見出し画像

【四国八十八ヶ所巡礼】車遍路・区切り打ちで結願した話

突然ですがみなさんは「四国八十八ヶ所巡礼」をご存知ですか?
超簡潔に言えば、四国にある空海ゆかりの88つの寺を回ることです。

人間には88の煩悩があり、四国霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いがかなうといわれています。
徳島阿波(発心の道場1番から23番)、高知土佐(修行の道場24番から39番)、愛媛伊予(菩提の道場40番から65番)、香川讃岐(涅槃の道場66番から88番)に至る1450キロを巡拝し、最後に高野山に向かいます。

https://www.shikoku88.net/ohenro-guide/map/

2023〜2024年にかけて何度か四国を訪問し、車で88つ全ての寺を回り切りました!全て回ることを結願(けちがん)と言います。
今日は自分の記録も兼ねてnoteに残します。
(以下、「四国八十八ヶ所巡礼」を「お遍路」と表記します)

お遍路をすることになったきっかけ

大学1年生の時に興味ある!と真っ先に履修登録した「宗教学」の授業。
履修の時の「興味があるから」を分解すると、母親は真面目な仏教徒、その娘だった私も仏教的な考えとかをいろいろと教えてもらったこともありますが、あえてその環境から離れて別の観点を知りたくなり、ミッションスクール(キリスト教の中でもカトリック系)を選んだ中高6年間。
仏教的な考えと、キリスト教的な考えを両方学び、自分は特定の宗派・宗教に依らずフラットでありたいと、無宗教かつ共学に絞って受験した大学。
そんなフラットな状態でいたいと願う私でしたが、やはり宗教は幼い頃から大学生になるまで身近にある存在。もしかしたら何かに偏っていようとも、一旦学問として目の前にあるものを学んでみたいなと思いました。

教養学部だからこそ、無宗教の大学にも関わらず「宗教学」という、宗教の概念的なものを学ぶ場を得られたのかもしれません。

この宗教学の授業では、私の「もしかしたら何かに偏っているかも」という心配は無用で、例えば「祭が人々にとってどのような意味を持っているか」(日常の中に非日常である祭りがあることで、人々の団結・一致を導く”装置”となっている)→「ハレ」と「ケ」の概念など、10年以上経つ今でも覚えている学びを教えていただきました。
その宗教学の1つの授業に「四国八十八ヶ所巡礼」がありました。

授業を受ける前まではもちろんお遍路のことは知らなかったのですが、中学時代の旅行・高校時代の修学旅行を経て、「大学生になったら京都を一人旅してお寺を巡って仏像を見たい!」と思っていた大学入学当時。
(余談ですが歳をとるにつれてこんなにお寺や仏像が好きになっているとは、18の自分は想像もしていませんでした・・・そして、京都一人旅は大学1年の終わり・春休みに叶えることができました)

うっすらとお寺や仏像、ひいては仏教に興味があった当時の私は、お遍路の回の授業を終えて
「空海の修行の追体験ができる・・・お寺を回るから仏像も見られるし、私もいつかやりたいなぁ」
「でも歩き遍路はさすがにやばそう・・・(日数的にも、なによりも体力的に。女1人で回るとすれば防犯面も心配)」
「車で回るとしても(当時まだ免許を持つことは決まっていても、まだ持っていなかったので)免許があっても自分に運転ができるのだろうか」
と、現実面のハードルは見つめながらも、いつかお遍路をしてみたいという気持ちはありました。


そんな18歳の春学期から約9年後。
夫とまだ付き合う前に、趣味の話で「実はお寺とか仏像が好きで、年1〜2回は京都を中心に1人旅をするんです」という話をしたところ

旦那氏「お寺好きなんですね〜。そういえば、昔四国にある空海ゆかりのお寺を回るために四国一周しました。お遍路ってご存知ですか?」

もやお「え!お遍路!経験者なんですか!!!」


聞くところによると、友達と3泊4日・車遍路・東京から車を運転して東京まで戻る→時間的制約から御朱印なし・お寺への訪問&門の前で写真を撮る形で車遍路をしたとのこと。まさかの夫が経験者でした(ちなみに当時の願い事は叶ったそうです!)
この時は「四国の山道はまじでやばい」「夏の野宿は蚊地獄」「時間的制約から7〜22時まで回っていてきつかった」というマイナスな話しか出てきませんでしたが、結婚が見えた時からしばしば「いつか2人でお遍路をしたいね」という話はしていました。

