見出し画像

冷笑系は嫌いです。〜中立的な意見なんてAIに任せとけば?〜

動画の概要
「冷たく笑う」と書いて冷笑。
そういう言動をする人や、それをもてはやす人たちを冷笑系と言ったりします。
私は、冷笑系や冷笑的な行動をもてはやす風潮に不安や恐怖や憤りを感じています。


↓こちらもよろしくお願いします☆


【文字起こし】

ご覧いただきありがとうございます。いづる もえです。
今回は「冷笑系」について話してみようと思います。
まず、「冷笑」とはなんでしょうか。漢字では、冷たく笑うと書きます。
インターネット上の国語辞典・goo辞書によると、「さげすみ笑うこと、嘲笑うこと」という解説が書かれています。
また、ネット上では、例えば相手と議論とか論戦になった時に、相手を嘲笑して反論する気をなくさせたり、逆に負の感情を煽って支離滅裂なことを言わせて、周りから見て「相手の理屈がおかしい、相手の考えが間違っている」という印象を持つように仕向けたり、そういう戦い方をする人とか、それらの行動をかっこいいと思っている人とか、そういう人のことを「冷笑系」と言ったりします。
私はこの冷笑系と呼ばれる人たちとか、それをもてはやす風潮が嫌いです。
今の世の中に必要なことは、熱い気持ちだったり、人と一緒に怒ったり、泣いたり笑ったりできる心だったり、「それじゃあそこからどうしようか」って一緒に考えられる人だったり。そういうものなんじゃないかと考えます。
でも、実際には冷笑系とか冷笑的な行動がもてはやされています。
私はそう感じています。

例えば、電車やバスの優先席のことが話題になった時、「必要な人が来たら譲ってください」とか、「なるべくは空けておいた方がいいです」というような話に対して「優先席は優先であって専用じゃないからしょうがないんじゃないですか?」とか、そういうことを言って話を終わらせようとする。
エレベーターにも同じことが言えると思います。
「車椅子とかベビーカーとか、上下の階を移動するときに、選択肢がエレベーターしかない人たちのことを考えて行動しましょう」という話が出ると、「健常者は乗っちゃいけないんですかぁ?」、「順番が来るまで待てばいいじゃないですかぁ」、「専用じゃないんだからしょうがないじゃないですか〜」とか、そういうことを言って困ってる人たちの口を塞ごうとする人たちが一定数います。
それだったりとか。普段は目に見えない障害とか内部疾患の人のことなんて気にも留めてないくせに、急に「でも、見た目でわからない障害の人もいますよねぇ? 歩くのしんどい人だっていますよねぇ?」っていう話をこういう時だけ持ち出してくる。別に心臓とか肺が悪い人にまで歩いて階段を上り下りしろって言ってないのに、そういう話に持っていこうとするとか。

こうなってくると、何が問題なのか、解決策はどうしたらいいか、みんなどういう行動が取れるか、とか、そこからどんどん話が逸れて、結局困ってる人は置き去りになっちゃうじゃないですか。
ちなみに私は、ネット上でたびたびこのエレベーターの問題を見聞きするようになってからは、なるべくは階段でゆっくり上り下りするようになりました。
エレベーターを全く使わないということではないし、やっぱり体調が不安定な時とか、すごく疲れててバランスが取りにくい時はエレベーターを使うんですけど、なるべく、特に人がたくさんいるときは、階段の手すりを掴んで、片手で白杖を持って、ちゃんと階段を確かめながら、ゆっくりゆっくり降りるようにしています。
私1人がやったところで、車椅子の人やベビーカーの人がみんな乗れるようになるわけではないけど、でももしかしたら「杖ついてる人も階段で降りてるな」って気づく人が何人かいるかもしれないし、意識する人が1人2人増えることの積み重ねが大事だと思うんです。
「優先であって専用じゃない」とか、「歩ける人だって疲れてるんだから」とか、そういうのももちろんわかるんですけど。
わかるし正しいんだけど、じゃあ歩けない人は選択肢を奪われても、行動がものすごく制限されても仕方がない、それは放置されて然るべきだ、みたいな。それはどうなんですかね。
そういうことばっかり言ってて、世の中良くなるんでしょうか。
そのうち本当に優先じゃなくて「専用」って書かないといけない日が来るかもしれませんよ。
それはそれで、ものすごく利用しづらくなりますよね。
本当に困ってる人も、「専用の対象になる証拠を出せ」みたいな話になったりとか。

今まで1人1人のモラルとか思いやりとか思慮とか、そういうものでどうにかカバーしてたものとか、成り立っていたものが成り立たなくなってきたら、それこそルールばっかりで身動きが取れない方向に行ってしまいます。
そうなって一番割を食うのは、立場が弱かったり数が少ない「マイノリティ」と呼ばれる人たちです。

そして私は、冷笑系って呼ばれる人の類似品に、「自称中立」とか「バイアスがかかってない人たち」というのが存在すると考えています。
中立とかバイアスがかかってないとか、好ましいような感じで言われることが多いんですけど、それは違うと思います。
人間はAIじゃないんだから、偏りがあって然るべきだと思います。
それから、「自分は中立だけど」とか「バイアスはかかってませんから」って言ってる人は大体、力を持ってる勢力とか多数派勢力に偏っています。

ある有名人が流行らせた「それってあなたの感想ですよね」っていう煽り文句があるけど、何?  感想を言っちゃいけないの?って話じゃないですか。感想で何が悪いんですかね?って話じゃないですか。
いちいち統計情報とか出してこないと喋っちゃいけないの?
中立とかバイアスがかかってない情報とか、そういう発信とか表現は、それこそAIに任せておけばいいんじゃないでしょうか。
それで、AIの情報を見て、「こっちの意見もある、こっちの意見もある。そうなんだ」って参考にするっていうんだったら、全然ありだと思います。
でも、その辺にいる人間がみんな「私は偏ってません。私は中立です」って言って、ある問題に対して何も対策しないとか、「しょうがないですね」って言ってスルーして通り過ぎていくとか、そういう世界ってすごく怖くないですか・・・?

それは私だって、全ての世の中の問題について関心を持ったりとか、考え続けたりとか、対策を考えたりとか、そういうことはできないです。
だけど少なくとも、あることで傷ついてるとか、悲しんでるとか、痛い思いをしてるとか、「それじゃあその人たちをどうやったら助けられるかな」って日々真剣に考えてる人とか、あることに真面目に取り組んでる人とか、そういう人のことを嘲笑って、馬鹿にして、叩き潰して、言論や行動をやめさせようとは思いません。
冷笑ムーブは何も生み出さないし、問題を改善させないと思います。

冷笑的な行動をするっていうのは確かに楽ではありますよ。
お手軽に自分が優位に立ったとか、強くなったって思えるし、特に何の行動もしなくていいわけだから。
しかも今の時代はそういうのをカッコいいって言ってくれる人もいっぱいいるし。それに、自分のことでいっぱいいっぱいで、他の人に心を割けない人もたくさんいると思うし、それが「ふーん。でもしょうがないよね」っていう言動に繋がっている、というところもあるかもしれません。
だけど私は、冷笑するのがかっこいいとか、何に対しても中立・偏りがないのが正しいとか、そういう風潮には「No」だと言い続けたいです。

最後に。これは私の感想です。

それではまた、次回の動画で会いましょう。




いいなと思ったら応援しよう!