夫に「ソルフェージュ」を教えるにあたって。

「ソルフェージュ」という言葉がある。特に西洋音楽において、楽譜を音にし、音楽を形成するための技術のことを指す。実は今のように、一口に説明するのもたいへん難しいことなのだが、東京藝大の音楽学部の入学試験では、ほとんどの科で今でも必要とされている科目だ。最近、少子化で私立の音大は定員割れなど、厳しい状況が続いていて、ソルフェージュ自体入試にはもう課さない、という学校も多いらしい。それにしても、音楽を志すならばソルフェージュは学んでおいて決して損はしない科目だと思う。

そんな話をすると、あたかも「ソルフェージュ」とは音大受験生のものなのか、という気がしてきてしまう。実際、私自身も受験生相手にソルフェージュを教えることもある。ある意味、専攻楽器の演奏よりも音楽の本質をつかんでいることもあるので、教えるのにはかなり、熱が入ってしまう。音大受験に必須の、ソルフェージュのテクニックというのは、確実に存在する。このぐらいは最低限、受験までに身につけるべき、という範囲も存在する。

そして最近私は、夫にソルフェージュを教えるようにしている。夫は、よく勘違いされているが、趣味でファゴットを吹くのが好きなだけの、一般の会社員である。もちろん音大に通った経験もない。子ども時代ピアノは習っていたが、ファゴット自体も大学生になってからはじめたそうだ。思うに、ソルフェージュが音大受験生のものすぎて、アマチュアが手を出すと効果的なのかどうか、そもそもアマチュアにも教えてくれる講師はいるのかどうかなど、謎すぎて手が出せない分野なのではないかと思う。実際、習うと何が違ってくるのだろうか。独学は難しいのだろうか。

私のホームページの「レッスン」のコーナーにも書いたが、ソルフェージュを習うと、全体の響きの中で和声感を持って吹くことができるようになるので、所属しているアマチュア・オーケストラや吹奏楽団での演奏が格段にアップするのではないかと思う。曲を分析する中で、自分から音楽を組み立てられるようになるので、室内楽などアンサンブルをする場面でも、より楽しく音楽に取り組めるようになる。学ぶうえでの最終的な目標は「自立して音楽ができるようになる」ことだと、私は考えている。それって結構、アマチュアの人にこそ重要だったりするシーンも多いんじゃないかなと思う。アマチュアの人って、あくまで趣味で、楽しみながら演奏を続けているので。いつまでも、専門の楽器の先生から「そこはこうしなさい」「ここはああしなさい」とガミガミ言われながら吹くようでは楽しくないし、自主性も育たない。先生側だって、全部に指示を出すわけにも、時間の都合上いかなかったりする。ソルフェージュのレッスンに通って、音楽の組み立て方を習えば、楽器の先生からはもっとテクニック的なことに集中してアドバイスをいただければよい、ということも増えるに違いない。

そして、独学というのは、きわめて難しいと私は感じている。簡単な例を挙げると、ハ長調の聴音(聞こえてきたピアノの音を、楽譜に書き写すソルフェージュの課題)で「ファ♯」が聞こえてきたとき、いくら絶対音感があっても「ファ♯」と書いてよいのか、はたまた同じ高さの「ソ♭」と書けばよいのか、迷ってしまうこともある。これを、理論上「ファ♯」をここでは書くのが正しいんだな、とわかるには、やはり先生について教わるのが一番だと思う。

私は夫のソルフェージュ能力を、3年から5年ぐらいは軽くかかるだろうが、はっきり言って、音大受験に最低限、必要とされる実力の範囲まで、底上げしたいと考えている。特に夫はこれから音大を受けるわけではまったくないのだが、そうすることで、圧倒的に音楽をする力が身につくだろうと信じているのだ。

なぜ、音大受験に最低限、必要な実力というものにこだわるのか。そうまで気合いを入れて教えて、はたして夫は伸びるのか。私が信じていることには根拠があって、その話をし出すと私の浪人時代にさかのぼらなくてはならない。

中学2年生でオーボエをはじめて割とすぐ、音大に進学したいと思いはじめ、オーボエの師匠から、受験準備用にも指導をしてくださるピアノの先生を紹介してもらった。今度はそのピアノの先生の紹介で、週に1度のソルフェージュ教室にも通いはじめた。作曲家の先生から、同い年の受験生2人でグループレッスンを受ける授業で、本格的だったと思う。その教室で顔を合わせる、同じように音楽が好きで、音楽の道に進もうとしている他校の学生たちとはすごく仲良くなれたが、高校3年生の私は、クラスでの自分の立ち位置に非常に困っていた。担任の先生からは音大進学を反対され冷たくされて、隣の席の女の子からは「音大なんて簡単なんでしょ!」などと言われてしまう始末だった。クラスで誰とも口をきけないような日々も続いた。

