気がつけば、看護師になっていた。
気がつけばもう看護師4年目。
教えてもらうばかりのひよっこだったわたしが、いつの間にか病棟の運営に携わったり、後輩を指導する側になったりと、随分と仕事を任されるようになってきた。
「気がつけば看護師4年目」になれたのも、ここまで運んできてくれた周りの先輩や院内外で支えてくれた多彩な友達がいたから。
いつの間にか「看護師らしくなったね」と看護師の叔母にも言われるようになった。
看護師一年目の頃は、看護師として、ひとりの人間として、毎日を生きることで精一杯だった。
体調管理も、人間関係づくりもうまくいかない。だれにも心を開くことができず、ひとりでどうにかしようと強がっていた。
強い恐怖心を感じると、自分の方から壁をつくって、守りに入ろうとすることがよくある。
怖がるわたしをみとめることにエネルギーを必要としたから、力を溜める時間が必要だった。
奥深くの弱い部分に触れてしまうと、脆く崩れてしまいそうで、こわかった。
わたしの奥深くには、いつも臆病なわたしがいるんだ。傷ついたときのわたしは、そのわたしを直視することができないでいた。
心に余裕ができてくると、少しずつ、そっと触れて抱きしめられるようになってきて。
ようやく、本心から看護師が楽しくなってきたのが最近のこと。
それでも、多種多様な負のエネルギーに触れては、看護師から離れたくなることもある。
ただ、根本的に人が好き。その想いが看護師を続けさせているんだと感じる。
これがなければ続けられないと、よく看護学生時代に言われたものだが、今になってわかる。
どれだけ罵倒され、患者さんから蹴られたり、殴られたり、噛まれることもあるし、感染の危機に直面したり、職場の人間関係が複雑だったり、心身を壊したり、いろいろ大変なことがあっても。
やっぱり、看護が好きな気持ちは変わらないんだ。
純粋なその想いが、看護を続けさせてくれている。
これからも現役病棟ナースでいるかはわからないけれど、なんやかんや、人と関わるという、好きな仕事をしているんだと思う。
看護師4年目の記録として、残しておこう。
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