フットボールを生きる街 #08 芸術の都
08
“El arte de su fútbol no tiene rival.”
- Himno Centenario del Sevilla FC
「その芸術的なフットボールはほかに類を見ない」
711年の西ゴート王国の滅亡以来、700年以上にわたって、アンダルシア地方はイベリア半島を支配していたイスラム勢力の政治および文化の中心地であった。セビージャにおいては、およそ500年間この支配が継続し、以降の時代にも多様な影響を及ぼしてきた。
1364年にペドロ1世の命により完成したアルカサルは、繊細なレース状の彫刻、幾何学模様のタイル、多弁形のアーチ等、イスラム建築の手法を採用した豪華絢爛な宮殿である。
また、街の象徴的存在ともいえる大聖堂は、もともとイスラム教の大モスクを解体して建設されたものだが、建築自体にイスラムの影響が垣間見えるほか、パティオやミナレットはそのまま大聖堂の一部として残された。かつてのミナレットは鐘楼へと姿を変え、その頂上に堂々と立つ風見の女神は、カトリック信仰の擬人像とも言われる。キリスト教徒たちが、イスラムの芸術的感性や技巧を自分たちの文化に取り込んだ結果、みごとな調和と異色の美しさが生まれたのである。
17世紀になると、セビージャは、新大陸貿易の拠点として繁栄を遂げる。ヨーロッパにおいても有数の国際都市に成長したセビージャには、各地から最新の絵画や版画が流入した。そのため、セビージャは同時代の美術の最先端を担っていたと同時に、画家や芸術家の活躍の舞台としてもきらめきを見せた。この時代には、セビージャにおける熱烈なカトリック信仰が、フランシスコ・デ・スルバランやムリーリョら、多くの芸術家たちを引き寄せていたようだ。
また、19世紀には、セビージャの習慣や風景そのものも芸術的対象として注目を集め、セマナ・サンタやフェリアといったセビージャの宗教的慣例や祭りが多くの絵画の主題として扱われた。多くの詩人がセビージャの美しさを謳い、ロッシーニやビゼーもかの有名なオペラの舞台としてこの街を選んだ。
表情や役割を変えながら、何世紀にもわたって芸術を愛し、芸術に愛されてきた都市には、現代もなお、多くの芸術家や芸術愛好家たちが集う。イスラムとカトリックそれぞれの強い信仰を絶妙なバランスで共存させ、鮮明に反映したセビージャは、街そのものがひとつの芸術であるともいえよう。
大聖堂、アルカサル、大小さまざまな教会、パティオのある街並み、フラメンコ、闘牛、フェリア、セマナ・サンタ…。数え上げることなど到底できないが、セビージャを構成するすべてのものがまさに「アルテ」なのである。この街の人々も、そういった芸術に対して洗練された感性を生まれながらに習得し、知らずのうちに求めながら、日々を暮らしているように思われる。
となれば、当然フットボールも例外ではない。要求高い観衆はつねに、美しく抒情的なフットボールを求めている。セビージャのフットボリスタにとって、一番の賞賛は「芸術的であること」である。
この芸術的な街は、計算しつくされたシステムが組み立てた機械的なゴールよりも、一瞬のうちに繰り出される選手たちの数々の魔法によって、その身を震わせるのである。
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かつてのモスクのミナレットは、「ヒラルダの塔」と呼ばれていて、セビージャのイムノにも登場します。
このヒラルダは街のいたるところから見えるセビージャのシンボルです。遠くから見るのも、近くから見上げるのも大好きでした。ヒラルダの上から見渡すセビージャの街も大好きで、数えきれないほど登りました。わたしは信仰は持っていないけど、この塔に守られていると感じたことは一度や二度ではありません。
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