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焼きたてパン、月へ行く

ぴんと立ったトレードマークの耳、細く滑らかで手触りのよい毛、まるっとふくよかな後ろ姿、大きくつぶらな瞳、短くやわらかな手足。

ご飯の時間には自動給餌器の前に陣取り、おやつを得るためには簡単な芸だってする食いしん坊。

頭や頬を撫でられるのは好きだけど、お腹や手足は触らないでほしい、王様気質のわがまま坊主。

ニトリで買ったベビー枕を座布団に鎮座し、昼下がりのまどろみを贅沢に味わっていた我が家のうさぎ、燈(あかり)が、
2023年3月20日午前、4年7ヶ月と8日の兎生を終え、月に還っていった。

*

燈が家族になったのは2018年の秋のこと。消防学校の卒業を間近に控え、いよいよ社会へ飛び出さんとするときだった。
前々から、働き始めたらうさぎを飼おうと思っていたのだ。迎えた200gの小さな小さな子うさぎにつけた名前は燈。これからはたらくまちの伝統行事、大燈籠流しからとった。

初めましての1枚



その名のとおり、燈は私の人生を優しく照らし、どんな時でもそばにいてくれた………と思う。なにぶん、おやつを与えるときくらいしか近寄ってこなかったような記憶があるような気がするもので。

なんにせよ、仕事や私生活で本当に落ち込んだ時、座り込む私のつま先をツンとつついては駆け回るあの姿に元気づけられたのは言うまでもない。

しかし、あの子はいなくなって、もうあの小さな口でご飯を食べることも水を飲むこともない。なのに私はお腹が減るし喉も乾く。この事実がどうにも耐え難く苦しくて仕方がない。
ひとつの大切な大切な命が喪われたというのに、それでも私たち以外の誰もそのことを気にせず生活は続いていくことが異常にすら思えてくる。

宮下家の(そしてかつては笠川家の)太陽であった彼の死は受け入れ難く、どうしようもない悲しさや苦しさでおかしくなりそうで。
とりあえずのひと区切りとするため、ペット専門の葬儀屋に縋るように電話をした。

そして昼下がりの晴れ渡る空のもとでひっそりと葬儀を行い、そのまま火葬という形で小さなうさぎは遠い空へと旅立って行った。

抱き上げられることが大嫌いだったから、このようなことになって初めて彼を腕の中に抱くことができた。初めて抱きしめたうさぎは思っていたよりも小さく軽く、抜け殻になってなおやわらかだった。

最後の1枚


棺の中には普段食べていたペレットと牧草、それから毎日少しずつしかあげなかったおやつを大量に入れた。月への道のりはおよそ384,000kmと果てしなく長いのだから、お腹を空かせてしまっては困る。

手元には小さなお数珠。そして六文銭と守り刀。あんな短い前足でいざというときに守り刀が抜けるのか?と心配になり、少しだけ鞘から引き抜いておいた。

そして顔の周りは明るい燈籠色の、橙と黄の花で飾り、頭の下には大好きだったニトリのベビー枕を敷いた。

やわらかな毛並みの感触を忘れないように何度も何度も撫で、撫でたその手で、火葬開始の釦を押下した。

燈籠色だね

火葬終了の合図を待つ間、あの子は普段からパンのふり(足を折り畳んで座る様が食パンやコッペパンに酷似していたためこの呼び方をしていた)が好きだったから、ついにパンとして焼き上げられることになっちゃったか、などと不謹慎極まりないことが頭をよぎったりした。


食パンのふり

炉が開けられ、出てきたのは焼きたてのパン…ではなく、小さな骨だった。ちんまりしていて、骨までかわいい。うさぎとはつくづく素晴らしい生き物だ。

家に一緒に帰る骨壷に、大腿骨、骨盤、背骨、肋骨…と順番に収めていく。1本だって取りこぼしたくないと、懸命に目を凝らして細い骨を小さな骨壷に詰め込んでいく。

最後に頭蓋骨を骨たちのてっぺんにそっと乗せ、ギチギチに詰まった壷が完成した。
私たちの懸命な骨捜索活動により、見た目よりずっしりと重い、生きた証を残すことができたのだ。

あの子のことはきっとずっと忘れることはできない。ああしていれば、こうしていればという思考は止まらない。
けれど人間という生き物は忘れる生き物だから、張り裂けそうなこんな苦しみさえも、いつか忘れてしまう日がきっとくる。

この苦しみから逃れられるならそれでいい。それでも、胸に残るこの痛みがあの子の生きた証なら、この苦しみや悲しみは絶対に忘れたくない。
だからこうして記録を残す。

カリカリ、パツパツとご飯や牧草を噛む規則正しい音や、柔いからだの香ばしい匂いやあたたかさを忘れてしまっても、あの子がこの世界に存在したということを決して忘れないために。

おいしそうに食べるね

*

今日は雲ひとつない天気のよい日だから、きっと迷わずに月まで行けると思う。

長い旅路の末辿り着くであろう月での永いお昼寝はたぶんとても心地よくて、つらいことや悲しいことなんてないのだろうね。

好きなだけ美味しいものを食べて、駆け回って、パンのふりをして。

それでも、少しのあいだ人間の世界で暮らしたこと、
人間に輝くほど素敵な日々を与えてくれたこと、
そしてあなたを呼ぶ声を、頭を撫でる手の感触を、あなたを愛した人間がいたということを、


たまにでいいから思い出してくれると嬉しいな。


2023年3月20日
下僕の人間より愛をこめて


※かっこつけといてアレなんですがだいぶ落ち込んでいるので、しばらく放っておいてください。うちのうさぎを知ってくれている方は、無事に月まで辿り着けるよう祈ってくれると嬉しいです。

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