silentを見て
私はドラマや映画で、ものっすごく泣くタイプだ。
今回は、話題作であり、人の切なさが心に響くこともあり、毎回欠かさずこの作品を見ているが、第6話は大号泣だった。生まれつき耳が聞こえない女性が失恋する直前で、彼女の恋心が描かれた回だった。
手話を通じて、知り合った2人の思い出シーンが静かに美しく思えた。
さて、実は私にとって手話は、身近な第二言語だと言える。手話との出会いは、小学3年生の時。担任の先生が、手話で「あいうえお」を教えてくれた。うちに帰って、母に手話を見せたら、その夜母が先生に電話をかけて「子どもが手話に興味を持ってくれて嬉しかった」と伝えていたのを聞いた。きちんと習い始めたのは、中学の時に見つけた近所の手話教室で。講師は朗話者で、クラスメイトは全員女性。看護師さんをしている人がいた事を覚えている。手話を学ぶのは、本当に楽しかった。バナナやみかんは、手話よりジェスチャーに近いし、鳥取県を表す手話は、鳥の嘴を真似るため冗談をいってるみたいだった。そして何より、秘密の暗号で話しているみたいでかっこいいとまで思えた。初めて手話ボランティアに参加したのも、中学の時だった。結局私は高校で県外に出るまでの3年間、手話を学び続けた。それからしばらくしてまた手話と関わり始めたのはアメリカの大学院で。応用言語学という分野を研究していた私は手話が言語であるという基本的な考えの元、学生が手話を学んだ際の長期的記憶や言語習得について論文を書いた。その際に、半年間アメリカ手話の教室にも通った。日本語とは違うABCの手話の世界は、英語も完璧ではない私にとって異次元に感じた。こんな感じで、私の人生で、手話は身近な言語であり、コミュニティだった。
海外での手話経験から学んだのは、言語とコミュニティの事だ。手話で結束される(生まれつき)朗話者コミュニティとヒアリング(発達段階で聞こえなくなったり、難聴者)コミュニティには、違いがあり、それぞれのコミュニティはその違いを理解した上で共存していた。各コミュニティの手話は文法も異なり、単純な方言レベルの違いとも言い難い。互いに表現方法の違いを確認したり、指摘しあったりすることも少なくない。朗話ファミリーの中にヒアリングの子供が生まれるときも、喜びと複雑な気持ちが錯誤する。日本社会の中に外国人が生活できるように、朗コミュニティにヒアリング者は住める。ただ、そこにはやっぱり人間の心情があるのだと思う。私がもし聴こえていたら、私がもし話せたらなら、世界はどんな風だっただろうか。どんなにポジティブで、恵まれた環境にいても、ふとした時に想像してしまう願いなんだろうとおもう。そんな気持ちを思いながらsilentを見ると、また今週も号泣しそうだ。