北風と太陽、そのどちらも 2
何だかんだ言いつつ、俺は半年粘った。短いとかいうやつはこの期間の地獄のような作業量を見てから偉そうにしてほしい。
一方で齋藤は低い言語力を補って余りある謎のコミュニケーション能力で、着実に例の騒音発生機を売り込んでいった。これは数値が示しているから認めざるを得ない。どんな話術だろう。もしかすると前職は詐欺ではなかろうか。
最近は街を歩いているとやけに大きなポップ・ミュージックや選挙運動のような宣伝文句が垂れ流される。いくつかの企業ではそれまで目立たなかった店舗の売り上げが向上したらしく、その前例を学習して取り入れることを決める店舗もあった。それを、日本では馬鹿の一つを覚えというらしい。おかげさまでそれまで静かだった通りが年中喧しい。
「あまり宣伝に人を割かないから、この国はこれまで静かだった。ところが、人が無くても宣伝し続ける機械によって営業努力が自動化される。自動化されると労力の変化が無くとも環境が変化する」
などと高らかに語るが、俺達の行く先は暗かった。いつまでこれを続けられるかといった塩梅だ。
「急速な普及が裏目に出ている。隣の店舗と諍いになったり、商店街の規約に違反する音量を垂れ流す店があったり、色々な負の外部性が露見し始めている」
「メッキが剥がれてきたか。ギリギリまでやる。普及させられる限り普及させる。この国は商業地がそれぞれの県の地方都市のほんの一画に密集しがちで、こうなることは見え透いていた」
何が「見え透いていた」だろうか。平穏な故郷に騒音騒ぎを持ち込まれて、俺はここでこの平坦な顔に殴りかかってもおかしくなかった。
「ただ、いよいよ始める時が来たのは解った」
「はぁ」
今度は何をしでかすつもりだ?
一週間後、俺達の会社、これは俺が最初に就職した本部の方で、新製品の発表があった。齋藤が俺のオフィスに意気揚々とやってきた。
「ノイズキャンセリングイヤホンだ。そして性能は極めて高い。日本の技術屋連中が死力を尽くしたんだ。逆位相の音を発生させることで周囲の音が聞こえていないかのように錯覚させる。Bluetoothでデバイスと接続させることが出来るし、最長稼働時間もこれまでのワイヤレスとは桁が違う。10時間だ」
そこでやっと俺達は齋藤のやり口が解った。それで全く違う会社を立ち上げていたのだ。要は街を騒がしくさせてから、音が聞こえなくさせる商品を売り込むというのだ。
「これが先進国のやり方か?」
「俺のやり方だ。普通の日本人はこんなことを考えないし、仮に思っても可能性を見出さない。だがどうだ。この国は近年の就職難の影響で若者が急速に都市に集中して、炙れた奴らが自営業の屋台を始めているときた。そいつらは自前のホットドッグやピエロギとかいうホットパイを売っている」
俺は齋藤の狡猾さに舌を巻いた。
未経験な若者は商才に長けているわけではないし、実家の稼業でもないから、ろくなノウハウも吸収しないで店を立ち上げてしまう。いくつかの成功例がメディアで注目を浴びているから、ますます不安定な自営業に漕ぎ出す。悪いスパイラルが生まれているとしか思えない。
「ノイズキャンセリングイヤホンを付けて街を歩くやつはもう結構いるんだ。ここは地下鉄も煩ければ、古いトラックや環境に悪い発電機を使う連中がわんさかいる」
「少し高くないか?」
「何、こういう物は最初から正規の値で売るんだ。それで富裕層から買っていく。いくらか売れ行きが伸びたら、よりグレードアップした新製品がやってくる。世代交代、というやつだ。すると富裕層は最初に買った方を売る。貧しい層は型落ちしたそれを買う。すると社会全体でこれが必需品になって来る。皆つけるのが当たり前になる。考えてみろ。お前はイヤホンとポータブルデバイスが出る前から通勤中に音楽を聴く文化を持っていたか?」
齋藤は腹が立つほど得意げな顔をした。
「持っていなかったよ。そんなことはしていなかった」
