私をコントロールしないで!【第三章】人を支配する言葉つかっていませんか?
■「献身型」のコントロール
献身型「ラーメンばっかり食べてたら、太っちゃうよ」
夫「でもどうしても、食べたいから。死ぬわけじゃあるまいし」
(むっとして、答える)
献身型「どうして何か私がいうと、そうカリカリするの。あなたの体を心配
してるだけなのに。いつもそうやって嫌感じよね」
「献身型」は、どんな時も、相手のためを思っているというもの。心から相手を気遣っている、愛があるこそ、パートナーの一番の幸せを願うものなのです。
ですが、ここに、相手の自己不信を促すコントロールが発展してしまうことがあります。
ここでは、まるで母親のような口調。健康上の問題を指摘するけれど、最後は、「いつも嫌な感じだと」別も問題に議論を発展させています。
相手は、
「心配されたのに、最後は非難された」「なんだか馬鹿にされたような気持ちになる。俺がそんなに悪いか?たまに好きなものを食べることのどこがいけないんだ。そんな風に考える自分が間違っているのか」
こんな風に考えるかもしれません。
自己不信を促すきっかけになるのです。
日本人女性は、パートナーに、母親のように接することが多いと言われています。献身型の言葉のコントロール、「あなたの為を思っている」と、母親のように言いすぎたりしていませんか?
「いつも●●するんだね」「いつもそうだよね」と否定的に、最後に相手の息の根を止めるのは避けたいところです。
■「要求型」のコントロール
相手を認めない態度に出たり、パートナーを動揺させることで自己不信を促していきます。
中でも、「献身型」が「要求型」に惹かれてしまうことが多く、コントロール関係に進んでしまうことが多いのです。
最初のいい顔を見せ、蜜月期間にあるとき、
「要求型」は相手の望むものを突き止めます。
例えばそれが、真面目に話を聞いてくれるだったり、愛情だったり、受け入れてくれることだったり、なんなりと理解します。
「献身型」の認めてほしいという気持ちから、精一杯努力して、十分に愛情を注ぎ、出来る限り与えることに徹することでその願いが叶えられると信じていますが、その気持ちを「要求型」が利用するのです。
二人の関係が安定してきたとき、「要求型」は条件を持ち出すのです。それをやってほしいなら、その前にまず、これこれをしてほしい」と。
「要求型」は、だんだん相手の欲しいものを出し惜しみしながら、欠点や間違い、失敗を強調し、否定的な態度をとることで、支配していきます。「献身型」は決して褒められもなければ、感謝もされない、受け入れてもらえない関係にまで発展させていくのです。
でも「献身型」は信じているのです。「出会った頃のあの人にもどってほしい」と。
最終的に、相手の精神そのものを傷つけてしまうところまで行ってしまえば、「献身型」を「閉じこもり型」に変えてしまうことになるかもしれません。
ツンデレ通りこして、人を操るような冷たい人、いますよねww
最初は優しくしておいて、惚れたときには冷たくされ、追ってしまうことになること。何かを犠牲にし差し出したら、少しご褒美があるような・・・アメとムチじゃないけれど、最後はムチばかり。コントロールされる側としては・・・危険を感じます。
■「閉じこもり型」のコントロール
パートナーの期待に一切興味を示さない態度、相手に関心を持たない姿勢をとります。何度も繰り返し起こることで、閉じこもり型がコントロールする側になってしまいます。
結婚記念日を忘れられる。
大切な約束を忘れられる。
週末の計画も忘れ去られる。
その都度謝られるだけ。
「もう愛されていないのだろう」「ないがしろにされている」「自分のどこがいけないのか」そう自己不信が促されていくのです。そう思っていると最後には、自分の方が「閉じこもり型」に成り代わってしまっているかもしれません。
心の中では愛を切望してる「閉じこもり型」のはずなのに、それを表現できず、悪気もないという感じです。相手に関心を持ってもらい、大事なことを覚えておいてもらうということは、なかなか難しいことです。
■「オーケー型」のコントロール
オーケー型が、自己不信を持つパートナーと結ばれた場合、オーケー型のコントロールする可能性があります。
オーケー型は、
関係を解消するか、
全面降伏に応じるか、
パートナーと争い続けるか、
三通りの選択となります。
二人で解決できればきっとうまくいくと信じている「オーケー型」
「あなたがどれだけ素晴らしい人か、二人でいることがどんなに素敵なことかを、私が教えてあげられさえできれば、私たちは心から幸せになれる」と考えます。
ただ残念なのは、「オーケー型」の考える「私たち」は、一人で考える「私たち」です。
相手が、「オーケー型」の意見に心から賛同していないのであれば、衝突してしまいます。
同じ意見を持つ、相手の意見に賛同する、コレでない場合は、どちらが正しい・正しくないという問題ではなくただ意見の不一致です。それを、善意から「私が健全な関係がでどれだけ素晴らしい関係になれるか」と争い主導権を握ろうとすれば、それは相手に自己不信を促し、コントロールすることになるのです。衝突すれば、相手のことを思った言葉が、パートナーに大打撃を負わせることもあるのです。
例えば
「今日は私を責めてばかり。どうしても私をけなさずにはいられないんだね。もっとあなたが精神的に大人だったら、こんなこと繰り返さずに済むのに」
もしこの言葉を言われたら・・・。
これは相手の自己不信を促してしまうのです。
精神的に自立し、健全な関係を望める人が、よかれと思って、相手を支えられるようにとアドバイスや、元気づける言葉だったと信じこれを繰り返していたとしても、パートナーは、こまごまとした分析を聞かされ続けているととれば、自己不信や自己防衛はますます大きくなり、二人の対立関係は解消されないことになります。
コミュニケーシってほんと、難しいですね。
会話のときの言葉のチョイス。上にあげた言葉、私は、つい母親のような感じで、使ってしまってると反省してしまいました・・・。そして、夫の言葉も、なんとも自己不信の種をまき散らすではないかと思うところもあるのですw
でもこのコントロールの言葉に、そう、ノッてはならん!のですね。
そして、言葉だけではありませんね。顔の表情・態度ですね。
敢えてやってしまう不機嫌な表情や態度のコミュニケーシ、これは控えたいところです。続いてこの表情や態度、振る舞いに関するコミュニケーシを見ていきましょう。