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我慢ならなくなったら

昨日、駅で人にぶつかった。
すれ違いざまに「馬鹿が!」と罵られた。
何か他にも言っていたけど、イヤホンをつけながら謝っていたのでほとんど聞こえなかった。申し訳ない。

じわじわ、私の頭が「馬鹿が」でいっぱいになる。
私は別に優しくないしポジティブでもないわけで、気にしないなんてことはできないわけで。あの人もストレス溜まってたんだろうなんて優しい想像もできない。ぶつかったのはお互い様だった。

私が女だからそうやって言えたのかなとか、弱そうだからとか、弱者である自分とか、もうそんなこと思わなくなった。別に私は弱者じゃないし。強そうだし。
なんにせよ、馬鹿がって言うしかないボルテージにあの人はいったんだな、すごいな、知らない人に、馬鹿が…ちょっと面白い。馬鹿って、馬鹿って…馬と鹿って言ってる…おもしろくなってきた

我慢ならない、私だって、我慢ならない。
心が豊かな人だって、我慢ならない瞬間は絶対訪れる。
私が小さい時、怒りのボルテージがマックスになって、兄に「私もう怒るよ!」って言った。
そしたら「怒ったからなんだよ、怖くないよ!」って、いやほんと確かになぁ〜っ
確かになって思ってから、怒るよ!という脅し文句は使わなくなった。だって、怖くないよな確かに。

怒っている状態の人をみると怖いなぁ、と思うけど。
いきなりフルボルテージで怒ってくる人を見ると怖いなぁ、と思うけど。
怒るよ!って言ってくれる人がいたら、確かに怖くないかもしれない。

馬鹿が!馬鹿が!
は、我慢ならない時の意思表明で
だからどうってことは全くないけど

怒るよ!って言った小さな私と、馬鹿が!って言ったあの人と、全く似てないし親近感なんてこれっぽっちもないけど、でも我慢ならなかったんだなぁ、我慢ならなくなった時、手じゃなくて言葉が出るのは、望みの理性を手放してないからなのかなぁ

あー、イヤホンしてて、よかった
馬鹿が!しか聞こえなくて、よかった

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