マジでどうでも良い事つらつら1

■バンドマン、人生の無駄遣いをしよう■

大体の場面において他者との会話というものは8割から9割方どうでも良い話で構成されていると私は思う。
人生で生きていく上で全くもって必要の無い話がほとんどであるし、つまりは人間が通常の生活を送ってただ飯を食っていければ良いという面に対しては全く必要の無い事ばかりがかなりの割合を占めているということだ。

家族との会話や酒の席で花が咲く話題、職場やバイト先での世間話、いずれも生きていく上で何の役にも立たない話ばかりなのだ。
より美味しいモノを食べたり、よりお金を稼ぐ方法だったり、
女の子の口説き方やどこの観光地が楽しいだとか、はたまた豚骨ラーメンか魚介系かどちらが好きだとか、
一体人間が心臓を動かし続けて行く事に何の関係があるというのだろうか。

かくいう私が執筆しているこのエッセイも例外ではない。「バンドマンのエレジー」なんてタイトルで始めてみたものの、一般の方だろうが同じバンドマンの視点であろうが、こんなモノを読んだところで読者諸君の明日に変化が訪れるはずはない。
明日も朝起きる事が出来て心臓を動かせていれば良いのだ。生物とはそうやって己の子孫を残し繁栄させていく事が目的であり、そしていずれ滅び去っていく運命なのだから。

とはいえ私達は人間である。
幸か不幸か考える力を他の種族よりも持ってしまい、それを駆使し文明を進化させ世界を発展させてきてしまった。
あの女の子のおっぱいは何カップなのだろうか?等と邪な事を考える暇も、この便利で不自由な世の中がもたらした余裕そのものなのだ。
多国籍が過剰に混ざり合いもはやオリジナルと言っても過言ではないカルチャーが所狭しと蔓延するこの小さな島国では、もはや余計な事を考えていないと気が狂ってしまうのかもしれない。無心とは時に狂気とも言えるのだ。

ならば私はあえて書こう、余りにもどうでも良い話を。
あえて自分の関心事からさえも外れに外れた内容をつらつらと書き記して行こうと思うのだが、どうでも良い話ほど余りにも数が膨大過ぎる。
よって、筆者が幼い頃からの記憶を遡ったり、朧気にしか覚えていないことを無理矢理掘り起こさないと成立しない。
私がどのような事をどのようなベクトルで考えながらどのように成長しどのように失敗したのかを暴露していくに等しい行為だ。
ついでに言うならこれで読み物として面白いモノが書けなければそれほどペラッペラな人生を歩んできたということを世に晒す事になる。あぁなんと恐ろしい事を。

しかし、下る下らないは読者が判断してくれれば良いが、忠告はしよう。読まない方が良い。本当に下らない話しか書かない、時間の無駄だ。
その他のエッセイでさえ、箸にも棒にも掛からないような事しか書いていないのに、私の頭の中でさえも凄まじくどうでも良いと自認している内容を書くのだ。
ついでに言わせてもらうなら下品な話や汚い話も書く。
ライブの打ち上げでしこたま酔っ払っていなければ到底話せないような話も、家族に読まれると色々ちょっとマズイ話も意を決して思い切り書こうと思う。誰にも邪魔はさせない、ここは私の自己表現の場なのだ。

しかし、本当にオススメ出来ない。
現在はストックを書き貯めている段階なのだが、それぞれを読み返してみると本当に不毛だ。便秘がヒドかった時の話なんて誰が読みたいのだ。こんなもの、人生の無駄遣いにも程がある。
良いか?私はちゃんと言ったぞ、読むべきではないと。知ーらない、知ーらない。である。

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