腎移植ドナー日記 2023年9月23日(土) 入院6日目
秋分の日、秋のお彼岸中日。
朝6時半過ぎに自然な目覚め。
食事の時間までLINEチェックなど。
昨晩0時過ぎまでラジオのお天気コーナーの原稿を書いていた。
埼玉の薄暮・薄明の時間などを細かく調べていたら思ったより時間が過ぎていた。
昨日う◯こう◯こと騒ぎ回ったが、結局下剤を服用したのは21時頃、消灯の少し前であった。
手術前日にも同じものを飲み、あの時は翌朝8時にお目にかかれたことを思い出す。
その時刻を前に、朝から胸の高鳴りがおさまらない。
大好きなおじいちゃんおばあちゃんに会うのを待ち侘びていた子供の頃に似ている。
正月でもないのに「もーいくつ寝るとー」と歌い、カレンダーを見るたびあと何日、と心待ちにしていたっけ。
う◯この比喩で使われるおじいちゃんおばあちゃん。不憫だ。
しかしあの世と近づくと言われるお彼岸だからこそ心に浮かんだのであろう。つながっている証拠である。
ずっと大好きよ。
ところが朝食の時間を過ぎても、隣のベッドの年上マダムとウォーキングをしても、歓喜の瞬間は訪れなかった。
予兆はある。おなかが動いている感じはする。
が、打席には立つものの安打が出ない。送りバントすらうまくいかない。
「期待」という名のバットを、この体は4日間も空振りし続けている。
お昼前に看護師さんが「お風呂どうですか」と声をかけてくれる。
「まだ出ないんです…出てから入りたいです」
お風呂の後に大きい方をするともう一回お風呂に入りたくなるというあの気持ち。
ふだんはそこまで神経質ではないのだが。
お昼ごはんをいただき、本日二度目の年上マダムとのお散歩後も出ない。
看護師さんが再び「お風呂どうですか」と。
ここまで期待を裏切られ続けると人間少々やさぐれる。「まだ出ないんです」「出てから入りたいです」
数時間前と全く同じセリフだが、明らかにため息を含んでいる。
おじいちゃんおばあちゃん遊びに来るって言ったじゃん。何で来ないの。来ないならもういいよ。お風呂でキレイキレイもしないよ。
ぷーっと膨れた子供のようである。
へそを曲げて寝転がり小説「BUTTER」を読む。
「おなかが空く小説だよ」と姉から渡されたそれは、食レポの勉強にもなるほど、美味しいものを口に入れた時の表現が秀逸なものだった。
真夜中の塩バターラーメン、宮崎牛の鉄板焼き、超高級店ジョエルロブションのフルコース。
「お米が立ちその間を黄金が流れる」バターライス…食べてみたい。
でも今の私にはもう空きがない。
事態急転、突如その瞬間は訪れた。
“おなかが空く小説”よもやそういう意味だったとは。
言葉の通り、本当におなかに『空き』が作られようとしている。
体内の動きが今までと明らかに違う。
それまでは風が起こすさざなみのようだった。
今やどうだろう、頼れる主砲が打席に立った時の、大歓声のようなうねりを感じる。
湧きかえる場内。
ピッチャーとの真っ向勝負。
15時45分、走者一掃、場外ホームラン……!!!
4日ぶりの特大アーチは、この先の希望をも感じさせるものだった。
腎臓は一個になった。でも胃は元気だ。肝臓も膵臓も元気だ。小腸大腸直腸も復活!これからも力を合わせれば何だってできる…!
虹のような放物線を描いたホームランボールが場外へと消え、嵐のような歓声の中、私には別の声が聴こえていた。
「…大人になったあなたには、おじいちゃんおばあちゃんは会いに行けないけど、
しっかり頑張っていくんだよ…」
秋分の日。
太陽が真東から登り、真西に沈む日。
西の彼方にあるというあの世と一直線になって、現世と一番近づく日。
ありがとうおじいちゃん、おばあちゃん。
私、頑張るよ…!!
さぁ体の中が綺麗になったのだから、後はお風呂で体の外も綺麗にするだけだ。
そう分かってはいたのだけれど…立派なブツが出たらもうスッキリさっぱりしてしまい、
結局この日は入浴せずに就寝しました。
弘法は筆を選ばず。
君子は危うきに近寄らず。
私う◯こ出ても風呂入らず。
看護師さん何度も声をかけてくれたのにごめんなさい…。
……終始おシモの話しかしてないし。
看護師さん本当にごめんなさいだし。
他できごととしまして…
・管がないのでお散歩し放題
・ローソン行き放題
・ヨーグルト スイーツ食べ放題
・変わらず咳すると傷痛む
・同部屋マダムに職業伝える
・マダム 神社かお寺の娘と思ってたそう
・お夕飯はハンバーグ 姉妹揃ってはしゃぐ
それなりに楽しく過ごしていたようです。