【美術から見るバレエの歴史】in美術館喫茶室ニホ
昨日は福井県立美術館ヨコ、美術館喫茶室ニホさんにてバレエ座学のイベントを開催させて頂きました。
主催はCRESCENTさん。
6月に開催したオンライン座学「白鳥の湖の世界」にご参加頂いたご縁で今回の会につながりました。
改めまして、ありがとうございました!
美術の流れにバレエの変遷を絡めているのですが、舞台芸術の中には様々な分野の芸術が組み込まれているので、実は何気なく知っている絵画や歴史の人物名など、大人の我々はどこかで聞いたこと・見たことある…!と答え合わせになるような内容です。
バレエを知らなくても、自分の中での発見があると良いなと思っています。
見え方が変わると、見える世界が変わってきます。
気になったポイントから深掘りしていく。
そんなきっかけにして頂けると嬉しいです。
さて、最後にご質問をいただいたのですが、回答が不十分だったことが気になったので、こちらにもシェアしたいと思いました。
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*ご参加頂きました皆さまへ*
質疑応答の改めての補足となります。
独断的な見解ではありますがご参考ください。
「フランスではバレエは衰退、しかしロシアでは繁栄していたのはナゼ?」に関して。
①ロシアでは(特にモスクワは)孤児院からバレエ教育が始まっており職業として確立されていた。
②そこに欧州から優秀なバレエ教師が招聘されるようになり、フランス・イタリア人教師活躍の場がロシアに移っていた(人材流出)
③ロシアは欧州から見ると田舎で、情報が遅れていた
今のようなスピード社会ではなかったので、あらゆる流行は遅れてロシアにやってきていたのだと想像されます。そこに職業ダンサーが育ち、クラシック・バレエの芸術性が高まっていたところにディアギレフのバレエ・リュスが結成され、欧州に逆輸入された、ということだと思います。
つまり、情報伝達に月日を要していた時代背景のお陰様で、ロシアではバレエ衰退になる隙がなかったのかなとも考えられます。
今のような何でも瞬時に情報が届く世界とは、全く違う時間の流れがあったのだなと思います。その時差が、新しい何かを生み出す、また肥やしの時間になっていたのでしょうね。
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『吉田都さん』が唯一無二と言われるのは何故か?に関して
今はメジャーになりましたが、当時としてはまだ珍しかったピラティスを取り入れて身体の隅々までコントロールする訓練をされていらっしゃいました。
Kバレエにもいらしており、全身に神経が行き届いたレッスン姿に見惚れてしまったことを覚えています。
この揺るがない基礎力に加え、感情表現が華やかな欧州において、日本人らしい繊細さや【静】の表現に長けていたことが踊りの深みを増していたのだと思います。
ダンサーとしてだけでなくお人柄も高く評価されていた所以だと私は思います。
以上です。
正しい答えにはならないかも知れませんが、一意見としてご参考ください。
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今後も舞台裏に纏わる話、また作品紹介など、何かしら企画していけたらと考えております。
季節に沿ったもの、生誕記念に合わせたものなど、知ると楽しくなることが沢山あります。
12月と言えばこの作品…↓などなど
詳細等はこちらでも随時アップしていきます。是非覗きにきてください。
ご協力頂きました福井県立美術館の皆さま、学芸員の西川奈津美さまも
改めてありがとうございました。
ご参加下さった皆さまにも、心より御礼申し上げます。