父ちゃんはバンドマン1
■バンドマン、親になる■
「人生とは何とも不思議なモノだ」
そんなありふれた文章で始まる書物などいくらでもあると思うのだが、
やはり人間不思議な事があるもんだなぁと思ってしまうとそういうセリフしか出てこないモノなので、やはりこの始まり方が妥当なのだろう。人生とは何とも不思議なモノだ。
令和2年1月2日午前3時23分、
元号が変わって初の年越し翌日、
何とも覚えやすい日付と時間に新しい命がこの世に産まれ落ちた。
初産にも関わらず分娩台に座りいきみ始めてからものの2時間足らずという脅威のスピード出産ではあったが、我が妻と子の命懸けの頑張りにより可愛い女の子が産声をあげた。私はこの日、父親になった。
私は学生時代もろくに勉強もせず親に心配をかけながら音楽にばかり夢中になり、高い金を払って専門学校でドラムを学んだかと思いきや、いとも容易くスティックを捨てギターを片手に歌い出し、ライブツアーで全国津々浦々駆け巡り、まともな金銭の一つ家に入れる事もままならないまま30年間生きてきた。
もうそろそろ落ち着く頃かと思いきやこの男は何を血迷ったのか30を過ぎて上京すると言い出し、まともな親孝行も出来ないままに夢に現を抜かしていた。
一人立ちしたは良いものの定職にも就かずラーメンばかり作ってアルバイトに精を出し、やはりライブツアーでまるでついでのように久しぶりに家に帰って来た息子が「結婚しようと思っている人がいる」と告げた時には、我が両親はさぞ驚いた事であろう。
もちろん妻のお義母さんもさぞかしびっくらこいたに決まっている。
夫を早くに亡くし、女手一つで育て上げた娘が見せてきた彼氏の写真がビンビンに逆立つモヒカンヘアーでギターを掻き鳴らし目ん玉ひんむいて叫び散らす私だ。
今では私達夫婦の良き理解者である義母であるが、「この人だけはやめてくれ」と哀願していたと後に妻から聞いて判明した。
今さら私がそんな事で傷付くはずがない。激しく同意するからである。やめておけば良かったのに。
我が妻のことながら、全く見る目が無い女である。他はバッチリであるだけに、それだけが悔やまれる
しかし、一番ビックリしているのは他ならぬ私だと言う事も、読者諸君にだけはわかっていただきたい。
まさか親が元気でいてくれている間に結婚出来るとも思っていなかったし、孫の顔を見せてやれるなんて毛程も思っていなかった。何よりも娘の可愛さにおったまげである。
「可愛い」という理由で急に涙が出てきたことなど数えきれないし、目の前にいようがいまいがお構いなしにポロポロとこぼれる。
情緒不安定にもほどがある、さぞかし隣にいる人はビックリしたであろう。
娘よ、この世界へようこそ。しっかり者の綺麗な母ちゃんと、ちゃらんぽらんでやや激しめの父ちゃんの元へ来てくれて本当にありがとう。
とはいえ、こんな父ちゃんと一緒にいれるお前の母ちゃんも、そこそこに激しいのだが、圧倒的に母ちゃんの方を真似て生きて欲しい所存だ。
何も望まないし好きに生きて欲しいが、可能であれば私の真似はしてほしくないものだ。
なぜなら、父ちゃんはバンドマンであるからだ。
ろくに役に立つ事も教えてやれないが、
きっといつかお前に届く歌が歌えるようになるまで、死ぬほど生きて頑張り抜くのだと決めた。
これはろくでもない父親が可愛い娘のおかげで一生懸命努力して成長していく奮闘記である。きっと成長していく、はずなのである。
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