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シンガポールの葬送 2 変形墓
少し話は逸れるが、日本にもビル型納骨堂というものがある。こちらではICカードに対応した遺骨が参拝者の前に運ばれてくる形である。納骨には限界があるが、管理が簡単ということで、この形式を選ぶ家庭が最近は増えていると聞く。この墓所もおそらくはそのような形になっている。
シンガポールの場合、古くからある霊園を除いて、平地の集団墓地を新たに設置しようという動きはない。海岸を埋め立てて領土を拡張するような国で土地が有り余っているはずもない。しかも、私の父もその一人であるが、多様な人種が次々と押し寄せ、入れ替わっている。合計特殊出生率は極めて低いが、移住者数は依然として横ばいであり、人口密度も高い。亡くなる人も減少に転じることはそうないはずである。こうした異様なビルの建設も旺盛な需要に応えてのことであろう。
私は俄かにビル内の墓所を覗きたくなった。しかし、火葬に来ただけの外国人に他の個人のプライベートな領域を覗かせるようなことなどありえない。それくらいのことは了解していた。少し考える。一方では考えるふりをする。
「すみません、とても個人的なことですが、父はここで長年インフラ整備に尽力してきました。その…遺書には日本の代々の墓所にとありました。しかし、最近お寺と関係があまり良くなくて、もしかするとこちらで眠った方がよいかもしれません。大変難しいお願いとは解っているのですが、こちらにおける墓所を覗かせていただけないでしょうか」
自分でも驚くような英語が次々と口を突いて出る。異様な緊張の中、何とか機転を利かせようと必死であった。受付の女性は所々でメモを取りながら、私の不器用な発音の英語を咀嚼したかに見えた。「少々お待ちください」とだけ残して、STAFF ONLYと書かれた扉の方へ向かう。
しばらくしてから、少し年輩の男性が出てきた。
「お待たせしました」
丁寧な日本語で話しかけてきたので、驚いた。
「すみません。無理なお願いをして。それで」
私も日本語を使う。先程まで英語しか通じない相手に片言の英語で話していた反動でこちらの英語の方がぎこちなくなる。
「はい、他のお客様がおられないタイミングでしたら」
「ありがとうございます」
「あくまでプランのご紹介という形で、私フナドがご案内いたします」
どうやらこちらの意図は半分見破られているらしかった。それでも大変丁寧に対応された。日本向けの紙面で場違いも甚だしいが、SFDのスタッフの皆様に謹んで感謝申し上げたい。
「あらましからのご説明になり恐縮ですが、当館は国内の深刻な墓地不足に鑑みて、ご遺体処置から墓所設置までを一貫して執り行う施設として国の出資を受けて設置されました。したがって納骨は国民が優先されます。外国人の場合は特別費用がかかります。しかし、それでも諸外国に国籍を置きながら、当施設での墓碑設置を望む声は多いです」
シンガポールの墓所・霊園事情は後で調べたが、かなり切羽詰まっていたらしく、SFDの建設当初は既に安置されていた遺体を掘り起こして再度処理し、こちらに移転するということがあったらしい。これは日本の納骨堂が一定期間経過後に平地の墓所に遺骨を移すのとは真逆である。
「こちらが共通墓所になります」
案内されたのは8階の平坦な空間であった。先程の安置広々としている。天井には白色のLEDが灯っている。奥には長方形の切れ目がいくつか入っている。QRコードを読み取る機械が設置されている以外は何の凹凸もない。
「日本人或いは日本にルーツを持つ方の場合は次のようになります」
マスターキー的な機能があるのだろうか。フナド氏が腕時計型の端末を翳した瞬間、切れ目とその奥の床は起動した直後の家庭用プリンターのごとく動き始めた。
「うお」
思わず声が出てしまう。床はウィーンという10年代のハイブリッドカーのような音を立てながら180度回転し、顔を出した裏面には果たして日本式の墓石が鎮座している。のっぺらぼうの何の法名も碑文も刻まれていない墓石はどこか新鮮である。まるで採石場から切り出してきたままの、形の良い花崗岩が裸で座っているかのようである。
「こちらも、さほど種類はございませんが、ご用意がございます。そのままお待ちください」
続いて回転したのはその手前の床である。こちらは縦長で墓前の通路の代わりになるらしく、出現したのは日本の霊園に見られるような簡素な階段と磨かれた敷石である。あっという間に何もなかった空間に墓所が構成されたのである。さながらトランスフォーマーの変形である。
「特に何も刻まれていないのは見本だからですか?」
「いえ、こちらは実際に使われている墓標になります」
「えっ?」
「失礼ながらお父上の名前を拝借させていただきます」
数秒の入力の後、灰色の墓石の表面に父の名前が刻まれた、ように見えた。極めて精巧なフォントが、頭上のプロジェクターから、寸分の狂いもなくマッピングされているのである。プロジェクターは殆ど白いライトのようであり、騒がしい機械の部分は天井に格納されているのだという。
「通常、この変形と刻印を参拝者がエレベーターを降りた段階で行います。また所定のサイズでご用意いただければ故人の遺影を少し下の窓枠のようになっているところに映し出せます。さらにライトもこのように」
端末のワンタッチで雰囲気は一変した。部屋は仄かに薄暗くなり、和室や寺に似合う暖色の照明で墓石は照らし出された。白く刻まれた文字はそのせいでやや不自然になるが、より明瞭に判読できるようになったとも捉えられる。どこからか流れ出した読経がお手本のような立体音響で響き渡る。イヤホンではなくスピーカーでこのクオリティはかなりの技術である。
