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なぜTwitterでもInstagramでもなくnoteなのか 続き

まず前回の記事を読んでくださった方に、私の駄文に目を通して下さりありがとうございます。
書くことに関してはズブの素人である私ですが、「冷やかし程度に覗いてやっか」くらいの感覚で見ていただければ幸いです 。


さて前回の記事では、情報発信をしようと決めた私がなぜTwitterやInstagramなどのSNSを使わないことにしたのか、その理由を書きました。
今回は、ではなぜ私はnoteを選んだのか。
その理由についてお話できればなと思います。

私はそもそもSNS自体に疎いです。TwitterとInstagramのアカウントはかろうじて持ってはいますが、投稿は基本的にせず開くことさえほとんどないような状況です。
そのためnoteという存在を知ったのも、つい最近のことです。

noteはTwitterのような「つぶやき」ではなく、自分の思ったことを一つの「記事」として文章化し、投稿するもの。

一つの思想を語るのに、Twitterほどのカジュアルさはありません。だからこそ、noteに文章を投稿されている方々の記事を見ると、自分の言いたいことを自分なりにまとめて、しっかり考えて創られた文章なんだなということを感じます。

私がnoteを使うことを後押ししてくれたものが、もう一つあります。

これはnoteの公式が出している、いわばnoteのガイドラインです。
noteを始めたほとんどの方が、まず最初に目を通すであろう記事かと思います。

私が注目したのは、この中の『noteが大切にしていること』に書かれている文章です。

…名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。

短い文章、下手な文章、ラクガキ...、そういったものを恐れて手をとめる必要はありません。まずは、創作したいこと・伝えたいことを世に送り出す。表現力もファンも、あとから十分ついてきます。

「公式」というとなんだかお堅いイメージをもっていた私にとって、こうも初心者に寄り添った言葉が書かれていたことは驚きでした。

同時にこの文章を見て、
「初めてだからって、変に物怖じする必要はない!」
と、文章を書くはじめの一歩、その背中を押してくれました。

私自身、まだ投稿をはじめてから一週間も経っていません。
今まで「書く」ということをしてこなかったため、魅力ある文章を書く技術も、文章を飾るための豊富な語彙力も、私には備わっていません。

ですが、
どんなに駄文でも、
この文章を読んでくださる方がほとんどいないとしても、
「創作を楽しみ続ける」「ずっと発表し続ける」。

この二つを想いながらこれからも、
私なりの歩幅で「私」を発信していければと想います。



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