ミシェル・ビュトール『レペルトワールⅣ』(石橋正孝 監訳/幻戯書房)
二週間のご無沙汰でした。玉◯ヒロシです!というか、毎度お馴染み、陰獣半引用です。/
読みかけの『レペルトワールⅢ』を中断して本書を手に取ったのは、日本翻訳大賞に詩集と同じぐらいしか売れないという本書を推薦したかったからだが、突然フラッシュバックに捉えられ、なかなか抜け出せないまま推薦の締切日を徒過してしまった。
掟の刺客は僕のような箱男の内部にも巣食っていて、油断してると不意に毒針で刺してくる。おそらくこれからも一生逃れる術はないのだ。/
文学の冒険者ヌーヴォー・ロマンの作家ビュトールは、文学、思想、絵画など各界の冒険者たちについて熱く語っている。
◯「ヒエログリフとサイコロ」:
フーリエは、『産業的協同社会的新世界』において、二十歳の若者と八十歳の婦人の恋愛について書いたが、その文章は、党派の勢力拡大を目指す弟子たちの手で、多くの削除を被る。
年の離れた男女の恋愛は、逆のバージョン(高齢の男性と若い女性)なら許せても、この組み合わせは世間的にあまり芳しくないとの配慮からだ。/
【移り気(アンコンスタンス)がようやく全面化し、調和の原理の一つとなる理想社会において(註)、初めて貞節(コンスタンス)が現実となることができるだろう。】
【註:フーリエは、社会的な絆を編成するという重要な役割を果たす三つの機構的情念として、複合(原語略)、密謀(略)、移り気(略)をあげている。移り気が産業や恋愛において解放されることによって、人々の行き来が促進され、さまざまな新奇な結合が形成される。】/
道徳や善悪、ひいては罪とされるものの内容は時代とともに変わって行く。
たとえば、プルーストの時代には罪であった同性愛も、1982年に非処罰化され、現在のフランスでは市民権を得ているように。
現代の日本では、不倫(特に女性たちの)に対しては激しいバッシングが巻き起こるが、僕は自身が典型的な寝取られ亭主タイプであるにも関わらず、いつかフーリエが夢想したような時代が来るような気がしてならない。
Ô 世間 Ô 社長 貞淑な心が何処にある!/
◯「ジルベール・ル・モーヴェの七人の女 もうひとつの七面体」:
大好きなプルースト『失われた時を求めて』に関する評論なので、嫌が上にも期待が高まったが、残念ながら僕には、『レペルトワールⅠ』の「マルセル・プルーストの「瞬間」」における「三本の鐘塔」の謎解きの方が面白かった。/
◯「百頭女の語ること」:
マックス・エルンストに関する評論。/
【ロートレアモンの決まり文句ーー「解剖台の上のミシンと傘の偶然の出会いのように美しい」ーーを援用しながら、エルンストはコラージュを「二つの互いにかけ離れた現実同士の、そぐわない背景での偶然の出会いの明白化」と定義する。(略)
《その素朴な用途が一たび決定されてしまったかのように見える完全に出来合いの現実(傘)が突然、非常に離れたところにある、同じぐらいばかげた別の現実(ミシン)と、双方が場違いだと感じるに違いない場所(解剖台の上)で相見え、このこと自体によって、その素朴な用途とアイデンティティをすり抜ける。現実は、その偽の絶対性から、相対的なものを経由して、真正にして詩的な、新たなる絶対性に行き着くーー傘とミシンは愛を交わすだろう。(略)完全なる〔錬金術における〕変成が、愛の行為のように純粋な行為に引き続いて生じるーー一見すると交合不可能な二つの現実の、それらにそぐわない背景での交合。〔『絵画の彼岸』〕》】/
◯「臣従の誓い」:
最初「ドニーズのために」というタイトルで雑誌のクロソウスキー特集号に発表されたエッセイ。ドニーズはクロソウスキーの妻。
