ガチ恋するVtuber
失恋した。
と呼ぶにはこの思いは複雑怪奇で自分でもよくわからないけれど悲しかった。
だからきっと恋は失ったのだ。
noteや配信にきてくれている人ならおわかりいただけただろうが、私萌えみのりには好きな(芸能)人がいた。
大好きでとにかく彼の理想の女に近づきたくて絆創膏を持ち歩いたりした。
彼女が出来たときには悔やんだがまだ生涯を共にするわけではないと己で己を励ました。
しかしながら無常にもそのときはやってきた。
私の中で、去年ベストインパクトを残した出来事は間違いなく「野原しんのすけ」の声が交代してしまったこと。
2018年、推しキャラクターの声が変わり泣いたあの日々を乗り越えた私に、2019年は「推しの結婚」をもって終わりを迎えようとしている。
人生山あり谷ありどころではない。崖あり崖あり、なんなら崖から落ちた。
まさやすさんについてはこの方の文章がとても良いなと思う。
(引用失礼します。)
でも私は重症なほど彼を追っていたわけでもないし、彼が一番楽しんでいるであろうラジオでさえほぼ聞いたことがない。リトルなトゥースではない。ノットトゥースだ。
そんな私が何を悲しむことがあるだろうか?いや、ある。(反語)
お金がすべてではないがファンの心理など結局自己満足だと思う。これはあくまでひとり、あ、ひとつぶのイキリオタクの考えなので鵜呑みにしないでほしい。
追いかけ、お金を使うほうがファンとして認知はされるし感謝もされる。分かっている。これは私が好きなアーティストの言葉なのだが、「お金をかけて会いにきてくれるファンとそのほかのファンへの対応に差が出るのは当たり前」
それを私も承知しているし、お金を使った分だけそのファンも報われてほしいと思う。
けれどどんなに彼を追いかけていなかろうが、輝くラジオを聴いていなかろうが、書籍を1冊しかもっていなかろうが、私は彼が好きだ。
この気持ちは揺るがない。誰にも侵すことの出来ない私の気持ちを誰に否定される権利があるだろう。
だから悲しんだ。
伴侶が出来たこと。いつか離婚してしまう未来の可能性があるにしても現状ではたったひとりの女性を愛する決意を胸に、寝食を共にし、とにきには愛をささやき、くだらないことで言い合ってしょうもないことで笑ってゆるやかに老いていく、永遠にともに…。
とか書いてるけど本音は、はーーーーーーーーーーーうらやましいうらやましいうらめしいなんだよもーにじゅうろくさいってわっけーーーーーーじゃんかもーーーーーーーーーーーああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいいないいなかんごしっていーーいーーーーなーーーーーーーーーーー
一部文章が乱れましたことお詫びいたします。
テレビをつければ見ない日はないほどに活躍するスターの姿が辛くてずっと観れなかった。それでも一ヶ月経った今録画した彼の出演作をおそるおそる再生してみる。発言に、動作に、表情に、一挙一動に笑う私がそこにいて、なに笑っちゃってんだよとまた泣きたくなった。
恋は失ったけど愛は失っていなかった。なんてあほくさい文章をかいてみる。やっぱりどんな形になったって私を笑顔にさせてくれる。そんな存在なのだ。
インタビュアーが私にきく。
「今どんなお気持ちですか?」
私は答える。
「いや、いい恋させてもらいましたよ」