腎移植ドナー日記 2022年9月16日夜の出来事②
母の誕生日祝いと姉妹間での腎移植予定の報告を一緒に行えたらと計画したものの
娘たちがお祝いしに実家へ戻って来たと思ったら手術の話…では
ショックを与えてしまうのでは、と懸念した私。
先に電話で「会ったら報告したいことがあるんだよね」と匂わせたら
母はその事が気になり、心も体も落ち着かなくなってしまいます。
結局直接会う前に、3人でのグループ通話で姉から母に報告してもらうことに。
やってしまいました…。
通話に途中参加した母は、明るい母に戻っていた。
思いを思いのままに話す本来のおしゃべりキャラクターで
「孫に会いたいんだけどごめんねぇ」
「病気で体が痛んでロキソニンが手放せないのよ困っちゃって」
と、
内容は申し訳なさややるせなさを含むが声にはパーンとハリがある。
しかし姉の
「私ね、腎臓がもう末期なんだよ」
の一言で空気が変わる。
数値が今年に入って一気に悪くなったので、妹がドナーになり腎移植する方向で動いてる、と。
私は母が先ほどのようにまた泣いてしまうのではないかと心配したが、母のおしゃべりスイッチは切れなかった。淀まず喋り続けた。
「いつも通ってるお医者さんに私が腎臓あげられないか聞いてくるからね!」
「9月の終わりに病院行くから聞いてくるからね!」
と張り切りスイッチもin。
現時点でのドナー候補は健康な私なのだと言っても遮られる。
「でも私(母)の方がいいでしょ!」と。
そしてまた
「お医者さんに聞いてくるからね!」
「9月終わりに聞いてくるからね!」
を繰り返す。
「もえかより私の方がいいでしょ!」
も繰り返す。
続く言葉は…
もえかには未来があるんだから。だった。
長女の健康と次女の未来を私が守る。
十数分前までメソメソしていた母は、すっかり二人の子を守る昔の強い母に戻っていた。
糖尿の気があるだけでドナーとしては不適合になると聞いていたし加えて難病でロキソニンばかり飲んでいる母が腎提供する可能性は低いだろう。
しかし母として姉と私のことを何とか守ろうとしてくれたその気持ちだけで十分である。
ありがとう。
仕事が一段落した後眠れず「糖尿の気 腎移植 ドナー 」などのワードで何度もネット検索。
私がドナーなのだろうが、もしかしてもしかすると母なのかも。どっちなんだろう。
その流れで「若い人 腎移植 」なども。
30代、40代の体験談も幾つか見つかる。ただ兄弟間はあまりなく親子間、夫婦間での移植の話が多かった。
腎提供が怖いと思う人もいるらしい。私は手術は全然怖くない。職業柄周りが全身麻酔経験者ばかりだからだろうか。
怖いのは、姉と私の型が適合しない可能性や術後腎臓の生着が悪かったらと想像した時だ。
あと自分では当たり前に言っていた「腎臓あげる」という言葉。
なぜかネット上のよその家族間で目にすると泣いてしまう。
夫が妻に「僕の腎臓をあげる」
母が息子に「腎臓、あげるわよ」
深い愛にざぶざぶと飲まれるような気持ちになって目頭が熱くなる。
試合の帰りに電車の中でガンバレ☆プロレスの元選手現スタッフ星野さんに移植のことを話した時、ぽろぽろと泣いてくれたことを思い出した。
俯瞰で見るのと、渦中に飛び込むのと。
体の一部をあげることについて生まれるこの温度差はなんなのだろう。
母が口にした「私があげるよ」は俯瞰と渦中の中間くらいか。
泣かなかった。でもグッときた。