クロソウスキーに捧げたビュトールのオマージュが熱い!/
【自分がどうなっているのか、何であるのか、誰であるのかがもう分からなくなってしまったようなときであっても、彼女(※)は必ずそこにいて、愛撫ひとつで、あなたに自分の名前を取り戻させてくれます。あなたの輪郭線がことごとくこんがらがり、消されてしまうようなときであっても、彼女はあなたの素描(デッサン)の力であり、
私めは、あなたの忠実なる〈猿のアントワーヌ〉なのです。】/
※「彼女」:
註によれば、「彼女」とは、第一義的にはクロソウスキーの『ロベルトは今夜』におけるロベルトを指すが、同じく女性名詞である「文学」も重ねられていると見るべきだろうとのこと。/
こりゃあ、何が何でもクロソウスキーを読まねばなるまい。/
訳註がたびたびビュトールの勘違いや誤記を指摘してくるので、高校の英語の授業中に、ポーの『黄金虫』に刺激されて、教科書中のアルファベットの出現頻度を調べていた愚か者は、さっそく数えてみた。
驚いたことになんと八ヶ所もあった。
さしものビュトールも墓場でびっくりだろう。
本書の元本が出版された1974年は、ビュトールはまだ48歳だから、呆けていたはずはない。
まあ、本文が翻訳で二段組460ページの本なので、ボリュームからすれば、このくらいあっても不思議はないのかもしれないが。
いずれにしろ、訳者の先生方、良い仕事してますねえ!
日本翻訳大賞でなくて申し訳ありませんが、僕から謹んで象印賞を進呈します。
原書の読めない僕には訳文の善し悪しは分からないので、僕から差し上げられるのは、せいぜいこれぐらいしかありませんが、そのかわり次作も必ずや購入させていただきます。/
訳者の方々に一つご提案があります。
海外文学の売れ行き低迷が叫ばれるおり、先日の立教大学でのヌーヴォー・ロマンのイベントのような海外文学関連のイベントを、ぜひオンライン併用で開催して欲しいのです。
かくの如き危急存亡のおりには、全国三千人の海外文学ファンの力を結集して当たらなければなりません。
なにとぞ、ご高配のほどよろしくお願い致します。/
海外文学の翻訳がペイしない稼業であることは、あの沼野充義先生ですらこぼしておられたところです。
それでも、文学の冒険者たちヌーヴォー・ロマンを翻訳するという翻訳の冒険者たちよ、負けるな一棒ここにあり。/
僕が若かった頃、東京の本屋の棚では、ヌーヴォー・ロマンの花々が色香を競い合っていた。
ビュトール『心変わり』、ロブ=グリエ『嫉妬』、ナタリー・サロート『黄金の果実』、クロード・シモン『フランドルへの道』。
それらは文字どおり「新しい小説」の代名詞であり、文学のトップランナーだったのだ。
あの光景を生涯忘れない。
ヌーヴォー・ロマン、オン・マイ・マインド!舞雲呑丼裸婦!/
上記以外の作品:
◯「旅とエクリチュール」
◯「絵画のなかの言葉」:先日、清水徹訳の同書の感想でふれたので、ここでは割愛する。
◯「ヴィヨンの韻律法」
◯「ヒエログリフとサイコロ」:ラブレーについての評論。
◯「螺旋をなす七つの大罪」:フローベール「聖アントニオスの誘惑」に関する評論。
◯「ボードレール小品」
◯「短編映画ロートレアモン」
◯「実験小説家エミール・ゾラと青い炎」
◯「変容」:画家ジャック・エロルドについての評論。
◯「陰険な者たちのパレード」:イラストレーター、ソール・スタインバーグに関する評論。
◯「ちょっとした合図」:スウェーデン出身の翻訳家スンドマンについての評論。
◯「モデルの深淵で」
◯「魅惑する女」:ロラン・バルトに関するエッセイ。
◯「流行(モード)と現代人」
◯私の顔について」
◯「タイプライター礼賛」
◯「今日、あれこれと本をめぐって」