まされ、酒浸りになることがしばしばあった。
お得用の焼酎はあっという間になくなり、夜中の3時過ぎまで安い日本酒をチェイサーのように呑み、翌朝死人のような顔で仕事に出掛けていたものだ。
マタニティブルーならぬ、パパニティブルーってやつだ。
まぁどう考えても産まれてみないことにはなんとも言えないので、おとなしくオンギャと産まれるのを待つことにした。
「悩む時点で正解だよ」などと言うならば、もうちょっとぐらいうまくいってくれれば良いものを。
娘可愛さにオムツもお風呂も可能な限りの事に挑戦してみたものの、うまく出来ない事にただ焦り、娘を泣かせては打ちのめされる日々であった。
妻であれば何の問題もなくやりきれるはずなのに、何て自分はダメな父親なのだろうと、夜中に妻に泣き言を吐いた事も一度や二度ではない。
オマケに男の筆者にはおっぱいなど出やしないのだから、何の生産性もない自分では、この家庭に必要ないのではないか?などと、今思えば何とも馬鹿げた事で枕を濡らした事もあった。
妻も娘も、そんな事一言も言っていないというのに、何とも情けない姿を見せてしまったものだ。
世のパパ上様達、頑張るのだ。
男とは、本当に役立たずである。
命懸けで産み、命懸けで産まれてきた妻子に、その時点で大きな、本当に大きなリードを許している。
父親のプライドを捨ててはいけない、何もかもかなぐり捨て、全霊をもって愛する家族を抱き締めるのだ。
疲れたくたびれたなんて話は一旦排水溝に流しておけ、まずは皿を洗い風呂を洗い、娘の服だけ分けて洗濯機を回すのだ。
世のパパ上様達、頑張るのだ。
妻の言葉に耳を塞いではいけない、子供にはわからないだろうとぞんざいな扱いをしてはいけない。
私達に出来るのは、体を動かす事と、
妻の声を聞き、子供に愛を語る事だけだ。
軽くで良いから教育テレビの歌とダンスを覚え、覚えていない分は気合いとオーバーアクションでまかなわなければならない。
なぜ休みなのに平日以上に疲れているのか、こっちが聞きたいぐらいだが、
一般的な話であるが単純明快、男の方が頑丈なのだから、唯一のアドバンテージをみすみす捨ててはいけない。
我が子とは、想像以上に可愛く、想像以上に手のかかるものだ。
加えて、一番可愛い時期が一番大変で、目に焼き付ける時間すら取れず、
手のかからなくなる頃には、きっと一緒に手を繋いで眠ったり、ほっぺたにチューなんてしてくれなくなる。
頼んでもいないのに、大きくなるスピードと子育てにかかる手間だけは尋常ではない、多くの子供にとって、親の都合など関係ないのだ。
だが同時に、私達親も頼まれてもいないのに勝手に産んだのだろう?
たまに息抜きは必要だが、親は親であることを休む事は出来ない。
誰もまだ見ぬ我が子に、ピストルを突きつけられ「俺を産まねば脳漿ぶちまけっぞテメー」なんて脅されたわけではあるまい。
勝手に産んでおいて、面倒になれば逃げるなんて、そりゃあ許されないことだ。
そして子供は勝手に産まれてきたわけではない、
子供自身と、愛する妻の命懸けの共同作業の果てに、奇跡的にこの世に産まれ落ちたのだ。
ほんの少しでも、しっかり子供の事を見つめていようではないか。
いつか手を離れていくはずの我が子を見て、無邪気な寝顔の一つ思い出せないなんて、そんな情けない父親にはなりたくないものだ。
私は随分丸くなったなぁ、いよいよ焼きが回ったなぁと思いつつ、
水仕事でガサガサになった手を眺めて吸う深夜のタバコの時間が、
案外嫌なものではないなぁなんて、こっ恥ずかしいことを考えているのが好きなのだ。
そんな時間に、どうすればうまくやれるかと自分なりに懸命に考えて、随分苦労したにも関わらず、まだまだ課題は山積みだ。
しかし、我が妻と娘は、何にも出来ない、何の役にも立たない私に、「父親」という誉れを与えてくれた、私を何者かにしてくれた最愛の人だ。
決して立派な父親ではないし、おそらく、一般的な「良い父親」にはなれやしないであろう。
それでも私は、「父親」でいれる事が好きなのだから、
踏ん張れる体力があるうちに、精一杯頑張ってみようと思うのだ。
限界まで抱き上げ続ける「高い高い」でその半分は既に持っていかれたような気もするが、あと半分でやれるところまでやってみようと思うのだ。