10月12日 峠の夜
湖西道路を降りてイン谷口に車を停め、青ガレのほうには行かず川を右手に渡って登る。少し急だが歩きやすい道だ。ザックにはテントと寝袋と、凍らせた缶ビールが3本入っている。
一時間少しでカモシカ台に着いて小休止。
さらに一時間ほどで琵琶湖を見下ろす北比良峠に着く。ここから少し下った八雲が原に幕営する予定だったが、峠の琵琶湖方面に開けた絶景が気に入ってしまう。幸い風も穏やかでテント設営になんの問題もない。早速テントを張り始める。傍らにセンブリの花が咲いている。踏みつけないように気をつけねばならない。
テントを張り終え、一息ついてからサブザックに貴重品と水とお菓子と上着を入れて出かける。武奈ヶ岳山頂へは明朝登って山頂でご来光を見ようかと思っていたが、まだ時間も早いし行ってこよう。
まずは八雲が原へ沢沿いを下る。沢の水は澄んでさらさらと流れており、飲用に問題なさそうだ。
池塘の点在する八雲が原。もし風の強い日なら幕営はここ一択だろう。すでにテントがいくつか張られている。池を覗くとアカハライモリが泳いでいる。
武奈ヶ岳山頂への登りへ。分岐がややわかりづらい所があり、谷沿いの道ははっきりせず夜明け前の暗い時にこの道を登るのは困難だったと思い知る。よく知らない道を暗い中歩く計画は無謀であった。今日のうちに登ることにして良かった。関西屈指の人気の山だけあって降りてくる人としょっちゅうすれ違う。
樹林帯を抜け山頂への爽快な尾根道に乗る。360度の大パノラマ。伊吹山の存在感。晴れていれば白山や御嶽山も見えるが今日は残念ながら東の方は曇っている。風が少し冷たいが寒いほどではない。
景色を楽しんでテントに帰る。八雲が原のテントも増えている。20張近くあったのではないだろうか。
北比良峠に戻ると私のテントの周りで人が一杯座って休憩している。眺望抜群の場所なのでまあ仕方がない。ごそごそとテントに入り、ちょうど溶けて飲み頃になったビールを出して乾杯。
私の飲酒姿を見た帰りがけの男性からおーっ、いいなあと声がかかる。羨望の眼差しを浴びながら飲むビールより旨いものはない。頑張って担いだかいがありましたワ、と、ここぞとばかりに自慢。楽しんでね、と言葉を貰う。
フライパンを出してソーセージと冷凍ブロッコリーを焼いてつまみにして存分に楽しむ。ブロッコリーを少し残して、冷凍ご飯と水とトマトピューレを入れてリゾット風雑炊を作る。胡椒と粉チーズを振りかけて食べたら絶品であった。
ビールをやりつつ夕暮れの景色を眺める。少しずつ、しかし絶えず変わっていく空の色を見ていると退屈することはない。琵琶湖に浮かぶ島の長閑なこと、水面の穏やかなこと。峠にも少しずつテントが増えてきて、全部で7張になった。
少し離れた所にテントを張っている紳士が話しかけてくる。御年70歳、麓の湖西の町にお住まいでお仕事は5年前に引退されたそうだ。北アルプスで見かけたオコジョや琵琶湖周辺の山に咲く花の写真などを見せてもらう。
他にお若い頃に登った古い写真と同じ場所の最近の写真をヤマップに投稿されているそうだ。50年も前の燕岳で笑顔を見せる若者グループの中の若かりし頃の紳士、同じ場所でひとり笑う現在の写真。同じように大天井岳、槍ヶ岳など、昔の写真と今の写真を見比べては楽しんでおられるそうだ。
いいな、と思う。大切な思い出の写真。まるで宝石箱を見せてもらったようだ。
よく「山は逃げない」と言う。天気が悪かったりで登れなかったとき等、次のチャンスを待つという意味で(無理して登るもんじゃないという意味で)よく言われることだが、楽しんで登った山は一生自分の中に残り、いつも心の中に居てくれるという意味かもしれないと思った。
楽しい時間を過ごしているとあっという間に夜がやってくる。それぞれのテントに戻り寝るまでの時を過ごす。隣のテントの友人同士の男性二人は寒さが心配なようでしきりに温度計を気にしている。琵琶湖の周りの町に灯りが灯りだす。空気が冷えてきて少し寂しいような不思議な気分だ。
ビールを3本とも飲み終えてワインに切り替えていたが、寝袋に入って文庫本を開くと急激に眠くなりすぐに寝てしまった。20時頃には寝ていたと思う。
5時頃まで寝る。昨夜は何度か夜中に目が覚めたがそれでもゆっくり寝られた。さすがに標高の高い山ほどではないが星も良く見えた。
日の出時刻は6時過ぎである。山で明るくなっていく空を見るというのは何度経験しても喜びを感じられる。鳥の鳴き声がどんどん賑やかになっていき、鈴鹿山脈の向こうから眩しい太陽があらわれる。
琵琶湖を覆う雲海に見とれ、顔に射す陽射しの暖かさにほっとする。下山する前にもう一度八雲が原を散策。
テントの夜露を拭いて撤収。隣のテントの二人連れは今から山頂に向かっていく。昨夜の紳士は降りたら駅でビールを飲むのだと嬉しそう。私は道の駅で美味しい野菜や特産品を見つくろって帰ろうと考えている。みんな元気に別れていく。