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SNS=「おもいッきりテレビ」

Twitterに生息して13年になるって先日Twitterに言われて驚いたんですが
当時のシェアから考えるとこんなに誰もがアカウントを持つツールになるとは思ってもいませんでした。
あの頃会社内でSNSの個人アカウントを持っている人といえば私らのように推しがいるオタクばかりで
リア充はSNSなんてやらないんだと思ってたんですけど
今ではインスタ映えなんて言葉が流行るほど一般化しましたね。
そしてその使用用途も徐々に変化を遂げており、個人的な感触ではどんどん使いずらいものになってきていると感じます。

私は20年ほど前から自宅にテレビを置いていませんが
昔からテレビが嫌いだったかというとそうゆうわけでもなく
大好きで今も記憶に残っているドラマもたくさんあるし、Mステとか夜ヒットとか、毎週楽しみにしていた時代もありました。
それがなぜだかある時からバラエティー番組がくそつまらないと思うようになり、テレビドラマの寒さに耐えられなくり
そして何より、ニュースやワイドショーを見る気がしなくなりました。

「おもいッきりテレビ」
ご存知でしょうか? 笑

『午後は○○おもいッきりテレビ』 の中で登場する医師が「これが身体に良い」と説明すると数時間以内に市場からそのアイテムが姿を消す
そんな番組でした(もちろんそればかりではないですw)。
おもいッきりテレビを知らない世代の方もきっと、身に覚えがありますね。
イソジンとか。生理用品とか。トイレットペーパーとか。
でももうおもいッきりテレビはとうの昔に終了しているわけで、大衆心理を動かすツールはついにテレビからインターネットの世界へ完全に移行されたということが顕著に見えた瞬間でした。

(凄くどうでもいい情報ですが幼い頃住んでいた家の近くにみのもんたさんが住んでましてちょいちょい近所のガススタで見かけました。本当に誰の得にもならないどうでもいい私の個人情報です)

テレビを見ないメリットは、情報に振り回されずに済むことでした。
社会情勢を見ないことで、無駄に悲しい気持ちになったり、不安になったりすることもなくなりました。
例えばこれはかなり前のデータですが
がん家系ではない家庭に生まれた子供が、がん家系の家に養子に行くと、がんの発症率60%
がん家系の家に生まれた子供が、がん家系ではない家庭に養子に行くと、がんの発症率は0%になる
というものがあります。
つまり、本当は遺伝で病気になっているわけではなく
そう、なるであろうという思い込みから病気を発症しているということになります。

テレビから10年ほど離れた頃気が付いたのですが
ニュースやワイドショーは不安と恐怖を煽るものがほとんどです。そしてそのほうが視聴率が高くなります。
人は「不安」というものに対して備える能力を持っており
その「不安」こそが人々がお金を使う一番容易な理由になり得ます。
だからいくら高値で売られていても買われていくんですね。
以前はチャンネル数7局と新聞や雑誌といった、非常に限られた媒体からの発信が限界であったため
見ている者を同じ方向に向かせることができました。
しかし現在はひとつの案件に対しSNSによる情報源がいくつも、何十、何百とそこら辺に蔓延っています。
家で寝転んでいるだけで意思とは関係なく情報が雪崩のように落ちて来るんですね。
そこに重大な問題があると思っているんですが
その情報、ニュースを使って、個人的な怒りを発散したり
不安になったり、備えなければという注意喚起に聞こえたり、
更には同じ不安や怒りを抱えるアカウントとエネルギーを共有して強めたり
人間の様々なネガティブな心理を支配、、支配されていることに
気付いていない
。ということで、、

心理操作をされているっていうと聞こえが悪いですが
本当に何度も書きますけれど。。。
目の前で実際に起きていること以外真実はありません。
その情報は本当に本当なのか、本人と周囲の人間以外誰にもわからない。真実なんてどこにもない、というか、実は何も起きていないんですよ。
起きていないのに感情を乗せて共感してエネルギーを大きくするから実際に目の前に現実として起きてくるだけです。エネルギーが先です。
明らかなる情報過多です。
ですから、入ってくる情報を鵜呑みにする前に自分がどれを信じるのか、信じたいのかを自分で選ぶ必要があるし
意識してそれをしないと自分の軸がどんどんブレていって
TLに流れて来る情報に都度感情(後で行動になる)が左右されることがデフォルトになってしまいます。

