北風と太陽、そのどちらも 3
半年後、ミュンヘンの下町に居を構える不動産屋で営業を始めた俺の下に、喧嘩別れに終わったはずの齋藤からメールが来ていた。どうしてこれに限って迷惑メールボックスにぶち込まれないのだろう。
あのニヤついた顔で自慢話を聞かされるかと思うと開く前から腹が立ってくる。しかし、その内容は予想していたものとは全く違った。
「よぉ、ヤン(多分ジャンと読んでいるがスペル上同じ)ドイツに行ったと聞いているが、元気にしているか。久しいな。こちらは健康そのもの、サービスがスタートしたばかりののOSとよろしくやっている、と言いたいところだが、実は会社側に子会社の内情が露見して飛ばされそうになった。なんで、外部に漏れる前にさっさと会社は止めちまった。今は見ず知らずのビャウィストクで貯金を崩しながら生活する日々だ」
ざまぁ見やがれ、憎まれっ子が憚ることのない国で良かった。少し祖国を見直した。
「ただ、俺の代わりに日本からやってきた鈴村というエージェントに救われてな。俺はここで新しい団体を立ち上げることにした。主に俺とお前の仲間だった連中、つまり俺の資金で立ち上げたお前の会社のメンバーでな。今回はお前に勧誘と忠告がある。共に働いた誼だ。喧嘩別れに終わったのは残念だった。仲直りもしたいし、その証としての招待状だ」
無論、俺は戻るつもりはなかった。せっかく見つけた新しい働き口を捨てて、あの日本人をトップとする団体にへこへこと出戻るなど、大恥もいいところだ。それこそ色々なところに顔向けできなくなる。
「多くは語れない。なんだかんだ付き合いの長かったお前は、俺がやりそうなこともある程度は解っているだろうが、今回ばかりは直々にビャウィストクに来るまで話せない。もし勧誘に乗ってくれないなら、残りの忠告は単純だ。うちのOSを使い続けろ」
結果から言うと、その絡繰りの仕掛けはすぐに察しがついた。パソコン関連の情報をかき集めているサイトで、それ以降頻繁に目にするようになった文字列「コンポージング・バグ」が恐らく、齋藤が今手を染めている悪事だ。あいつ自ら
「今回は純粋に下請けとして働くだけではない。色々なところと繋がることで初めて成立するビジネスモデルだ。言語も堪能なエージェントが必要になっている」
などとご丁寧に説明しつつ、勧誘文句は続く。しかし、真相はおそらくこうだ。
コンポージング・バグはウイルスを構成するデータではあるが、一般的なセキュリティソフトの網を潜れる。単純に表現すれば、潜り込んだパソコンの中でウイルスの形を発生させるプログラムなのである。最初からウイルスの形をしておらず、有害な形質も持たないために、ブロックされにくいが、パソコンの中に一見無害と思える複数の因子が侵入すると、それらが凝集して一つのウイルスとなるのである。感染した場合、他のユーザーに同様の因子を複数回にわたって送り付ける、パソコンの中の情報を無作為にばら撒いてしまうなどの被害があるとの噂だ。
「今度は中華製に容易く抜かれることはない。日本の専売特許がいくつか絡んでくるからだ。」
そして齋藤はおそらく、このウイルスを地球規模で拡散させ、脅威として認知させる一方で、因子の情報構造を退職したことになっている自社に独占的に垂れ流し、アップデートを繰り返す中で、贔屓(うち)のOSだけを強化させ、競争相手を劣位に立たせようと目論んでいるのだ。早くもフランスのコンサルタント企業で情報漏洩が発覚し、その直接の要因はコンポージング・バグであると報じられた。
セキュリティを担うデジタル先進国のサイバーエージェントやホワイトハッカーは挙ってその対策を考え始めたが、どう足掻いても齋藤とその仲間が因子の情報構造を日本の本社に伝える方が早い。足がつくまでウイルスとセキュリティを交互に更新し、他のOSを駆逐しながら、スマートフォンやタブレットなどで日本製品の独占的なシェアを獲得する算段だろう。
齋藤が後任の鈴村と裏で繋がっていることは、本人も認めるところだ。そうでなければこの商売は成立しない。同時にハッカー集団やテロリストともパイプを設け、ウイルスを売りつければ、自分とは全く動機も性質も違う犯罪の代行を作ることができる。目くらましに使えそうな団体には以前から目星をつけていたに違いない。
今から帰国して、俺がこれを暴き出してもいい。古巣の悪事を全部内部告発してやろうかとも思った。しかし、過去には自分も同じ構造の商売に加担していた。しかも、神輿を担がれてその筆頭だったとなれば、一時の同情や憐憫は得られても、せっかく辿り着いたドイツでの働き口に困るかもしれない。とんでもないキャリアを積み重ねてしまった。俺は何も悪いことはしていないのに。
「これから大嵐が吹くからな。太陽にしがみつかなきゃ、全部飛ばされちまうぞ」
バレなきゃ犯罪じゃないんですよ、とどこかのキャラクター染みた動きをする奴の声が聞こえた気がした。