伏線ってきっと、回収されるためにあるんだね
ひさびさにインタビューの仕事があった朝。
何度も味わってきたぬるい憂鬱な気分に浸りながら、すっかり習慣化してきたモーニングページ(朝のジャーナリング)を綴る。
やりたくてやっているはずの仕事。なのにどうしていつも、楽しみより不安が勝ってしまうのだろう……。
ずっと嫌だった自分も、そのまま受け容れるようにペンを走らせる。
怖さもカッコ悪さも正直に。
すると不思議なもので、どんなにネガティブを書き連ねても、少しずつ少しずつ出会いたいメッセージへと近づいていったりする。
*
"祝福" というメッセージに出会えたとき、視界がプワァっと開けた気がして。たまたまその夜話す予定があった人にも、思わずウキウキしながら話していた。
"祝福" という言葉には心当たりがある。
3月。NVCのワークショップに参加して、「これまでやってきた大事な活動や仕事において、満たしたいと思ってきたニーズは何か?」というテーマがあったとき。
音楽活動について想いを巡らせながら、NVCのニーズリストを見てみると、"命の祝福" という言葉が目に留まった。
1月。作った曲のタイトルを募集させてもらったとき。
応募してもらったタイトルの中にあった "祝福" という言葉に、なんだかすごく勇気をもらった。
そしてしばらくキーワードを見つけた喜びに浸っていると、もうひとつ、大事な出来事を思い出した。
*
今よりずっと他人本位な生き方をしていた10代の頃。相手の望むことをするのが私の役割、とさえ思っていた。
でも高校生になって、ずっと恋愛相談に乗っていた友人が、ついに両想いになったとき。祝福すべき場面で、私は心から喜べていない自分を見つけてしまった。
どうして私には幸せな瞬間が訪れないの?
こんなに頑張って生きているのに
どうして私ばっかり不幸なの?
自分の感情や感覚なんて、随分前に蓋をしてしまったのに。私はちゃんと気づいていたんだ、幸せを感じられていない自分に。
どこまでも他人本位だった私は、こう思うようになった。
心から人の幸せを喜べるように
まずは自分と向き合おう。
それから自分を知る長い長い旅路がはじまり、今日の私へと繋がっている。
*
ずっと私は、誰かを祝福したかった。
心から祝福できる自分でありたかったんだ。
そうできる準備が、あれから十数年の時を経てようやく整ってきたのかもしれない。
伏線ってきっと、回収されるためにあるんだね
どんなに遠回りしても、何十年かかっても、「この瞬間のためにあの出来事はあったんだ」と思える未来へと繋げてくれる。
たぶん、私自身がそうしてる。
だから、これからどんな後悔や失敗が訪れても大丈夫。それらは物語をもっと面白くしてくれるはず。
祝福という言葉を調べてみると
とあり、歌うときに大事にしてきた「祈る」とも繋がってもう、感激の嵐。笑
ずっと音や言葉を使って "何" をするのかを探してた。でも、こたえはずっと前からここにあったのかもしれない。
これからはもっと祝福しよう
ただ、わたしがわたしであること
そして、あなたがあなたであることを
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