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過去の話3



真冬の北海道は明るかった
私の北海道のイメージは
何もない広い大地
真っ白で田舎なんだろうって
勝手に思ってた
着いた北海道は夜なのに明るかった
北海道札幌市
大都会札幌だ

何もわからないまま札幌に来た
また知らない男の人に会った
「この人は良い人だから
私達を助けてくれるから。」
母はそう言って疲れた顔で笑っていた

私はあぁまたか
そう思ったけど子供だった私には
拒否権はなくて
ただ普通に生活出来ればそれでいいやって
その時は思っていた
この時くらいからまた持病のアトピーが悪化した

卒業まで残り2ヶ月くらいだったけど
また新しい学校に通うことになった
田舎から来た私は珍しいらしく
普通に受け入れられた
それでも私は学校には行かなかった

小学校を卒業して中学生になった
小学校もろくに行かなかった私は
直ぐには友達も出来ず
なかなか学校には馴染めなかった
そのうちにまた虐めの標的になった

学校に行くのがそんなに偉い事なのか?
私にはわからない
勉強は好きだけど
私を必要としている人もいない
むしろ私は不必要らしい
この世界では。

夏休みに入ってすぐに
一番上の兄が自殺した
川のそばの木で首を吊って

その前の夜、「タバコ買ってくる」
そう言って出て行った
出て行く前最後に話をしたのは私だった

自殺する前、故郷の父親の所に一回帰った兄。
札幌に帰って来てすぐに自殺の道を選んだ

兄はきっと母以上に限界だったのだろう

まだ17歳だった
母の都合で高校も中退になった
野球が大好きで甲子園を目指していた
父親のかわりに私達を叱ってくれた
父親のかわりに母を一番そばで支えていた

色々と考えただろう
生まれ故郷に帰って

何故ここを捨てなくてはいけなかったのか
何故札幌にいるのか
何故母は病気なのか
何故母は騙されてばかりなのか。

私はその日はじめて人の死に触れた
冷たい
氷のよう
息をしていない
でも遠目で見たら眠っているよう
毛布をかけられた兄
好奇心で少しめくってみた
首には青黒くベルトの跡
舌を少し噛んでいた

人が死んだらこうなるのか。
涙が止まらなかったけれど
ふと冷静に考える自分がいた
私が死んでもこうなるのか
恐怖しかなかった。

真夏のとても暑い日
兄を焼きに火葬場まで行った
家族は四人から三人になってしまった
火葬場には三人だけ。
泣き崩れて腰が抜けた母を気遣って
火葬場の人が車椅子をくれた
同情からか火葬場の人も
骨を拾うのを手伝ってくれた

骨になった兄は意外と重かった
若いからなのかとても重い
最初は私が持っていたけど
重たくて二番目の兄に変わってもらった
何故か私は兄の死体を見た日だけしか
涙は出なかった
火葬場でもただ暑い
早く帰りたい
それだけ思っていた

兄が死んで数日
夏休み中でも部活はある
休みたいと言う私に母は行きなさいと
強く言った
家族が死んだのに世界は何も変わらなかった
部活に行った私は仲良くしてた子に
「お兄ちゃん死んだんだ」って
笑顔で話してた
あの時私はなんて言ってほしかったんだろう
泣くかわりに私はただ笑っていたよ

中学2年になる頃に
私は自傷するようになった
学校に行かないかわりに
ネットの世界に逃げていた
そんなとき自傷してる人を見つけて
真似してやってみたのがきっかけだ

死ぬのは怖い
兄のようになるのが怖かった
生きているのは辛い
誰かにこの苦しみをわかってほしかった

左腕は血だらけになって
瘡蓋になって
傷跡が残る
それでも日がたてば薄くなる
もっともっと深く
もっともっと目立つように
そうじゃなきゃ誰も気づいてくれない
誰も助けてはくれない

相変わらず学校に行かない私を母は強く責めた
左手首の傷を見ても
母は私の方が辛い
それしか言わなかった
毎朝母と喧嘩になる
殴られて蹴られて
髪を掴まれて風呂場で冷たいシャワーを浴びせられた
泣きじゃくる私に母は
学校の鞄と制服を投げて外に放り出された

それでも私は学校には行かなかった
行けなかった
人が怖かった
他人が怖かった
目が見れない
すれ違う人でさえ
私を悪く言っている気がする
私を嘲笑っている気がする

私は対人恐怖症になってしまった



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