そして私が仕事で高知県に行くことが増えており、出張のついでに区切り打ち(※88ヶ所全てを一気に回るのではなく、何回かに分割して進めること)で数年単位で回り始めようか?とお遍路を始めたのが2023年秋。

スタートしてみると、弘法大師御誕生1250年記念事業があり、2024年末までしかないものがあることを知って、2024年までに回りきれないかな!?と、数年単位で回るはずが、2024年末までに全て回り切る計画を立てることとなりました。

お遍路の工程と費用

我々は
・車遍路
・区切り打ち
・順打ち(※1番のお寺から順番に回ること)ではない
・本堂は必ず参拝するが、大師堂は任意
・御朱印をいただくため、開門時間内で回る=残業をしない
・読経はしない
形で回りました。

期間

以下の①→②→③→④で回りました。高知の東側から進めています。
若干観光等も入れているので、1日間フルでお寺だけを回っていたわけではない工程もあります。

②徳島全て(1〜23番)→3日間
①高知東側(24〜36番)→2日間
③高知西側〜愛媛+一部香川(37〜67番)→4日間
④香川(68〜88番)→3日間

費用

ざっくりですがこのくらいはかかります。1人あたりで算出しました。

御朱印:500円×88ヶ所=44,000円
御朱印帳:3,000円程度
納札:1冊(100枚)100円
台紙など:2,000円くらい?
飛行機代:1人あたり往復40,000円×4回=160,000円
宿泊代:1人あたり1泊10,000円×8泊=80,000円
レンタカー代:①②④は1回20,000円程度、③は30,000円程度(高知〜松山は乗り捨てしてるので価格上昇)→合計90,000円
ガソリン代:全部合計で20,000円程度?高知香川は高め。愛媛は今治あたりがとにかく安かった
 ↓
合計:1人あたり約40万!

なお、上記は1人あたりの費用で出しているので、2人だと60万を超えていました汗
飛行機・宿泊場所・レンタカーはなるべく楽天トラベルでまとめて手配するようにして安く済むようにはしていたので、トータル60万弱くらいで済んだかな・・・(どんぶり勘定な家計がバレますね汗)

区切り打ちの場合は特に区切る分だけ飛行機代がかかるので、1週間くらいまとめて休みを取れる&車を運転し続けることが体力的に大丈夫なのであれば、飛行機代を下げる観点でも通し打ちor区切っても2回程度にした方が良さそうです。

ただ、この費用をかけても行く価値はあります!!!

お遍路のあれこれ話

旦那氏談:良いお寺の条件

88もお寺を回ったので、1つのお寺を挙げてという感じではないのですが、
運転していた&1回お遍路を経験している旦那氏は「良いお寺かどうかは、駐車場から本堂までの距離次第」と言っていました。
つまり”歩きたくない”ということです爆笑
本来は全くそんなことはなく、本当は88のお寺それぞれに良さがあり、強みがあり、というところではあるのですが。

特に折り返しとなる44〜45番のお寺は本堂まで向かうのが大変だったことは今でも印象的です。
44番・大寶寺は舗装されていない岩場のような道を10分ほど歩くような状態だったので、平坦なアスファルト道ですら足を捻りまくる私は特に気をつけながら歩く必要がありました。
45番・岩屋寺は20分間の山登りです。舗装はされていますがほぼ階段です。9月に行ったとはいえそこそこ山の上なので涼しいはずが、それでも大汗をかきました。汗拭きシートとハンカチが大活躍です。

44〜45番以外にも、本堂まで50〜100段近くの階段があるお寺もざらにあり、お遍路は特に足腰が弱い方は注意ですが、逆に言えば現代人の体力のなさが露呈するのかもしれないと思いました。車遍路な時点でだいぶ昔よりは楽なわけで・・・
私は段差を見れば「階段だ!筋トレするぞ〜!」「空海からの修行命令だ!」と言い、なるべくポジティブに捉えるようにしていました。

