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過去の話6



身内が死んだあとは
色々と手続きが面倒臭い

私がもし死ぬようなことがあったら
身辺整理はちゃんとしようって
このとき思った

翌日二番目の兄が札幌に来た
母が死んだのは信じられないって
でも事実なんだなって
ただ泣いていた

結局面倒を見たくないからと
逃げていただけのくせに
よく言うなぁって思ったけど
泣いている兄を見ていたら
何も言えなくなった

兄弟二人きり
札幌に来たときは四人だったのにね

母は病院の冷暗所にいる
ちゃんとした死因を特定するために
解剖しなきゃいけないけど
お盆で医者がいないらしい

最期のお別れになりそうだからと
兄と二人で顔を見に行った
とても暑い真夏だ
一番上の兄が死んだ日を思い出す

母の身体は腐りかけていた

出来れば私は冬に死にたいな
そのとき頭の片隅でそう思っていた

結局解剖できたのは一週間後くらいで
もう身内に見せられる状態じゃないからと
火葬場には棺桶に入ったところしか見ていない
普通顔が見れる窓の所は
開くけれど白い紙で覆われていて
顔が見れなかった

葬式もちゃんとは出来なかった
お坊さんもいない
CDラジカセでお経が流れていた
少し笑ってしまった

母が死んだ日
すぐに駆けつけてくれた
友達が1人いた
その時はただの友達だったのだけど
後に恋人になった

その友達が気を遣ってくれて
数人の友達に声をかけてくれて
友達と先生と兄と私で
母と最期のお別れをした

母の骨は兄と違ってとても軽かった

手続きが終わって兄が故郷に帰る
見送って家に帰ったら
誰もいない
1人きりだ

夜眠るとき
目を瞑ると母の死に顔が甦る
怖くて辛くて寂しかった

1人でいるのは辛すぎるからと
後に恋人になった友達の家で寝泊まりをしていた

この人がいなかったら
きっと今の私はいないだろう
私も母や兄のところに逝っていたと思う

母が死んで暫くしてから変わったことがある

死を選ぶことがなくなった
自傷癖も気づいたらなくなっていた

とても前向きになった

医者は精神病は遺伝すると言う

私は遺伝ではなくて環境のせいだと思う

精神病の人が身内にいると
考え方が自然とマイナスになる

悩んだとき壁にぶち当たったとき
死を選ぶことが手段の一つに加わるんだ

まずは生きることを考えねば

それでも死を選ぶのは間違いではないとは思う

私の一言で母が死んだから
きっと言い訳にしたいだけなんだろうけど
そう思ってる
一番行きたかった場所に
母は行けたのだから
もうそれでいいんじゃないかって
納得してる

人を言葉で殺すのは意外と簡単だ

後悔が全く無いわけじゃない
でも多分今の私が過去に戻ったところで
母が死ぬのを阻止は出来ないだろう

10年以上精神を病んでいる人は
前向きには考えられない

生きていること事態が苦痛で
楽になるのが死ぬことしかないからだ。

今の私が過去に戻っても
母と一緒に命を絶つことくらいしか
母にはやってあげられない。

それでも私は死にきれなかったから
ただただこの先も
母と兄を背負って生き続けなければいけないんだ



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