「こちらは実際に日本のお寺を訪問し、録音したものになります。効果的に反響させるために床や壁にも工夫が施されております」
見習いたいようなおもてなしの心が細部まで行き届いている。
「キリスト教系ですと次のようになります。少々お下がりください」
再び2つの床が回転する。話によると、1つ下の階で予め用意されている墓石の着脱を行っているとのことである。そのフロアは当然非公開であるが、話によると自動車の組み立てラインに近いらしい。ロボットアームがオンデマンドで稼動するようになっている様子を想像してもらえれば解りやすい。諸々の設備は回転する薄い床にしっかりと嵌るように設計されている。こちらはブロックの玩具に近いと言える。
数十秒の後、出てきたのは典型的な十字架と碑文のセットである。
「プロテスタントのお客様にはこちらを提案いたします。至ってシンプルですが、最もポピュラーであり、最近ですと中華系やマレー系の方々もこちらをお選びになります」
こちらは白を基調としており、照明も先程よりは少し明るい色調が似合う。写真を映し出す枠は先程と共通である。よく見ると文字を映し出す位置もそう変わっていない。
「なるほど、確かにこちらはすっきりとしている」
「ああ、そう言えば出し忘れておりました。失礼しました」
直後、天上から降りてきたのは香炉、香立て、花立てが1セットになったブロックである。磁石による吊り下げ式ながら、真下の窪みにはまり、元からそこに備え付けられていたかのようになっている。
「供花は多くの文化で共通していますが、中には立てないお花を供えるところもあります。なので、供花スペースは少し広めに取られています」
「これはお供えしたら撤収されて、廃棄されてしまうのですか」
「それをお聞きになる方は多いです。しかし花が鮮度を保つ間は保管されます。こちらとしても何をどのようにお供えするのかをリサーチする必要があります」
1階の隣接する施設では花を売っている。つまり死者に手向けた花は直ちに商業的に活用されるのである。なお、食物や金銭・高級品のお供えは禁止であるという。3年前に故人の好物であったドリアンを切って供えた遺族がいたらしく、共通墓所で異臭騒ぎが起きたらしい。業者を呼んで掃除をしても数日間匂いが取れなかったのだから、劇物である。それでも菊や香り付き線香などは認められているから比較的寛容である。
「カトリックの方ですともう少し大きなものを好まれることが多いですね。仏教系でも仏塔の形をお求めになる方がいます。これは多民族国家ですから本当に多様ですね。音楽や照明も組み合わせ自由になっておりまして、そのデータは個人番号で記録され、参拝者が入られると変わるようになります」
実際に参拝する遺族として登録されると、火葬時とは別のコードが配布され、それを用いていつでも参拝できるようになっているという。
「ご存じの通り、宗教によって参拝すべき季節が決まっていることが多いです。命日などは必然的に分散しますが、日本で言うお盆のようなものが来ると、ちょっとしたラッシュになります。そのため、当館は5階分同様の施設がございます」
「2フロアを使う絡繰り仕掛けを5階ですか。でも1階あたりに複数設けられますよね」
「1階あたり3基ですね。他により大掛かりなご要望に応えるためのフロアもございます。しかし、そちらは規約によりお見せできません。ご購入されるお客様も限られますので、墓自体もオーダーメイドに近く、契約も複雑になります」
「はぁ、そういったものまであるのですね。少し話は逸れますが、このお墓は外面のみになっていますよね。棺やご遺骨はどちらに?」
「ああ、確かに肝要な点ですね。実はしっかりと墓石の下に組み込まれるようになっているのです。今はその、全く無縁のご遺骨を引き出すわけにもいかず、空のままにて、ご案内いたしましたが、その構造はしっかりと確認できるようになっています」
そう言うとフナド氏は回転床の裏手に回った。壁との隙間には成人3人分くらいのスペースがあるから、決して狭くはない。手前からは丁度墓石の陰になって見えない面である。私もその後に続く。するとそこはぽっかりと空になっている。モノリスのように隙間がないと思われた墓石が、実は空洞だったのである。
「ここに遺骨が入るようになっているのですか?」
「はい、丁度、お父様のご遺骨を納めていた卵型の容器がここに嵌まるように作られています。骨壺は他の形も選べるようになっていたはずですが、いずれもここに対応する作りになっております。平時は地下にまとめて収納されているご遺骨は、参拝者がいらっしゃると、専用のエレベーターでここまで持ち上げられます。そしてここに収まることが目視でも確認できるようになっているのです」
「ここでもエレベーターですか」
「はい。ただ正確には選択と運搬を自動化する縦型ベルトコンベアと表現するべきかもしれません」
3×5基分の機械を稼働させ続けるのはコストがかかりすぎる。極力経路を一本化し、動きを単純化させているようである。フナド氏は縦型ベルトコンベアと言ったが、より解りやすいのは、日本の回転寿司のレーンであろう。勿論、これら裏側は積極的に見せるものではない。ただ、機械化された施設がその宗教的・精神的意味を喪失していないことの証明のために可視化されているだけである。
またSFDではオンライン墓参りも受け付けているという。こちらは日本で行われているものとさして変わらない。この平坦な部屋にも後方にカメラが設けられており、要望に応じて墓の形を変えた上で、部屋を映すらしい。つまり、実際に建物内の1基が弔意を表したい人物のために仕立て上げられ、遺骨が階下から持ち上げられるところを確認できるということである。