その他の気づきなど

  • ガソリンの安さは愛媛>徳島>香川>高知。特に愛媛の中でも今治あたりが1番安い。ただ、愛媛も高知寄り(愛南町)とかだと高知価格

  • 徳島は歩き遍路用の次の寺への案内標識が多く、車遍路でも助かった

  • 高知東側でお寺以外を観光してたらマムシと遭遇。四国は熊はいない分歩き遍路で山を登っても安心なものの他の有毒動物は注意

  • 高知西側〜愛媛の松山くらいまでは道路に謎の番号が。調べると対空表示というものだった

  • 四国最大の都市・松山はお遍路と別でもう1回旅行に来て巡りたいと話題に。今回は高知〜愛媛まとめてのお遍路かつ最も訪問ノルマ寺数が多く観光が叶わず・・・

  • 香川県に入ると途端に次の寺への案内標識が増える(ほぼナビ不要なレベル)。逆に他の県はどうしたんだろう・・・

  • 香川でうどんを食べるなら山田家!ただ、激混みなので時間に余裕は必要

  • 自分たちのタイミングや回り方のせいもあるが、高知西側からほぼ歩き遍路の方を見かけず、歩き遍路の継続ハードルの高さを感じた。逆に終盤の香川になると逆打ち(88番→1番を目指すこと)でスタートしたての方が多いからか、歩き遍路の方がまた増える

番外編:温泉

おおよそ9-17時でお寺を回っていたので、夜は時間があります。
街の近くだったら夜は飲みに出かけることもありましたが、風呂好きな旦那氏がいることもあり、温泉を探して入りに行くことが多かったです。
行った温泉をここで紹介&おすすめしたいです!

徳島での出会い

長くなりますがこのエピソードを残すためにnoteを書くことにしたので残します。

徳島2日目、朝イチで12番・焼山寺へ向かっていた時、焼山寺方面から下っていく1人の歩き遍路(※歩いてお遍路をする猛者)の方とすれ違いました。
ちょうど前日に「前回の高知遍路は10月だったから歩き遍路の人もたくさんいたけど、今回は8月だからかなぁ?見かけないね、まあでも暑いからしょうがないよね」と話をしていた中ですれ違ったので驚いたのもありますが、それ以上に、一瞬見えた顔が中学生くらいの少年だったことが私をさらに驚かせました。
思わず「歩き遍路の人いたけど、中学生っぽい顔だった!!!すごすぎない!?仏道修行なのかな?」と運転する旦那氏に話しかけたものでした。

歩き遍路で我々の前を行くということは、車遍路なのですぐに追いつきます。
次の13番・大日寺で納経所(※本堂をお参りした後に行くと御朱印がもらえるところ)に行くと、なんと先ほどの少年がいる!!!

ただ、少年は自分の番が回ってくると、御朱印を書く方に対して(このお寺はお坊さんらしい風貌の方だったので、おそらく住職)とても申し訳なさそうに

少年「すいません、御朱印なしで、記念スタンプだけでお願いできますか」
住職「なぜだ?」
少年「・・・あの・・・金銭的に余裕がなくて・・・」
住職「いいよ、書いてやる。これが功徳ってもんだ。仏道にいる者として見過ごすわけにはいかない」
少年「・・・本当にすいません、ありがとうございます」

少年の後ろで見ていた私は、この住職の功徳の心にとても感動したことを今でも強く覚えています。


なお、その次に我々の番が回ってきて

住職「まあ、本当は全員に功徳って言って書いてやりたいんだけどね、そうもいかねえよなぁ!笑」

と言い、我々は普通に500円払いました。
旦那氏は住職のこのユーモアさに感動していました。


その後車に乗って出発し、歩き出した少年を抜かして進みましたが、その際に
・住職に、少年の分も御朱印代を払えばよかった!という後悔と、
・少年に少しでも手持ち金を渡したらよかった・・・という後悔と、
両方の後悔を覚えました。

歩き遍路の方を抜かしたので、当然車遍路の我々は戻らない限り会うことはありません。


・・・が、15番・国分寺に我々が着いたら、本堂前で読経する少年がいるではありませんか!

旦那氏と二度見して、
「あれ絶対さっきの少年だよね?」
『そうだと思う・・・』
「歩きなのに我々より先にいるのなんでだろ?」
と話していたところ、納経所で「記念カードを取りに来ました!」と言ってカードだけもらい、颯爽と1台の車に乗り込んだ少年。

「車で誰か知り合いがいたのかな?」
『暑いから車で移動できたならよかったよね』
と話しながら我々も出発。


ここで先ほど私の中で思った後悔を旦那氏に話しました。

「もし次また会えたとしたら、これは何かのご縁なはず。絶対に後悔で終わらせずに、自分にできることをしようと思う」


なんと途中から車がほぼ並走し、その次の16番・観音寺でも会うではありませんか。
ここで旦那氏が思い切って話しかけたところ、やはり焼山寺からすれ違っていた先ほどの少年でした。

