人類、みな、演者

とある先輩と飲んだ時の話。
その先輩は趣味兼第二のお仕事として演劇を行っている。

ずっともやもやしていた、
「俳優さん含め、人の前に立つ人は、
演じている時と演じていない時で性格とか考え方とかが
ごちゃごちゃにならないのか」という
今文章化してみたら若干失礼かもしれない質問をした
(お酒入ってたし夜だったし、いいか!)。

その先輩の考えとしては、結局演者関係なく
どんな人でもその人に応じて演じているんだと。
だから、「演じる」というものを仕事としているとかは関係なく
人は知らないうちに演じているそう。

それを聞いた時、「そうとは思いたくないなー」と思った。
そうしたらどれが「自分自身」なのかがわからなくなるから。
実際その先輩も「“本当の自分”とは何かがわからなくなる」と言っていた。
「変なのー」と思いながら先輩の話しを聞いていた。


その先輩と別れた後、先輩と飲んでいた時の自分の様子を振り返ってみると
あまり認めたくないけど、確かに、「演じていた」気がした。
別に先輩に好かれようとか、あまり考えてはいなかったけど
何か、「演じていた」ような気がする。

たぶん、「演じる」って対話しやすくするためと、
その人の脳裏に焼き付けるためっていう役割がある。
別にその人に好かれたい・好かれたくないは関係ない。
「私と会った証拠」を頭の片隅に残してほしいから演じるんだろうな。

演じている自分も、自分。
人類、みな、演者。



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