フットボールを生きる街 #07 ライバル
07
“Sin hablar de fútbol, puede ser la persona más parecida a ti.”
- Juan
「フットボールのことを抜きにしたら、アイツは自分に一番似ている人間かもしれないな」
セビージャ FC の誕生は、1905年の出来事である。そのわずか2年後、学生が中心になり、レアル・ベティス・バロンピエの前身であるセビージャ・バロンピエが結成された。以降100年以上にわたり、セビージャの街は両者とそのサポーターによって二分されてきた。
ふたつのクラブの対立の根源には社会的階級問題が潜んでいる、すなわち、セビージャFCは富裕層に支持基盤を持ち、かつて労働者階級の選手との契約を拒んだとか、セビージャ・バロンピエはそれに反発した者たちがセビージャFCから分離独立して生まれた、という歴史的逸話は広く知られたものである一方、なかば神話のようなものでもある。
少なくとも、現在の両者の対立やクラブアイデンティティの上にそのような階級問題を重ねる人には、ほとんどお目にかかれないだろう。
もはや、サンチェス・ピスフアンであれベニート・ビジャマリンであれ、そしておそらく世界中のほとんどすべてのスタジアムにおいて、そこに詰めかける観衆の社会的性質をひとつのことばで定義することは不可能である(なぜならスタジアムは「世界」だから)。
セビージャFCとレアル・ベティスのそれぞれのサポーターは、「セビジスタ」「ベティコ」と称される。
彼らは常にいがみ合いお互いを忌み嫌っているかというと、実はそうではない。
両者はたしかにセビージャの街をふたつに分類する要素ではあるけれども、その分断は「断絶」とは全く異なるものである。どちらかというと、ふたつのクラブがひとつの街を「共有」していると言ったほうが正しいかもしれない。
セビージャは、面積でいえばロンドンの10分の1に満たない小さな都市である。ピスフアンとビジャマリンを直線で結ぶとその距離はわずか4キロメートル。徒歩でお互いのスタジアムを行き来できるような地理関係にあって、両者のサポーターがお互いに上回ろうと敵対心を持ちつつも、密接に関わりあいながら暮らしているのは至極自然なことである。
街に出てみれば、それぞれのチームのユニフォームを着た子どもたちが、ひとつのボールを追いかけている。陽が落ちると、彼らは手を取り合って帰路につく。ひとつの家族の中にセビジスタとベティコが両存していることも、実は特段めずらしいことではない。
自分と逆のクラブを応援しているという理由で友人と疎遠になることなどありえないし、お互いの負け試合について軽口を叩きあうことで絆を深めさえする。すべて、セビージャで出会うことができる特別な日常だ。奇跡のようなバランス感覚のように思われるが、そのバランスもセビージャの人々の大らかさに依るところが大きい。
つまり、自分にとってのセビージャFCが、だれかにとってのベティス、またはその逆であるということを、彼ら自身が誰よりも理解している。自分を代表するもの。誇り。守るべきもの。家族から受け継いだもの。子どもに伝えたいもの。人生そのもの。自分がひとつのクラブに対して抱く感情を、だれかはもうひとつのクラブに抱いている。そのクラブを否定することなどできようか。ましてや、同じ街を代表するクラブを。大切な友人や家族が大切にしているものを。だから、どちらかが本当に痛んだときには、両者はどちらからともなく歩み寄り、迷わず連帯することができる。
ベティスのことを、あるセビジスタは「憎くて愛おしい存在」と表現する。両者の関係が魅力的に映るのは、一見したときの攻撃性や暴力的な性格によってではない。その内側に秘められた、敬意、健全さ、寛容、ユーモア、冗談、嫌悪、愛情、セビージャの人々が持つあらゆる特異性によって、である。
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この文章は、ダービーを持つすべてのサポーターに捧げます。
「憎くて愛おしい存在」って、まさにその通りだと思うんです。
もちろんダービーの日に発露するのは激しいライバル関係で、強いことばだったりもする。だけど日常には、ひとつの街に、ひとつのコミュニティに、ひとつの家族に、ふたつのクラブがあたりまえに存在していて、あたりまえに受け入れられている。
わたしも、ベティコの友達はたくさんいて、いまでもよく連絡を取り合います。「お前まだセビージャなんか応援してんのかよ~」と、愛情たっぷりの軽口をたたかれています。
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