東京藝大と、もうひとつ、私立の音大に落ちてしまって浪人が決定し、しばらく落ち込んで実家で過ごしていたが、オーボエの師匠から「東京へ来い」と誘われた。当時、師匠は練馬区の江古田という、音出し可の賃貸物件が多い音大生の街に住んでいたので、そのご近所に来てひとり暮らしをしないかという話だった。人生初のひとり暮らしで、師匠は不動産屋の内見にも付き合ってくれた。当時のレッスンの条件はきわめてよく、なんと謝礼は月いくらという、今でいうサブスク制で、それだけお支払いしていれば何回でも来てよいということだった。レッスンに行くとリードをいただいてしまったり、その後、独身でひとり暮らしの師匠に連れられて、学生街の食堂で軽く定食など、夕飯をご一緒したりすることもしばしばだったので、実際のところ、師匠はたいして儲かっていないはずだし、下手すると赤字かもしれない、などと思う。この頃のことを考えると特に、師匠には永遠に、頭が上がらない。

そして当時、師匠に勧められたのは、音大予備校に通うことだった。美大用の予備校ほどではないが、音大専用の予備校というのも世の中にはあり、師匠の紹介で私が通い出したのは、池袋にある「東京ミューズ・アカデミー」という、歴史ある最大手の音大予備校だった。ここでは平日は毎日授業があるのだが、それはほぼすべて「ソルフェージュ」なのである。1年間、徹底的にソルフェージュ能力が磨かれるのだ。

正直、副科ピアノも、ソルフェージュも、ある程度までクリアしているならば、そこまで頑張らなくてもよいのでは、という人は世の中にたくさんいる。それよりも専攻実技を伸ばすべきだし、専攻実技にさえ時間をかけられるのならば、あとはアルバイトでもしたほうが現実的なのではないか、と思う人もいるだろう。しかしどちらの力も本格的に、最高レベルにまで伸ばしたことは、のちの私にとって大きな財産になった。オーボエだけ吹けていればよいというわけではない、と心から思う。師匠もきっと、そんな思いがあったのではないだろうか。私自身ももし、そんな生徒にレッスンをしていたら、「ミューズ」を勧めるだろうな、と思う。ミューズで当時、お世話になっていた先生方は面倒見がとてもよく、卒業して20年以上経つ今になっても、親身に相談に乗ってくれたりもする。

音大予備校での人間関係も、私にとってはとても魅力的なもので、今思い出してもあの経験は宝物だな、と思う。ただ、浪人という状況は社会的に不安定すぎるし、精神的にも危ういものがあったので、もう二度とくり返したくはないとは思っているが。それまで、同じ音楽を志す仲間というのは周りにあまりいなかったが、ミューズでは周りがみな、音大受験生だった。個性的な学生も多かった。毎日が、仲間と励まし合う日々だった。

そしてミューズには毎年、「え、今から音大受験の準備をするの?」と言いたくなるってしまうような、初歩の初歩から準備をはじめる学生が、少なからずいるのではないかと察している。私の同期にもそんな学生たちはいたけれども、結局、やや低いレベルではあるかもしれないけれど、訓練を重ねた末に音大には入っているはずだ。彼らの訓練前の実力を見ているので、ソルフェージュの訓練というのは重ねれば、人は必ず伸びるのだと、私は今、強く信じるに至っているのだ。もちろん、訓練を積ませる講師の実力にもよる、というのは承知しているが。

ミューズのおかげで、私は藝大に入ってから、最初のソルフェージュのクラス分けテストで管打楽器ではトップクラスだったため、実力者のみが参加できる応用的なクラスが履修できた。だから大学で私は、聴音をカリカリと机でいっせいに書くような、いわゆるデスクワークも含むソルフェージュの授業というのは、受けたことがない。いつもオーボエを片手に初見視奏していた気がする。そのとき一緒だったクラスメイトとは、今でも、彼が超有名ピアニストになってもSNSでご縁が続いていたりもする。

さらに言うと、ミューズの聴音で、和音を聴きとる課題のときに、ある、とても優秀な作曲家の先生が和声分析をていねいに教えてくれた。彼は当時、ある名だたる作曲家の名を冠した賞をとったばかりで、その授賞式にミューズの仲間と出かけた記憶もある。ミューズでの聴音の、いや和声の講義はとても効果的なものだった。ここからはあまりネットには書いた記憶がないが、はっきり言うと、藝大で管打楽器の学生向けの和声の授業を担当していた講師は、外国人で、日本語が非常に下手だった。和声なんて、難しい言葉ばかり出てくるので、日本語だって難しいのに。だから、怒られないとよいのだけれど、私は実質、藝大で和声を習えてはいないと思っている。それでもなんとか現場でなって、しかもその実力が周りと比べて遜色なくむしろ上位のほうだということすらある、というのは、完璧にミューズのおかげである。

これから夫にソルフェージュ教育をしていって、実際に伸びてくれるのか、どう役に立つのか、それはやってみないとわからない。ただ、伸びてくれるだろうし、楽器を吹くうえで私の授ける知識を活かしていってくれるだろう、と信じている。ミューズの先生方や、ミューズに通えたこと、そして当時、つい冷たい視線を向けてしまっていたかもしれないが、初歩の初歩からソルフェージュを学んでいた仲間たちにも感謝する日々だ。

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