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【#14】アラサー独身OL・女子カラしたい気分

男なんて。もう恋愛なんか二度としない。こりごり。そんな風に思ったことがある。だが、人間の脳は、なんと優秀なのか。忘却という能力。これは脳のメカニズムか。それとも、天空の神々が与えた力か、冥界の神が与えた罰なのか。
 萌花は以前、胸が抉られ、深い傷から血を流し続けた。彼氏からのプロポーズかもしれないと期待した話は、想像だにしていない別れ話と同時に、彼が関係をもった女性が妊娠しているという事実、そして彼女との結婚の意志。思い出す度、目を伏せ、耳を塞いでも、傷は疼くと血を流す始末。結婚はしていないものの、離婚という響きに近い、ネガティブな黒い塊が、胸に残っている、そんな感触だった。
 会社の同僚たちに交際を知られていたために、破局の事実は、社内に瞬く間に広がった。想像できるだろうか。あなたの立つ足元に広がる静寂を。顔を上げ周囲を見渡すと暗闇の景色が広がっている。どこにでも転がっているようなちっぽけな石ころのようなものでも、静かな湖に投げ込まれれば、しっかりと波紋を描いていくものだ。湖の周囲に広がる森林の中に生きる動物たちは、木々に姿を隠しながら、静かに、密かに、騒めいた。それは、声にならぬ声だ。空から降り注ぐ月光は、枯れゆく花を憂い、寄り添うように優しく包もうと闇夜を照らす。萌花は、惨めに枯れてしまった花だった。動物たちに踏みつけられ、月の光は、容赦なくその枯れた姿を顕にするようだった。想像力の豊かさの弊害か、萌花は、傷ついた余りに、自分の存在をこんなに悲しく想像した。社内で送られてくる視線から逃げることも、隠れることも許されず、ただただ、会社へ出勤した。時に体調不良で有休をとりながらも、なんとか出勤し続けた。あのときの萌花は、悲しみ、惨めさや痛み、怒りが入り交じった塊をギギ・・ギギ・・と噛み潰し、涙ながらに砕いた欠片を少しずつ飲み込む毎日だった。飲み込んだ欠片はなかなか消化がされず、胃もたれを起こす。苦しくて、悲しみが胃から胸、胸から頭へと込みあがり、泣いた。

UnsplashのCasey Hornerが撮影した写真


 萌花は、自暴自棄になりながらのたうち回る日々を通り越し、ふと、冷静に泣き暮れる自分を見つめる瞬間が訪れた。「どうすればこの苦しみから抜け出せるのか」これからを考えた。考え抜き、お金を貯めようとまず考えたのだ。「人生で、問題となる理由は、極端に言えば愛か金だ」極端に言えばだが、これが萌花の持論だった。愛を失って私は泣いている。だがお金を得ることができたら、そのうち傷も癒えるのではないか、そう思ったのだ。失ったのなら、一方の大切なもので満たすんだ。そう思い立ち、夜、アルバイトをするという選択肢を思いついたのだ。孤独な夜を一人で過ごす寂しさも紛れるし、いい方法だと思った。そう決め、仕事を見つけるまでに時間はかからなかった。スナックのアルバイトに決めたのは、もっと女を磨ける仕事だと単純に思ったことだった。
 すぐ行動を起こし、生活に変化をつけることで、失恋から立ち直るころができてきた。今では少し、疲れを伴いながらも、振り返ることができるようになった。「ふっきれた」というのとは、表現が異なり、ただ、起こった事実を、冷静に思い返すことができるようになった。飲み込んだ惨めさや痛みや怒りだが、少しずつ消化され、血や肉になった、というのが表現として近いのではないだろうか。体から排出されたものではないため、吸収され、血や肉になった体で、心に荒波を自ら起こすことがないように、ただ落ち着いて生きている感じだった。
 あれほど、苦しかったはずなのに。恋愛を二度としないと強く誓ったはずなのに。決意は時にぐらついた。ふとした瞬間に訪れる「孤独」だった。社内恋愛している恋人同士を、休憩室で見かけた瞬間、街で楽しそうに手をつないで歩くカップルを見かけた瞬間、街中を歩く、20代の女性に声をかける男性、詐欺まがいか、ナンパなのかはどうでもいい、ただアラサーの自分に声をかけてくる男性は少なくなったと感じた瞬間。一人ではなく、喧騒に紛れていても、私は、一人ぼっちなんだと、萌花は、もの悲しさに襲われた。

