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きはじ 1

 新横浜駅を出発したのぞみは、羽沢付近の倉庫や工業地帯を尻目に、神奈川の住宅地を突き抜けていく。少し窪んだ位置に線路があるから、直接は見えない。窓の外を踊る影と知らない間に身につけていた知識で、自分の移動を感じているだけ。少しずつ住宅街が減っていく。海が近付いている。小田原を凄まじい風と共に通り過ぎると、一気にそれは顕著になる。
 こんなに速かったか。昔はもう少し遅かった気がする。車両が代替わりしたのか、自分の感覚が変わったのか、或いはその両方か。黙ったまま、座ったまま、足元は約250km/hで動いている。後ろの中年の鼾が聞こえるくらい静かなのに、車両は着実に西へと向かっている。
 時間があって、空間があって、認識していない瞬間も常に世界は駆動している。いや、こういう表現は不正確で、時空の隙間みたいな場所に偶然のように小さな体が置かれているのだろう。こんな文章、本当は嫌いだから、このまま思考を続けたら頭痛に苛まれて眠れなくなる。ただ今は別に眠りたくもないから、続きを考えてしまう。
 速さと早さが同じ発音なのは何かの悪戯ではないと思う。然るべき組み合わせ。微妙に紛らわしくて凡庸な小学生を苦しめていることにも、意味があると思う。How longで時間も長さも訊けることにも同じことが言える。速さ×時間が距離で、割り算で逆になる。これにも意味がある、というよりこれが諸々の概念の始まりとなる原則だ。
 これくらいのことを算数で習っていた時期だったと思う。今まで俺の不出来を叱り続けていた母が急に静かになった。いつの間にやら、宿題をやっているかとか、自主的に勉強しているかとか、そういったものが確認されなくなっていた気がする。どこの家庭でもそういうものなのかもしれない。子供心にそう思いながら、一度だけ、母に尋ねた覚えがある。
「どうした?最近は俺の勉強に興味ないん?」
 この時の俺は何を期待していたのだろう。褒められたかったか、突き放されたかったか。多分そのどちらかだったと思う。いずれにしろ、解りやすい反応を期待していたのだろう。自分の行動が母の感情に作用している証左を求めていたから。
「うーん、何だろう。お母さん、高校までしか学校行ってないから」
「俺は今小四だけど」
「もう忘れちゃった。自分でやりなさい」
 それならば、今までの激励よりずっと多い叱咤は何だったのだろう。これは語彙力が足らず、上手く聞けなかった。この時期から、母は一気に言葉数が減った。長い時間をかけて慌て始めたかのように、もしくはずっと先の予定があるかのように、黙々と必要なだけ働いて、ついに家を出た。
 その日は俺の十五歳の誕生日だった。改めて冷静に考え直すと、とんでもない両親だ。紋切り型な豪華さを演出するチキンとサラダとワイン、シャンパン代わりのサイダーを前に、初めて見る、そしてそれから見ることはなかった離婚届があった。結構小さくて拍子抜けしたのを覚えている。俺が絵画コンクールで貰った賞状の方が大きかった。
「お母さんね、この家を出ていくことにしたの」
 色々追いつかなくて、何か自分なりに動転しようとしていたのに、不思議と出た言葉は穏やかに理由を問うものだった。
「どうして?」
「うーん、疲れちゃったのかな。ほら、旅行とか行きたくなって」
 ここで、家族旅行やら休息やらを言い出すほどの子供ではなかったけど、母の言う旅行の意味を正確には理解できなかった。
「父さんは?」
 斜向かいに座る父の顔を見た。
「うん、それが良いと思うんだ。お互いにね」
 自己中心的だけれど、お互いの中に自分が含まれているのかを気にしていた。ただ、家族の中で一番疲労の陰が射していたのは父の頬だった。
「純弥(すみや)、元気でね」
「お母さんも、元気で」
 小さなスーツケースを片手に細くなった腕を振りながら、母はマンションのエレベーターの奥に吸い込まれていった。静かに立ち止まったまま、母はロープとギアの音と共に、去っていった。隣で父がどのような顔をしていたかは、よく思い出せない。
 寝室を覗くと、知らない間に母の荷物は消えていた。この日の俺が帰ってくる前に引っ越し業者が全てどこかに運んでいったのだという。俺はそうして今日までここで起きていた変化を、色々見落としていたのかもしれないけれど、それも最早気にする必要はなかった。いずれにしろ、この家には決まりきっていた結果しか残らなかったし、夫婦の行末を左右する力も意志も、当時は持ち合わせていなかった。
 父の台所に向かう背中は翌朝初めて見た。思えば前夜の面倒そうな皿洗いもやっていたわけだけれど、食材を捌く手は意外に器用で、手料理のバリエーションは、もしかすると母よりも豊かだったかもしれない。ただ、全てが驚くほど薄味だった。塩を入れることを知らないのかと思うくらいだった。
 父は元より口数の少ない人で、俺に何かを強いることも少なかった。叱りつけられたことも殆ど記憶にない。何かで迷惑をかけると、静かに溜息をついて、こちらを見つめるだけだった。その眼差しが妙に怖くて、というよりはそういう顔をさせたくなくて、言われるより先に父を手伝うことが多かった気がする。

※画像
https://activephotostyle.biz/image7062#google_vignette より2022年9/23日取得

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