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昭和41年、ひのえうま

歳がばれるけど、タイトルどおり
私は1966年生まれの、今年で56歳。

(出典元:総務省統計局)


このグラフが示すとおり、
ひのえうまの年は出生人口が少ないです。

ひのえう(丙午)って何か意味あるの?

ひのえ‐うま【丙午】

〘名〙
① 十干と十二支とを組み合わせたものの第四三番目。五行説によると、丙は火の兄で、午は南の火であるところから、この年には火災が多いとされ、また、この年に生まれた女性は気性が強く、夫を食い殺すという俗信がある。→丙午(へいご)。
※半七捕物帳(1925)〈岡本綺堂〉松茸「単に午年ならば仔細もないが、弘化三年は丙午(ヒノエウマ)であった」
② ①にあたる年に生まれた女。
※浮世草子・好色五人女(1686)三「我は世の人の嫌ひ給ふひのへ午(ムマ)なるとかたれば」
出典元:精選版 日本国語大辞典

ということです。

また、
歌舞伎・浄瑠璃の演目である「八百屋お七」。彼女は、1682年(天和2年)に江戸の大火から非難した際に出会った男性と恋仲になって、
再会したいがために大火を起こしたとのことです。

しかし、お七も丙午生まれと言われてはいるものの、本当に丙午だったかは定かではないそうです。

このような、
「丙午生まれの女性は気性が激しく夫を不幸にする」という迷信が昭和41年当時にはまだ、信じられていたのです。

「産まれてくるのが男の子か女の子かわからないけれども、女の子だったらよろしくない」という迷信を元に
妊娠しないようにしたり、
命の灯火を消された人がいるのです。

迷信を信じていた人にとやかくいうつもりはないですが、ただ、殺された命は無視できません。

そんな中、私も予期せず母の胎内に一つの命として宿されたのです。

アダルトチルドレンを生きる

産まれ落ちたのは機能不全家庭。

自己肯定感がめちゃくちゃ低く、
うつになり、希死を試み、
今、生きています。

うつがよくなってくるまでは、
「なんで消された同胞のように消されなかったのか」と産まれてきたことを恨みました。

でも、今は紆余曲折を経て、
「消されずに産んでもらえてよかった」と思えるようになりました。

産んでくれて、ありがとう

産まれてなければ、
子どもたちとも出会えなかったし、
孫にも会えなかった。
主人、妹、かけがえのない友人もそうだし、
いろいろな幸せな瞬間も味わうことはなかったのです。

なので、今は「60年に一度のラッキー」と
自分の出生を名付けています。

ひのえうま亜種

このように考えると、コップの水のように
「半分しかない」
「半分もある」
と、どちらを取るかで物事の見方は変わっています。

もし、あなたが悲観的になっているとしたら、
ものごとの捉え方をもう一度、考え直してみませんか?

他者の視点や、別の角度から見ることを試してみませんか?

もしかしたら、
不運の塊のような出来事でも未来へ向かっての示唆を含んでいるかもしれません。

自分の捉え方や思考の歪みに気がつくかもしれません。

ポジティブとは別のもの

これはポジティブたれと言っているのではありません。
ポジティブはいいことだけど、がむしゃらなイメージが、わたしにはあります。

そうではなくて、自分のデフォルトの考え方を見直してみるのです。

無意識の思考の癖は、
思春期までに固まります。

思春期に形成されたものの考え方に
あなたはいつまで固執するのですか?

それが「生きづらい」ことの原因となっているのなら、今日から意識して変化させていきませんか?

私はひのえうま。
受験もラッキーだったし、
丙午というだけで、相手がどういう反応をするか、つまり、
その人が古い考え方をする人か、
迷信は信じない人かがわかります。

自分が知らぬ間にかけている色眼鏡がないか、
先入観を抱きやすいか、
一度、振り返ってみてください。

もしかしたら、生きやすくなるヒントを
発見できるかもしれませんよ。

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