だれかの親であるあなたへ
はじめに
わたしは1歳児の親である。すべてのこどもに、安全で幸せに生きる権利があると、強くおもう。温かいミルク、栄養のあるごはん、ふかふかのふとん、たくさんの愛情。でも今、「ただ生きること」さえ脅かされているこどもたちがいる。
スマホ越しにパレスチナ・ガザのこどもたちが殺されるのを見続けて1年。いったい何人の遺体を見ただろうか。白い埋葬布に包まれた土埃にまみれた小さな顔、頭部をもぎ取られた子の胴体、内臓をぐちゃぐちゃにされた子、瓦礫に下敷きにされた子。わたしたちのこどもと同じ、それぞれに皆名前がある、未来と希望があったはずのこどもだ。
日本で事件や事故が起きてこどもが亡くなったとき、私たちは悲しみと怒りでいっぱいになるし、大きく報道され、抗議が起こる。この1年、確認されただけで、ガザのこどもの死者数は1万1355人、仮に365日で割ると1日に平均31人。つまり毎日ひとクラスのこどもたちが殺されていることになる。この事実に見合う報道が、抗議ができているだろうか。
「この1年で1万1355人のこどもたちが殺されました。あなたは賛同しますか?」
こどもたちが虐殺されて然るべき事情
ここでは歴史について詳しく触れないが、(詳しくこちら「憎しみの連鎖」「暴力の応酬」は本当か? ー 「ユダヤとアラブの2000年の宗教対立」ではない) 批判されるべきは、シオニズム思想そのもの。わたしだって何冊か本を読んだ程度の知識だけれど、歴史に詳しくないと声を上げられない、なんてことは絶対にない。だって、こどもたちが虐殺されて然るべき事情なんか、この世に存在しないのだから。
人それぞれに訪れる、気づくタイミング
パレスチナの占領がはじまって76年。わたしは生まれて32年間ずっと関心を持たずに生きてきた。いまだに幼稚で成熟した人間とは言い難いが、親になってやっと世界の見え方が変化した。
親を亡くし、怪我を負い、病気になり、泣き叫び、無惨に殺されるガザの子供たちの姿が、"遠い国の可哀想な子供達"という抽象的な存在ではなく、息子と同じひとりの、名前を持つ、未来があったはずのこどもとして、認識できるようになった。亡くなった我が子の手に好物のビスケットを握らせる父親の咽び泣きが、遺体を抱えて訴える母親の叫びが、私の耳にも届くようになった。
だれかが言っていた、人それぞれ“気づくタイミング”があるんだと。
わたしは32年間ずっと気づくことができなかった。でもいまやっと気づいた。だから、これを読んでくれているだれかの親であるあなたは、もしかしたら私と同じようにいまが“気づくタイミング”かもしれない、と思いこれを書いている。
日本政府の対応は、わたしたちの問題
でも中東ってあまり馴染みがない、欧米ならわかるけど日本でできることってあるの?と思ったあなた。そう、知らぬ間にわたしたちも充分、渦中の人なのだ。
最悪なことに、私たちの納付した年金は、イスラエルの国債、企業の投資に使われている。
わたしたちの税金で、日本政府がイスラエル産の武器購入を検討している。それも何十億円規模で。
待って待っておかしい。わたしたちの年金・税金を、今現在こどもたちを殺し続けている国家・企業に提供してるし、これからさらに増やすかもってこと?!さすがにそれはなしだって思いません?欧米を変えようったってどうすればという感じだが、自分たちの政府の対応くらい自分たちでなんとかしたいと思う。
ちなみに、以前署名をお願いしていた時「能登より優先すべきなの?国が動くでしょ?」と間接的にご意見いただいたことがある。能登の復興を早急にというのには100%同意だ。でも、違う事情のものを混ぜてはいけない。おそらくパレスチナに人道支援金をたくさん送ってほしい、という意味に捉えられたのかもしれない。これは能登を差し置いてパレスチナに人道支援金を出してという話ではない。虐殺を行っているイスラエルから、私たちの年金原資による投資を引き上げて、ましてや私たちの税金でイスラエルから新しく武器を買って資金を渡すのはやめて、ということだ。私たちは仲裁者なんかじゃなく、残念ながら虐殺を行う国家・企業に平気で資金を流してしまう国に住んでいる。国は、放っておいてもいつも正しい判断をして公正に動いてくれるわけではない。もうすぐ選挙もあるからいこう!
行動は、投票
祈っているだけでは、虐殺はとまらない。
行動は、現状を変えるための投票だ。
買い物の時に産地をみてイスラエル産をさけるでも、ネット署名に参加するでも、政府への意見メールを送ってみるでも、デモに黙って立っているでも、SNSでシェアするのでも、なにかしらでNOを表明してみませんか?