聞くと、車接待を受けて途中から車で回っているとのこと。

「接待」とは四国特有のお遍路文化で、お遍路をする人は空海と一緒に歩いている(※”同行二人”という考え方があり、空海ともう1人で回っていると考える)ので、お遍路をする人をもてなすことは、つまり空海をもてなすことになるとのこと。
四国の地元の人の中には、特に歩き遍路をしている人を見かけると、無償で食べ物や飲み物、中には多少の金銭や宿泊所を提供するという文化があるらしい。

そういえば初日に泊まった鴨島のホテル近くのお祭りでお店の人と話していたら、「徳島は特にお遍路の最初の地なので、お接待文化が他の県よりも強いかもしれないですね。我々は”お接待の押し売り”と言って、とにかく歩き遍路の人には絶対に接待するんですよ」と聞いた。
自分たちの予定もあるだろうに、車を出して半日以上少年と回っている徳島の方、すごい。


にしても”お接待の押し売り”はパワーワードすぎる。


私は先ほどの後悔をこのまま引きずりたくなくて、「せっかく回ってるのに、御朱印なしは悲しいから。そうでなくても暑いし移動の足しにしてください」とお札を渡しました。
「受け取れないです!」「せめてお礼に!」といろいろ言われ何か渡してもらいそうになりましたが、「これは他の誰かに返してもらえれば良いから」と受け取らずに去りました。


ちなみにこのやりとりをする中で、中学生だと思っていたので
「10代ですよね・・・?暑いのに歩き遍路で回っていてすごいです!」
と話していたら
「あ、25歳です!」
とのこと。

車に戻って旦那氏と、以下2説のどちらかだよねと話をしていました。


・本当は10代の少年だが、10代というとナメられるので25歳と言っている
・本当に25歳で、実は女性(※声変わりしていないため。ただ、坊主頭)



「これで少年に抱いていた後悔もなくなったし、少しでも少年が御朱印ももらいながらお遍路できると良いね〜」と話しながら車遍路を続ける我々。
ただ徳島には1ヶ所だけロープウェイで向かうお寺があり、麓の最寄駅で車を停め、高所恐怖症で怖がる旦那氏を引っ張ってロープウェイに乗り、頂上に着いたところ・・・


なんと、先ほどの少年がまたいる!!!!

もやお「あれ、さっきの!」
少年「あの時はありがとうございました、やっぱり受け取ってください!」
もやお「いいんです、この先困っている人がいたらぜひ助けてあげてください。にしてもすごいご縁ですね!」

なんてたわいもない会話をしながら、また会うなんてなんという奇跡!と旦那氏と話しながら21番・太龍寺を参拝しました。


ロープウェイで戻ると、乗り場近くのベンチに少年がいたのですが、海外から来た歩き遍路の方と話していました。
挨拶をしてそのまま車に戻ったのですが、私から旦那氏へ
「あの2人、もう夕方だから宿に行くんじゃないかな。うちの車乗せてあげたらどうかな?」と提案。

すぐに少年の元に戻り声をかけると、少年は近くで宿が取れたものの、海外から来た歩き遍路の方は徳島駅までの戻り方を少年に聞いていたらしく、我々のホテルも近かったので車に乗ることに。


少年を通じてまた知り合いが増えました。
オーストラリアから来たTom。

ほぼ白髪のおじいちゃんという感じで、見た目から推察するにおそらく60〜70歳の男性。
ただやはり歩き遍路をするだけある、超絶体力ありそう。


真っ先に名前を聞かれたので答えると
「Oh,moët & chandon!」
やはりそれだよね!と思いながら、海外では男性の名前として有名らしく、過去名乗った時に怪訝な顔をされた経験があるので、日本だと女性の名前で有名な話をしました。

すると「日本人?」と聞かれ、
確かに白すぎてハーフだと思われたことがあったことを思い出しながら日本人だと答えると、
次は「海外に住んでいたことがある?」と聞かれ
帰国子女だと思ってるのかな?と思い、1ヶ月だけカリフォルニアに留学していたことがあると答えると

「そうなんだ!発音良いね」

まさかのネイティブに褒められてちょっと嬉しかったw


その後「E・K・Eとは友達なの?」と聞かれ、「E・K・Eって誰?」と聞くと、さっきの少年でした。
確かに名前を聞いていなかった・・・!