「そう、消費者の声に生産者が答えるのではなく、生産者の声に消費者が答える形を作るんだ」
本社の成績は鰻登りだった。一方で俺が筆頭の新社は、当然のことながら、停滞した。
「おい、俺を破綻する組織の頭にするつもりか。このままだと首が切られて俺はどこかに飛んで行っちまう」
「安心しろ。これが次のデバイスだ。もう一回同じ手口が使えるんじゃないか」
俺の机に小型の電子機器が置かれた。見た目はWi-fiのルーターに近い。
「またこっちには安っぽい電話子機みたいなもんを寄越しやがって。どんどん俺に汚い役柄が回って来るな」
「まあまあ、そうカリカリするなって。今、金に余裕のある層は殆どがイヤホンを付けて出歩くようになった。街の音も殆ど入っていない。あれ、どうなのかね。交通事故とかにも繋がっているらしいじゃん?」
自分達で売り出したくせして、他人事のように言う。この男の癪に障る態度だけは本当に慣れない。
「そしたら頑張って音で勝負していた小売店もなかなか効果が出ない。それにもう先進国は電子の海でコマーシャルを流す時代なのよ」
それは発展途上国でも同じだ。インターネットはこういった新手の手法の普及に、場所を選ばない。世界的な動画サイトやサービスを通じて続々と広告が流れ込んでくる。
「それでこいつは?」
「原理的にはフリーWifiに近い。というか殆ど同じだな」
「なら、もうかなり行き渡っていないか?」
「ただ、ここが違う」
齋藤はデバイスの裏側を少し弄った。ほぼ同時に、俺のスマホが震えた。
「おっ、いったみたいだな」
どうやら仕掛けがあるようなので、怪しみながらも着信をチェックする。
『新商品、Wifi-Ad!オンライン広告の最新版』
タップすると動画サイトに限定公開されていたURLに繋がり、目の前にあるルーター擬きの広告動画が自動再生された。
「要するに、次はWifi環境を普及させると同時にマーケティングを進めていこうという寸法だ。もうアプリやらメルマガやらSMS広告やらは殆どブロックされている。この国でも擦られまくったからな」
俺はもう次が読めた。
「それで外側から入る音もキャンセリングされているから、次はフリーWifiと」
太い指がパチンと鳴らされた。細かい仕草まで人の神経を逆撫でするのだから、ある意味稀有な天才だ。いや、この国にとっては天災か。
「それで今回は外で通信環境に接続する時の画面と振動を使うことにした。それを手軽に実現できるのがこの機械だ。通知音はイヤホンもいくつかのスマートウォッチも貫通する。見ての通り物凄くコンパクトでインテリアにも合う」
「次はここまで喧しくされちまうのかよ。やれやれ」
「一つ商才があれば、それを巧みに利用する商才もある。最終的には通信インフラ整備に繋がるのだから、世のため人のため」などと高らかに謳うが、そうではないのは明白だ。
「やっぱり広告を打ち出したい奴はごまんといるんだな」
また売り込みの季節がやってきた。そんな季節はもう二度と廻ってほしくなかったのだが。
「おたくのところの商品は最初だけでしょ」
「うーん、皆が使い始めるとどうもね」
中には鋭いやつもいた。仰る通りです、と心の中で頷きながら、
「いや、インターネットは今後も発展が見込まれるところです。先進国では既に飲食店でのWifi環境提供が始まっています。快適な居住スペースの必須条件になっているのです。どのくらい客が居座ってくれるかは、すなわちどのくらい客がサービスを注文してくれるかに直結しているのです」
齋藤と考え出した宣伝文句でどうにか説得を試みる。いくつかは通り、いくつかはこちらが折れた。手頃な値段とコンパクトなサイズは良いものの、イートインスペースが必要と言うことで、今回は前回ほど上手くはいかなかった。
「むむ……現実的な結果が返ってきたな」
「齋藤、お前もここまでだな。こんな浅ましい商売が上手くいくはずがないんだよ」