生活していると無意識に、例えば買い物で、知らぬ間にYESの票を入れてしまっていることがある。それをやめるだけでも、かなり変わるはずだ。わたし自身も時々間違えてしまうし、インフラであるテック企業のボイコットは難しかったりする。それでも地道に、多くの人ができるボイコットをしたら大きなインパクトになる。代替できるものって案外いろいろある。
10人の24時間と、1万4400人の1分
10人が24時間なにもかも投げうって頑張るよりも、1万4400人が1分、NOを示すことに使ったら、それは同じ時間でも全く違う規模のインパクトになる。
巨大な岩は、少人数では持ち上げられないけれど、多くの人が集まれば持ち上がるのといっしょだ。沢山の人が持てるように、持ち手をどう作るかは工夫が必要だ。それを用意してくれている人たちがいて(署名の呼びかけ、デモの主催など)、わたしはそれにできるときに参加して、それからたまにこうやって誰に言われたわけでもないが記事を書いたりしている。市民ひとりの力は、とても小さいけれど、積み重ねれば大きな力になる。でもいくら頑張り続けたって、少人数では大きな変化を起こすのは難しい。いまは持ち上がらない岩の周りで「みんなどうか参加して!」と声を枯らして訴えている状態だ。たくさんの人の力が必要だ。あなたひとり分の力を貸してくれないか。
わたしは、政治宗教については話すべからず、と教育されてきた。それゆえ、デモや署名や政府にご意見を送るのをハードル高くかんじていた。でも、「こどもを殺さないで。」っていうことって政治的なことだろうか?文化も、人種も、言語も関係なく、人間として当然の道理ではないか?
育児をしていたら時間の余裕もない、目の前のことで手一杯で心に余裕だってないかもしれない。でも、通勤中でも、お昼休みでも、買い物の時でも、日々の生活の中で、みんなで1分をだしあってできるときにNOって言いませんか?
ちなみにハーバードの研究によると、社会のうちの“3.5%”の人が何かしらの社会的運動に参加することで、社会変革が起こるとされている。日本では、18歳未満の子どもがいる世帯は991万7000世帯、全世帯に占める割合は18.3%。子育て卒業した人を入れたらもっともっと沢山。わたしたちがせーのでNOを示したら、変えられるのでは?
殺されてしまったこどもたちはかえってこない。取り返しはつかない。でも、今生きているこども、これから生まれる命は、わたしたちの行動次第だ。
広義的子育て
現代でも最悪だと思うことは多々あるけれど、過去を遡ると信じられないくらい最最最最悪だった、ってことはよくある。先人たちがじりじりと1mmずつ社会を改善してきたように、わたしたちもその1mmを担いませんか?
こどもたちをいますぐ幸せにできなくても、せめてこどもたちが「ただ生きる」ことを脅かされない世界、わたしたち国際社会の大人がジェノサイドをとめる世界にできないだろうか。
わたしたちは義務教育で史実を学んだが、どうすれば止められたのか、わたしたち市民にどんな抵抗の手段があるのか、それを教えられてこなかった。方法は手探りでも、わたしたちはジェノサイドが現在進行形で起こっている時代に生きる大人として、やれることがあるはずだ。
わたしは、目の前の子供と向き合う以外にも、「子どもが生きる世界を育てる」ことは、広い意味での子育てだと思う。だからジェノサイドに反対する行動は、決して子育てをおざなりにすることではないし、大事な時間を割いてでも我が子が生きる世界のためにやる意味がある。
あなたは、あなたのこどもが生きる世界が、どうあってほしいですか?
おわりに
子供も大人も高齢者も、優しい人も意地悪な人も、皆人権がある。命を脅かされていい市民は、いない。共感でものを語ることには常に危うさがある。それでも、わたしにとってはガザのこどもたちの姿が最初の行動のキッカケになった。わたしのような未熟な人間には、きっかけに共感が必要だったのだ。
「この1年で1万1355人のこどもたちが殺されました。あなたは賛同しますか?」
「NO」
もし心の中でそう思ったのなら、いっしょにでも、それぞれにでも、行動しよう。
NOの数が必要だ。イスラエル政府に対して突きつけるNOの数が。日本政府を律するためのNOの数が。
こどもたちがこれ以上殺される前に。
この記事を読んで、わたしとおなじように、先頭には立てずとも、褒められるようなことはできずとも、休み休みでも、ちょっとだけでも、行動してくれる人の数が、増えることを願っている。
⬇︎知りたい!何かしたい!がまとまっているサイト
⬇︎わたしがやってみたこと体験記
⬇︎はじめてでも参加しやすいイベント
わたしもはじめはデモはハードルが高くて、公園での親子イベントに参加した。和やかな中でお話でき、他のママさんたちもたまにデモに行ってるよ、と聞いて勇気が出た。おすすめです。
⬇︎ガザの人へのインタビュー記事
わたしが書いたNourさんの記事も入ってます!
ガザのひとたちが身近に感じられる内容です。
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