高嶺の花だと思っていた彼女
私の友だちのうちの1人の話。
彼女は頭がいい。それはGPAを見れば一目瞭然。確か3.7辺りだったような…。学年1位を2連覇している、そんな人だ。
話の時間軸が変わるが、私は中高生の頃、「頭がいい」「勉強ができる」人を崇拝し、所謂「勉強ができない」人のことを馬鹿にしていた。見下していた。勉強できないやつは価値がない。そう思っていた。
あからさまに、ではないつもりだったけれど、もしかしたら態度でばれていたのかもしれない。大学生になってからも、そこに関しての考えは変わっていなかった。だから、頭がいい彼女のことを崇拝していたし、「彼女とお近づきになりたい」…そう思っていた。自分より頭のいい人と一緒にいたい、みたいな。「馬鹿とはつるみたくない」みたいな。当時の私はそんな思考回路でいたから、相当ねじ曲がっていたなと今になって思う。
時が過ぎて、友だちの友だち…のつながりで、彼女と初めて話す機会ができた。昨年2年生の頃だった気がする。気付いたら仲良くなっていた。ただ、私は彼女が「頭がいい」から近づいているだけであって、本当に友だちと呼べるのかな…という思いもどこかにあった。上辺だけの仲、みたいな。
だけど、私の中でその凝り固まった考えが変わったのは、3年生の秋学期になって、偶然同じ自由選択科目を履修して、その授業を一緒に受けるようになった辺りからだと思う。その科目は学生が3人と本当に少人数展開で、1人1人が行動しないと授業が回らない、だからその分やりがいもある…そんな授業だった。その授業の中で、企画や発表というものがあった。企画に向けては目的意義を考えたり計画を立てたり、発表においてはスライド作成や原稿を工夫して作ったり…と、本当に1人1人がその人の全力を常に出し切っているような、そんな授業だった。でもそれをやるには1人では到底できなくて、学生同士の協力が必要だった。私たちは密接に連絡を取り合うようにして作業を進めていくようにした。それでも始めはなかなかうまくいかないこともあったけど、そのたびに先生がフォローを入れてくださった。
相手とやり取りするにあたって、コミュニケーションってすごく大切だと私は思ってる。自分がどう思うのかを相手に伝える力、相手の話を聴く力、お互いから出た意見をまとめる力など、様々な力が。協力し合う中で、彼女はこれらが本当によくできている、と私は感じた。だから、一緒に作業を進めていても私は嫌な気持ちになることはなかったし、この人なら信頼できる、といった彼女に対する信頼が、私の中で構築されていった。
きっとそこから、私の中で(私は彼女の「頭がいい」からだけじゃなくて、彼女の性格やコミュニケーション力に魅力を感じているんだ…!)と思うようになり、本当の意味で友だちになることができたのかな…と私は思っている。
そして、私が持っている症状のうちの「気分が落ち込む」というものが重くなってしまうことがこの時期(2022年9月~11月)何度かあって、それの影響なのか、自分の不甲斐なさに嫌気が差し、私がいても周りの邪魔になる・迷惑になるだけだから…という気持ちになってしまうことが多くなったことから、この科目をやめようとした。というか、やめようと思っているということを、彼女にだけ打ち明けてみた。彼女からは、「○○ちゃんはいつも意見言ってくれるし、話し合いの時はメモ取ってくれるし、私は全然邪魔とも迷惑とも思っていないよ!あと少しだけ一緒に頑張りたいと思っているよ!」といった内容のメッセージが返ってきた。それを読んで、私は気持ちが少しだけ軽くなった。邪魔と思われていなかったんだ…って、その事実が、私の心を本当に安定させた。もう一度、あともう少し頑張ってみよう。そう思った。そこからは企画・報告まで一直線だった。わき目も振らず、ただただ走り抜けた。
そして昨日、無事に報告会が終了し、それとともに授業も終了、一区切りついた。私はこの科目に彼女がいてくれたことが本当に心の支えになったと思っている。彼女なしでは私は今ここに立てていないと思ってしまうくらいには、彼女の存在意義は大きいように感じる。
ずっと、高嶺の花だと思っていた彼女。
だけど本当はそうではなくて。
私の大切な人。
いつもありがとう。