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おばあちゃん

考え出したら2秒で泣けることがある。
それは、おばあちゃんのこと。

4人兄弟。両親は共働き。父方の母親であるおばあちゃんとは同居で、親が仕事の間は4人兄弟の世話をしてくれていた。


小さい頃から、ほんとにおばあちゃんっ子だった。(以下おばあ)

小学校に入る前、おばあがスイミングのお迎えにきてくれて、自転車の後ろに乗って帰ったのを覚えている。たまに、カラースプレーつきのソフトクリームを買ってもらえるのが楽しみだった。


小学生になると、夜ご飯もお風呂も全部済ませた後、一緒にパズルやナンプレ、オセロをした。

兄弟で作ったオリジナルダンスを一緒に踊らせたりもした。

おばあの作るいんげんのおひたしはとても美味しくて、食卓に出ると兄弟で取り合いながら食べた。

家族で旅行に行ったときは、家で一人で留守番しているおばあが何か事件に巻き込まれてないか、火事になってないか、心配で眠れなかったことがあった。

おばあは、寝るときは母家の隣にある離れ、通称「いんきょ」で寝る。

小学6年生のときに自分の部屋がもらえたけど、小・中学生のときは毎晩毎晩いんきょに行き、おばあの隣に布団を敷いてもらって一緒に寝ていた。兄や弟もちょくちょく来ていたけど、私は毎日行っていた。

それくらい、おばあちゃんっ子だった。



ただ、同居というだけあって、鬱陶しいと思うことやムカつくこともあった。出かける前の着飾った格好を見て、「なんやそのハイカラな格好は」と笑われたし、よく兄弟と比べられた。悪気はないと分かっているけど、言い方がきつくて傷付くこともあった。


思春期になり、家で話すとき
「なんやて?聞こえへん。姉ちゃんみたいにもっと大きい声で喋り。」と言われることが多くなった。

そのときの私は、もっと大きい声で喋ろう
じゃなくて、怒られるくらいなら喋らへんという選択をしてしまった。


家であまり話さなくなった。


話しても聞かれたことに答えるか、返事ぐらいになった。声も小さいままで、その声が癖になり、友達と話すような声で話せなくなった。家で、本当の自分の姿でいられなくなった。


でも、おばあが大好きなことに変わりはなかった。


あまり話さなくなっても、誕生日や敬老の日には毎年贈り物をした。今でも、高校生のときにあげた3000円ほどの安い時計を使ってくれている。何度も何度も電池交換をして。もう10年以上も前の物。


そして、老人会の集まりで「もえちゃんがくれた」と自慢しているそうだ。


贈り物という形でしか、大切に思っていることを伝えられなかった。



このままではいけないとずっと思っていた。おばあも結構な高齢。もしこんな関係のまま死んでしまったら、一生後悔する。そんなことは分かっている。分かっているけど、長い間積み重ねてしまった別の人格はなかなか変えることができなかった。


もどかしくて、申し訳なくて、もしものことを考える度に泣けた。高校生のときも、大学生のときも、社会人になってからも。


神社に行ったり、家の仏様の前でお参りをしたり、願い事をするときには必ず

「おばあが元気で長生きしますように」


そう祈った。


おばあは、我が家の太陽。
明るくて、おもしろくて、大声で笑う。
少しおせっかいで、心配性。
お喋りが大好きで、よく家に来たお客さんと長話をしている。いらんことまで喋ってよく父に怒られている。
畑で野菜を作っていて、料理が上手で、器用。
友達も多く、人から悪く言われることもない。
そして、孫が大好き。



家族の中でも人気者で、家族LINEの画像は、おばあがサングラスをしておもちゃのウクレレを弾きながら大笑いしている写真だ。(クセ)


自分が海外に行くことが決まってからは、少しでも状況を変えたくて、自分から話したり、聞こえる声で話すことを心がけた。

(おばあがアフリカのことを知ったら心配で倒れるかもしれんという母親の懸念により、おばあには訓練直前に伝えることになった)


ルワンダに行く日が近づいてきた。おばあは86歳。派遣は1年8ヶ月。ルワンダにいる間に何が起こってもおかしくない。


うちの家ではいくつになっても誕生日ケーキが用意され、
ピン写真を撮られ、明かりを消してフーさせられる。


派遣期間中にもしものことがあっても後悔しないよう、今までの感謝の気持ちを込めて、刺繍のプレゼントをした。


「最高のおばあちゃんです」
という手紙を添えて。初めて、言葉で伝えられた。少し、気持ちが楽になった。

空港に行く日、家の前でおばあと写真を撮った。

「ばあちゃんも、もえちゃんが帰ってくるまでは頑張るさかいな」と言ってくれた。


泣きそうになった。

別れの日

ルワンダに来て半年になる。残りの任期は1年2ヶ月。ホームシックになったことや日本に帰りたくなったことはまだないが、家族のこと、おばあのことを思い出すと泣きそうになる。


最近もちょくちょくおばあのことを考えていた。そしたら今日、家族LINEが動いた。母からだった。


「おばあちゃんが入院した」


深刻な状況ではなしい、おばあも元気にはしているそう。特に心配はいらないみたいだけど、、。

少しでもこの心配な気持ちを発散したくて、ちょっと暗めの記事を書いてしまいました。



遠く離れたルワンダから、おばあが無事でいてくれること、元気に退院してくれることを願う。


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