 帰宅。玄関を開ければ、暗い部屋。左手を伸ばし、スイッチを押すと、パッと部屋が明るくなった。少しだけほっとするも、すぐいつもの一人の日常を感じ、「うぅん」と、声になるかならないくらいの吐息のようなうなずきを声にして、バックを足元に置いた。
 萌花は、バスルームへ向かい、洗面台の蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく手を冷やした。濡れた手で、蛇口を締め直し、ハンドソープのボトルを2回プッシュ、サッと、手に広げ、泡まみれにした。蛇口を再びひねり、手についている泡をキレイに洗い流すと、流れ作業のように、うがい薬をカップに入れ、水で薄め、口に含めた。
「あーーーーー」
高い声を出しながら、ガラガラと咽を洗う。2回うがいを繰り返して、洗面台をキレイに洗い流して、完了。萌花は、鏡に映る自分の顔をみつめながら、口をタオルでぬぐった。帰宅後の儀式を終えると、孤独で揺らぐ気持ちが少し落ち着いた気がした。鏡の中の萌花の顔色は、問題なくいい。肌荒れもなく、張り艶もいつも通り、目の下のクマもない。まだまだ若い、アラサー女が、鏡に映っていた。
 仕事量もいつもと同じ。今日は大きなトラブルもなく落ち着いていて、滞りなく仕事を終えていた。アルバイトのある日は、ここから仕事へ向かうくらい体力もあるはずなのに、何もなかったはずなのに、なんとなく気だるさを感じていた。気落ちしている自分がいることを、萌花はわかっていた。もう一度、小さな吐息をつきながら、洗面台の横にタオルを置いて、キッチンへ足取り軽く、向かっていった。
「こんな孤独疲れしている時でも、楽しめるんだから~」
誰もいない部屋で、自分を元気づけるようにつぶやき、冷蔵庫をガチャリと開けた。目の前に、萌花を元気づけるものが冷えている。それはスパークリングワインと、シャンパングラス。こちらはまだ冷やしておくことにして、本日の晩酌のお供を作ることにした。横に目を移すと、朝、半解凍しておいた材料を見て、にんまり。萌花は、今日は、がっつりとお肉を食べようと決めていた。ダイエットには不向きなメニューだが、こんな日もあってもいいと、自分を甘やかすのだった。
 晩酌を最高の時間にするために。休日には、冷凍庫に、下味をつけておいた肉類をストックしておく。

朝のうちに、冷凍庫からだされてきた、酒・醤油にんにくで下味がついた鶏肉がいい具合に解凍されている。
「今日は唐揚げだ」
大抵のお酒にも合うだろう、唐揚げ。小麦粉と片栗粉をまぶし、もみ込み、からりと2度揚げしていく。
 恋愛成就、失恋。様々な恋愛の形の中で、多くメリットを感じた人ならばわかるだろう。痛い失恋の経験から、恋を二度としないと誓っていても、神様が叶えてくれるならば、心から自分を大切にしてくれる男性を愛し、愛されたい。そう一瞬でも思えたとき、壊れた時計がまた動き出すように、時間が進む。萌花が、やっと前を向いた証でもあった。
 萌花は思い巡りながら、唐揚げを揚げていた。恋愛よりも大切なものがあるだろう、そう思う一方で、パートナーと共に生きる夢を描き望んでいる自分が消えないのだった。


おひとり様・家のみ・乾杯!

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