そういった問題の弊害というのか
リアルな友人同士、フォロー関係にある方が多いかと思うんですけれど
文字って、その人の知らない面が出ますよね。
顔を合わせれば互いに同じ波動で揃えたほうが気持ちが良いので
自然に相手に歩み寄る、それを表情や口調、言葉の強さなどで伝えることができます。
しかし文面は行間(エネルギー)でしか抑揚が読み取れません。
ちょっと、口に出しただけの言葉でも
ある人の神髄を刺激してしまって、そうするともう、その人がそうゆう人に見えてきてしまうっていう、
それは実際に顔を合わせた時とはまったく別のものとなって人格を決定付けていきます。
また他者の生活や今の状況、、たとえば誰々は既にワクチンを打っている。。などといった”なう”を見ては自分はどうするんだ、、とか
SNSを見なければそれほど焦らない事象に焦燥感を覚えたり
映える画像を見て羨ましくなったり、疎外感を覚えたり。

それ、本当に必要な情報なんだろうか。
と、思うようになり、ここ数年は立ち上げの時以外TLを見ていませんでした。
でも推し達の情報はどうしてもTwitterが必須だし、地震や台風の時は安心できるし・・・みたいな感じでダラダラ続けていましたが
一歩下がって見てみたら、
SNSの役割自体が、もう昔とは違うんですよね。
だったら私のような人間は(笑)使い方を変えなくてはいけないです。

ネットが普及した後でも、オンラインよりも店舗の方が品揃えが豊富だった時代、それがちょうどTwitterを始めた頃だったかと思いますが
Twitter界にマスコミなんておらず(いたのかもしれないけど)
フォローしていない人のツイートが落ちて来たりする機能もなかったので
見たくもないニュースが投下されるようなことは滅多にありませんでした。
当時のTwitterといえばライブの後にファン同士で情報の共有をしたり愛で合ったり
デザフェスなどに出展している際は今店頭在庫こんな感じですーみたいな使い方が私の中では主でした。
現在もそのつもりで使っていたんですが、
最近は本当に、みんなでいろんなチャンネルのワイドショーを見ながらあれこれ思想や知識を投下しているのを見ていることが多く、テレビを見ない意味が無くなってきました。

そういえばこないだDJの浅井さんがこんなこと呟いてましたね。

Google先生か知恵袋に聞けばわからないことはほぼ、無い。時代です。
特に若い世代は言葉が上手で、経験しないでも知識と文面だけで人を言いくるめることができてしまい、それを”強い”とするような時代になっている気さえします。いわゆる”論破”を得意とする、特に男性が増えてきている印象、これは勝手な印象ですけれど。
(口が立つ男性は女性脳です。
愛する女性の要望を聞きできる限り叶えてあげることで幸せを感じるというのが本来の男性の性ですが
口が立つということは体力より思考が発達し女性を守るというより自分の要求を女性(母性)に叶えてもらいたいという幼い欲求が完了しておらずそれをパートナーに求めるのでパートナーが母親代わりのような関係性に陥りがち、これは本来の身体の機能を抑圧して社会で活躍しようとする女性と同じくとても不自然な生き方です。女性の身体は社会を引っ張っていくようにはできていません)

経験には”クオリア”があります。
これこそが、肉体を持っている間にしか体感できない特別な感覚です。
頭でコミュニケーションをする時代なのであれば
意識して体験もしてほしいと思っています。
良いことも悪いことも。
殴り合いの喧嘩をして初めてどのくらい痛くてどのくらい怖いのかがわかるから、それで初めて暴力は良くないと わかる(肚落ち) のです。
後々のことを予想して事前に避けるようにしてしまうなんて
せっかく体感力を持って生まれた生物である意味がないというか。
できるだけ未成年のうちにしてください。それが少年法が存在する本当の理由です。

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