頭と心の葛藤問題
連れ子との課題にぶち当たった時、私は度々「頭では分かっているのに感情(心)がついていかない」と悩みました。頭では快く受け入れようと思っていても、実際にはイライラしてしまう。どうしたらいいのだろう…と。
よく言われる理想では、継親には連れ子を愛して可愛がる事が求められます。(※この理想の「愛情」については、また改めて別記事に書きたいと思います。)ですが、現実では「連れ子だから愛して受け入れるのが当たり前=(イコール)連れ子を常に可愛いと感じ、当たり前に受け入れられる」とはいかなかったのです。
どうしたものかと悩みに悩んだ挙句、湧き上がる感情を受け止めるようにしました。
頭で考える事は理路整然とすることが出来ても、感情は、自分ではコントロールが効かずその時々で違います。そこに悩む事をやめました。
全てを箇条書きのように、個々に受け止めるようにします。
頭では、
・連れ子を受け入れよう
・連れ子の世話をしよう
・連れ子を可愛がろう
でも、
・連れ子がいる毎日は大変
・イライラする
・ご飯を残されたら悲しい
・物を壊されたら嫌
・言う事を聞かない連れ子に怒る
けれども、
・一緒に遊ぶと楽しい
・ご飯をおいしいって食べてくれたら嬉しい
・懐いてくれて嬉しくくすぐったい
・笑顔が可愛い
などなど。
全ては本当の事で、私にとっての現実です。
課題となるのは負の感情が湧く時ですが、負であっても全て受け入れます。例えば、イライラする時、「イライラする事が悪い訳じゃ無い、イライラするものはしょうがない」とそのまま受け入れます。
嬉しいな、楽しいな、という良い感情を受け入れるのと同じように、嫌だな、悲しいな、などの負の感情も受け入れるのです。
感情は、その感情を持つ事を責められてもどうにも出来るものではありません。例えば、怖いものを「怖いと思うな!」と怒られたところで怖いと感じる感情はそこにあるのですから。
私達が出来ることは、怖いと感じる感情はそこにあるということを受け入れて、その上で何が出来るかを試みることです。つまり、イライラはある、もうあるんです、そこに。では、何にイライラしているのか、感情の元となっている事柄に対して改善策を練り、新たな試みにチャレンジしていけばそれでいいのです。そうするうちに、イライラしなくなったり、したとしてもその時だけで後にひきずらなくなったり、状況が変わってきます。
「湧くものはしょうがない」と全ての感情を受け止めてしまえば、頭と心がこんがらがった状態で悩む(「理想とは違う感情が湧いている事」自体について悩む )事が少なくなり、対応しやすくなったように思います。
時に負の感情を持つ事は至って普通のことなのですが、連れ子と継親という関係が、私達を狂わせるのでしょうか。湧いてきちゃう感情(心)そのものについて悩んでしまうのです。良い感情であれ負の感情であれ、湧き上がる感情に対して、自分を責める必要も、ましてや誰かに責められる覚えもありません。感情は個人のものなので、敢えて公表する必要もありません。受け入れよう。そこに気づいてから、冷静に、課題を打破すべく、あれやこれやの試行錯誤に突入です。
連れ子との課題はパターンや解決策も人それぞれですよね。その人に合った乗り越え方に出会えますように。
2020年1月31日