思えば、海外だとまず真っ先に名前を聞く・伝えるイメージがありますが、日本だとあまりその文化はないような・・・Tomが私に真っ先に名前を聞いてきたのもそうだったのかもしれない。

Tomを車に乗せたは良いものの、旦那氏はほとんど英会話は出来ないので(TOEICの点数は逆にどうしたらその点数出せるの!?というレベル)、私が1時間助手席から後ろを向きながら会話し、時々旦那氏とTomの通訳役に。

1時間でいろんな話をしました。

・そもそも歩くのが好き。妻がスペインで仕事をしていて、スペインにはサンディアゴ巡礼というものがあると教えてもらい、過去完遂。その時日本にも同じようなものがあると聞いて、今回四国にやってきた
・四国に来る前は娘と大阪を観光していた。娘はそのまま東京へ観光に、自分は四国へお遍路に
・電車やバスも使いながら歩き遍路をしていて、E・K・Eとは行く先々のお寺でよく会うから友達になった
・日本の道路(※四国のお遍路道、特に山道)は狭すぎる。しかも信号機もない。1台しか通れない山道で車が出合った時に、片方が周りの様子を見て信号機の指示がないのに自分から進んで譲る心に驚いた
・外国人の歩き遍路が集まるシェアホテルのようなところがあり、今日はそこに泊まる
・これから台風が来るから(※当時3日後に台風が四国直撃の予報)、少し早く高知に行って海でも泳ぎながら台風が過ぎるのを待つ予定
・ラーメンと餃子は美味しい。うどんも好き。あのお寺の近くにあるこの店美味しかったよ(※ローカル情報を教えてもらうw)

最初は1時間も話持つかな・・・と思ったけど、過ぎればあっという間の1時間。またどこかで会おうと会話してお別れ。


「今日1日、とっても素敵な、一生忘れない良い出会いがあったね」と旦那氏と会話しながら1日を振り返っていました。



まだ終わらない、E・K・EさんとTomとのお話。


なんと翌日、22番・平等寺に行くと2人が休んでいるじゃありませんか。
「おはようございまーす!今日も会いましたね!」なんて会話をしながら、E・K・E(イーケーイー)さんがIKEI(いけい)さんであることが判明。
2人に提案をして、次の23番のお寺は4人で車移動をしました。

車の中でIKEIさんと話をすると、
・「強くなりたいから」と歩き遍路を決断し、沖縄から来た
・最初にすれ違った12番・焼山寺は、前日野宿をして朝5時から登った(※車遍路でも相当きつい山道、歩きなら登ると最低5時間はかかると言われている)
とのこと。
他にも我々が東京から来たこと・区切り打ちで車で回っていること、次は1ヶ月後になるので、もしかしたら愛媛の終盤あたりでまた会うかもしれないですね、という話もしました。

最後に、「お礼を受け取ってもらえなかったので・・・代わりといってはなんですが、沖縄にぜひ遊びに来てください。拠点としてぜひ泊まってもらえたらと思っています!」と嬉しいご提案が。

「嬉しいです!実は人生でまだ沖縄に行ったことがなく・・・ただ大学院受験が控えているので、大学院に受かったら絶対に沖縄に行きます。浪人する可能性もあるけど、合格記念は沖縄旅行にします!旦那氏と2人で行きます!」と約束!!!!LINE交換しました。

参拝は各自で自由に回り、台風をしのぐため2人は先には進まないらしくここで解散。IKEIさんも車接待で予定より早く進んでいるものの、台風が来るので海を泳ごうかなと言っていました。

先に参拝を終えた我々が下でどうしようかとあぐねていると、IKEIさんが我々を探して下まで来てくれて別れの挨拶。
その後5分くらい待ってはみたものの、100段以上ある階段を上り下りしてTomを探す気力がなく、そのまま立ち去ったことは東京に帰ってから泣くくらい後悔しています。
8月末の猛暑でも、うっすら筋肉痛が来ていても体に鞭打って探すべきだった。もう2度と会えないのに。


ちなみにその後の高知・愛媛・香川お遍路で2人に会うことはありませんでした。
実はうっすら期待して探したりした。でもいなかった。

IKEIさんはLINEもインスタも知ってるけど、なんとなく連絡はしませんでした。偶然会うことに価値がある気がして。
IKEIさんのインスタは1回だけ我々が次の区切り打ちに向かう前に野宿しているストーリーが更新がされていて「また野宿してる!」と思ったけど、それ以来更新なし。


2人とも、元気にしてるかなぁ。

次IKEIさんに連絡するとすれば沖縄に行く時。つまり、大学院に合格した後。

また近々IKEIさんに会えますように。願わくばTomにも会いたい。

Tomは連絡先を知らないどころか名字すら知らないのでSNSを探すこともできない。

いいなと思ったら応援しよう!