私が私自身を大切にすることを、気付かせてくれた彼女

以前noteにこのような記事を書いた。

ありがたいことに、彼女とは、今も関係性を続けられている。そんな彼女と先日、LINEでやり取りをした。事の発端は私が、実習や国試に向けた勉強を頑張っているであろう彼女に対して、「自分のことをいちばん大切にして欲しいし、労ってね」と言った趣旨のLINEを送ったことだった。

すると彼女から、思いがけない言葉が返ってきた。

美咲ちゃんこそ、自分のことを労ってね!美咲ちゃんは自分のことが二の次になっているようなことが結構多い気がすると私は思うから、ちゃんと大切にする中に、自分のことを入れてね!」と。

私はこれを見た瞬間、(彼女はちゃんと、今までずっと、私のことを見ていてくれていたんだ…私がそれに気付けていなかっただけで、彼女はいい意味で、始めから「彼女のまま」だったんだ)と思い知った。

そして、私は卑屈だ、と思った。
私は彼女のことを、他人が評価する「成績の良さ」でしか、その価値を見出していなかったのか、認めていなかったのかと。彼女はずっと、私の内面をしっかりと見た上で、私とかかわってくれていたのに。対して私は、そんな彼女の人柄のよさを見ずに、彼女の外面しか見れていなかったのかと。

彼女と出会ってから、もう3年が経つというのに、私は今まで彼女の何を見てかかわってきたんだろう。彼女との関係性は、まやかしだったのかと。
私は酷く、自分のことを責めそうになった。

しかし、「そういうことをしていた」という事実は、もういくら悔やんでも、過去のことだから、決して戻れないし、変えられない。だったら今、若しくはこれから、私が彼女と、どのようにかかわっていきたいのかを考えて、それを実践していくことにエネルギーを使う方が、私の成長につながるのではないだろうか。

そんな風に、考え方を変えられるようになったことも、私の成長と言ってもいいのかもしれない。

私が当時から、彼女のことを尊敬していることに、変わりはない。
ただ、尊敬する部分が変わっただけだ。

もう1年前の出来事になるが、3年の秋学期。
「一緒に履修しよう」と、約束を取り付けたわけでもないのに、たまたま初回の授業説明に参加したら、彼女が居て。そこから互いに切磋琢磨して、半期の自由選択科目を乗り越えることができた。私がこの科目を乗り越えられたのは間違いなく、彼女のおかげだ。もし彼女が居なかったら、私はきっと途中で、自暴自棄になった挙句、あの科目を投げ出していただろう。

実際、当時、もう何もかもが嫌になって、授業にただ居るだけの(所謂フリーライダー状態と思い込んでいた)自分に嫌気が差し、これじゃあ頑張っている人の邪魔になるだけだし、と思って、彼女に授業をやめようか迷っていると相談したこともあった。その時に彼女は、「美咲ちゃんは頑張ってるよ!」と、その当時の私の存在を認めてくれる言葉を贈ってくれたのだ。あの言葉に勇気をもらって、乗り越えられたと言っても、過言ではない。当時から彼女はずっとずっと、私の内面を見て接してくれていたんだなと、改めて感じた。

そんな彼女には、感謝の気持ちでいっぱいだ。
そんな彼女だからこそ、これからも関係性を持ち続けたい、と私は思う。


読んでくださってありがとうございます。

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