つづけられる”決める”のためにひつようだったこと
こんばんわ。ぷれまのふじたです。
さいきん、またちょっと”決める”に関連したきづきをしちゃったので今日はそのお話をしようと思います。
(わたしの”決める”に関する過去記事はこちらhttps://note.com/moedegozaru/n/n0ccf4c70e1b2)
これまでわたしは、”朝そのほうが気持ちがいいから”という理由で、寝るまでに必ず夕ご飯の洗いものをぜんぶして、洗たくものをぜんぶ畳んでしまって、机の上はぜんぶきれいにして、時には人を呼んでもいいでしょうってくらいに部屋をきれいにして寝ていました。
だけど、とてつもなく疲れたある日(何をしてそんなに疲れたかはまったく覚えてないんですが)、洗いものも洗たくものも「もうむりー」ってなって、半ば明日の朝への諦めの気持ちで洗いものも洗たくものもやらないことに決めてその日は床につきました。
そして次の日の朝。
起きてみたら睡眠はばっちり。洗いもののあるシンクを見るのもへっちゃら。山になっている洗たくものにも何にも感じない。むしろ朝から洗いもので目は覚めるし、洗たくものを畳んでしまうだけで部屋がきれいになって気分もいい。
・・・わたし、朝片付いてないとだめな人、じゃなかった。
32年目にして知る事実でした。(だって最近ミニマリストとかいろんな素敵な生活を送っているYouTuberたちは、みんな朝まっさらなキッチンでお湯をわかすから、てっきりそれが自分にとってもいいモノだと思ってたんです。)
思いおこせば、”家事をすることで目が覚める”は毎晩のように発生していて、落ちるように寝たいわたしは(じっと寝るを待つがきらい)、寝れないからYoutube見ちゃう、ついつい夜更かししちゃうっていう魔のサイクルになってたんです。。
そして気づいた。決めるって、自分を観察してそれに合わせて決めればいいのだと。あのとてつもなく疲れた日、自分的には逃げだと思っていた、あの「寝ちゃおう」っていう決めは、自分の状態を含めて決めていたことだったんです。
2020年、これまで、決める、決める、と鼻息あらくやろうとして、息がつまってた。(だって自分の状態を見ていないから)
だけど、重要なのは「観察」だった。
ちゃんと自分の状態を見ること、無理をさせないこと。
それを理解してからは、疲れた日はお風呂にも入らず寝ちゃうこともできるようになったし(この表現なんだか笑っちゃうな。この前までお風呂に入るのがいやでしょうがなかったのに笑)、無理にやってた洗いものも目が覚めないほどに、でもたまりすぎちゃうと大変なこともあるから無理をしないほどに、できるようになりました。
自分の状態を観察して、決めて、よりよいコンディションで対応する。そうすることで決めたことを守れるようになって、やらないと一旦決めたこともあとできもちよくできて、ストレスが減って続けられるようになったのです。
自分の状態を観察することが増えた今、次に必要なことも見えてきたけど、そのお話はまた今度。
今日も洗たくものの山を見ながら、おやすみなさい。
ふじた
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