「浅ましいとは言ってくれるな。一応この会社の業績は黒字だ。勿論本社の業績も途上国支部の中ではかなり良好だ。もっと誇っていいんだぞ」
めでたい男だ。そんなのはちょっと風向きが変わっただけで、一気に転落する。
「お前に味方する風向きばかりじゃ、経済はお終いだ」
「ふん、そんな他所からやってきた天運みたいに金の回りを言いやがって。経済っていうのは動かす人が決めているんだよ」
一理ある。その価値に基づく判断がこれまで通用してきたことは認めよう。しかし、最早この男は動かす人の座にはいない。
「ジャン、スマートフォンやパソコンの中身がアメリカだけに握られていると思うなよ。日本には外から取り入れたものを改良してもう一度外に出すお家芸がある。今こそ、その出番だ」
なおも上機嫌な齋藤がそう豪語した数日後、日本からはるばるやってきた舶来品は無形のフラッグシップ、OSだった。高いセキュリティ性能と先進的なページデザインで世界中に売り出された。勿論、この国にも。
「何より素晴らしいのはこのセキュリティ性能だ。不審なアクセスはどこよりも敏感に検知し、即座にユーザーに知らせる。さらにはそれと一体になったセキュリティソフトが全世界のユーザーから攻撃的存在の情報をかき集め、中央AIがそれを逐次分析、撃退方法を考案し、自動アップデートに生かしていく」
なるほど、やはり日本の技術屋は凄まじい。アメリカ由来の技術をOSに実装し、センター管理AIの情報処理能力と直結させるとは。普及には時間がかかるかもしれないが、既に市場に氾濫している商品を駆逐する商品力は間違いなく持っている。
「そしてそのシステムには外部接続の通知を逐一管理する機能も入っている。何より重要なのは安全なフリーWi-Fiにはボタンタップ1つで接続する。しかも通知や面倒な手続きも完全にフリーだ」
やはりこの男の思考は同じだった。Wi-Fi子機を通じて流される広告を流布させておきながら、次にはそれをブロックするシステムを売り込む。
「マジでやり方が姑息すぎる。日本の大学ではそういうことを教わるのか?」
「そんなわけないだろ。前も言ったが、日本でも頭が古くてお硬い連中は既得権益の守り方以外ろくに考えない。でも俺は大学生の頃、友達とこういう事ばかり話していた。そん時はあまり具体的なビジョンがなくて、なんとなく国やら政府がやるとか言っていたけれど、やろうと思えば、これくらいの規模でもそこそこの効果を挙げられる。ソースは俺とお前じゃないか」
齋藤は自慢げに話す。しかし、機能面では申し分ない新商品を、どうしてそこまでリターンがない商売で以て支えなければならないのだろうか。普通に売るだけではダメなのだろうか。すると斎藤はこの疑問を見透かしたのか、
「こういうのはどれくらいの人が使っているかっていうのが重要なんだ。SNSだってコミュニケーションをする相手がいること、つまり他のユーザーが同じように使っていることが認知されることで、人気は跳ね上がる。OSにおいてもそうだ。アメリカ製のお高いのがあるだろう。あれだってストアで専用のアプリケーションが売られ、他のユーザーがいることで価値が担保されるんだ。一人でも多く顧客を確保しなければならない」
「全く、それでもこいつは誇れる仕事じゃないぞ。それにお前は肝心のこいつがOSのユーザー数を増やすことには直結しないという指摘にまるで応えられていない。論点ずらしで自分の商売をよさげに見せているだけ。俺はこの仕事の座を降りるね」
「おいおい、それは早計だろ。これからもっと旨い汁が沢山滴るというのに。最後にもう一発、地球規模のデカいお仕事に付き合ってくれないか?」
「お前のあくどい手法も直に通用しなくなる。ともすると犯罪者扱いされて豚箱行きだ。そんなの御免だね」
オフィスで声を荒げたのはなんだかんだこれが初めてだったかもしれない。そして結果的にそれが最後になった。
「おさらばだ」
険悪な空気のまま静まり返った社内を俺は堂々と退場した。勿論、次の行く当てはなかった。