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桜はどう散る?(大人の読書感想文)
今は全く逆の紅葉の季節だが…
桜が舞い散るさまに勝る美しさは
この世にあるのだろうか?
さりとて、
毎年美しく花吹雪となるわけでもなく、
艶やかな姿をほとんど拝めぬまま、
無残な葉桜になる年もある。
散り際に儚い美を感じるのは、
どうやら日本人だけらしい。
死に際と重ねるというのが大概の説である。
人間、生まれてしまったら死へまっしぐらだ。
死ぬために生きているのかと言えば、
そうでもあるし、そうでもない。
それぞれの人生に憂いがあり、喜びがあり、
辛酸があり、成功があり、ドラマ以上のドラマがある。
テレビの画面に時折映る、
渋谷のスクランブル交差点を1回で行き交うたくさんの人々。
それぞれの人生を語ってもらったら、一体どのくらいの原稿用紙の量になるのだろうとときどき想像し、人生いろいろあるさと自分を納得させている。
何十年前だっただろうか。
『モルヒネはシャーベットで』という自宅での終期末医療についての本に出会ってから、
ターミナルケアに関する本を読み漁った時期がある。
その時得たもので、ちょうど余命半年と言われた伯父を見送るまでに、伯父の葛藤や悔しさが手に取るようにわかってしまった。
死を宣告されてからの心情の変化や、弱っていく肉体との闘い。
伯父は意図せず、私に体を張って死生論実践編を体現してくれた。
そんな私が最近手にしたのがこちらである。
25年の永きにわたりホスピス医の著者が、
3500人を超える方々を見送り続けた中から
浮かび上がって、見えてきたものたちだ。
人としての共通の思い、本当の幸せ、生きている意味などが綴られた本の結論は、
死生論に思い入れの深い小生、
あるいはそうでなくても
「一日一日を、大切に生きることこそが
後悔なくこの世とお別れする唯一の方法です」
と書いてあるのはわかっているのだが、
医師の傍ら、ご自身のメッセージを
何冊も出版され、その中からベストへセラーをもしたためてこられた著者が、新刊を出されたとのことだったので、遅ればせながら、偉大なる小澤ワールドに身を委ねてみることにした。
たくさんの看取りの中から紡ぎ出された言葉たち。
今まさに余命宣告を受けた人は、急いで手にとってほしい本だし、今、取り立てて生命の期限を知らない人にも読んでほしい1冊である。
幸せになれる方法について、
チャレンジについて、
人を頼る潔さ、
自分に素直でいること、
自分にとって本当に大事なもの見い出し方
これまでの人生を振り返ってどう捉えるか
生きる目的
未来を想う
苦しみとの向き合い方
残りの人生を幸せに生きて行くにあたっての大切なこと
孤独の癒し方
死を意識して今を生きる
こうして眺めてみるだけでも、
普段おざなりにしている事柄1つ1つが、
著者の実体験のエピソードから
生まれてきた浮かび上がるテーマとなっているのだ。
何かを訴えたくて、エピソードを選んだというより、
こんなエピソードから、こういったことが浮かび上がった、という組み立てに引き込まれていく。
そして、くっきりと心に刻まれる。
それは研究でも、仮説でもなく、
「死」という残酷さを目の前にしながらも、
私たちにメッセージを残してくれた、
生きていた人たちの言葉だからである。
この世には既におられないが、
メッセージはこうやって生きていく。
覚悟を決めてしか見えないものを
惜しみなく残していってくれた方々の
ご冥福を心から祈りたい。
最後に、著者ご自身の言葉として、
いちばん心に残ったの文章を引用させていただく。
「自分の気持ちに誠実に正直に生きれば、人は自ずと進むべき道へ進み、本当に自分らしくいられる場所にたどり着くことができると私は信じています。
そして、自分が本当に自分らしくいれることこそが自分の尊厳を守ることにつながります。」
とある。
世の中でよく言われる自己実現という言葉に充たると思うのだが、この「誠実に」「自分らしく」という言葉たちの方が、なんだか私にはストンと腑に落ちて、私もそんな風に生きたいと強く思った。
昨日・今日・明日と、その繰り返しで
人は死に向かっている。
あなたがどのような散り方をするのかは
あなたが決められる。
それが人間と桜の違いである。
美しく散ろうじゃありませぬか。