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私にとっての幸せとは。

私には子どもがいてくれて本当に良かった。

こんなに純粋に自分のことを好きでいてくれる人たちはなかなかいない。

特に人見知りでほとんどの人に対してありのままを出せない私には。



今日知り合いのホームパーティにお邪魔してきた。
この方は私の友達の友達でよくホームパーティを開いている。
前に一度上の子がお腹にいる時にも行っていて、それ以来だから6年ぶりくらい。

それなのに私のことを覚えていてくれて嬉しい限り。(そういう会の時はたいてい覚えてもらえない為それだけで泣きそう。)

お料理も上手でローストビーフのソースも作ってしまうほど。

その会には初めましての方もいたけれどどの方も話しやすくてありがたい会だった。

ホストの方がすごく気が付いてくれる人で「困っているから助けてあげて」と言ってくれたりするので人がたくさんいる場でも2時間ほど過ごすことができた。


こういうあまり知らない人が集まる場に行くのは、いつもの私なら誘われてもなんだかんだ言って断ってしまう。

苦手意識があるのになぜ行ったのか。

それは自分を試したかったから。

最近、「自分は自分、他人は他人」が自分の中に落ちてきているように思うし、そもそも他人は自分のことをそんなに気にかけていない。

だからありのままの自分でその場にいられるか試してみようと思ったのだ。
ありのままでそこに楽しくいられたらこんなにいいことはない。


1人でいることが好きだけど、人と繋がりたくないわけじゃない。

楽しく話せる仲間は憧れの存在だ。


結果はビミョー。

その会に「休みの日は1歩も家から出ないマン」ことうちの上の子が一緒に行ったのだ。
これは想定外だった。
上の子ももちろん人見知りだ。
(お正月など親戚が集まるところに出かけると私の後ろからまず離れない。ご飯も食べない。)
絶対行かないだろうと踏んで「行く?」と聞きすらしなかったのに今日に限ってママ大好き日に当たり、出かける準備をする私を見て不安になったのか「行く」と言ってそそくさと着替え始めた。

その上の子は行くまではノリノリだったのに家に着いてみると案の定いつもの人見知りが始まって扉の後ろに隠れて部屋に入ってこない。友達も手伝ってくれて笑わせたりしてるうちに馴染んで、なんとか部屋に入ることができた。

そんな彼と一緒にいたので「ありのままのママ」ではいられたけど私自身ではいられなかった。

でも子どもがいてくれたおかげで会話のとっかかりが作れたし行ってくれて助かった。

この会は周りの皆さんがとても良い人たちなのでこんな私でもいることができたのだと思う。

でも楽しかったー!サイコーとはなれないんだな、とわかった。

結局私にはああいう場は向いていないのだ。


友達はその会にすごく馴染んで楽しそうだ。
わかってる。羨ましいんだよね。
大人になってから友達作れるのっていいなぁ。

でも私はその友達じゃないから同じことはできない。


それでいいんだ。
人生の楽しみ方は人それぞれだ。

私は家族でまったりしてる時が幸せ。
自然の中にいるのが幸せ。
noteの中に自分と似たような気持ちを持っている人の文章を読むのが幸せ。

それだって素敵なことなんじゃないのかな。


家に帰ってきてほっとする。
ソファに座ると下の子が上ってきて膝に座ってきた。上の子が私に重なるように横に座る。
ソファの左側だけギューギューで狭かったけれど
すごく幸せだった。 


うん、大丈夫。


子どもたち、いつもありのままのママを好きでいてくれてありがとうね。

何度も救われているよ。


でもあなたたちに依存はしないよ。

ちょうどよい距離感で見守れるようにがんばるね。

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